2015年3月15日日曜日

「東京オリンピック」がもたらすもの

あと5年余り長生きすれば「東京オリンピック」を二回経験することになる。

日本中が湧きに沸いた昭和39年の東京オリンピック。最後の聖火ランナーはたしか原爆の体験を持つ広島出身の人だった。

あのオリンピックを機に東京は大きく変わった。首都高速道路が出来た。羽田から都心を通って終点は初台。

初台の光景はすっかり変わった。甲州街道から太陽の光が無くなった。東京の、いや江戸の原点でもある日本橋。道路の起点としての日本橋。その橋も高速道路の下になり「日の当たらない場所」になっていた。

東京の車の渋滞は高速道路とともに語られるようになり・・・。そして、それによって、オリンピックそのものと合わせて「経済成長」が“国是”ともされ、東京は発展していった。

それはいつしか多くのエネルギー、電気を必要とするようになった。

その結果としての福島原発の大事故。

多くの被災者がその日をどう生きるかを思案していることなど全く無関係のように、またもや東京オリンピック招致合戦が繰り広げられた。

そのために福島原発は「完全にコントロールされている」という世紀の大嘘が吐かれた。

あの招致最終決定の場のあの光景。プレゼンテーションの数々。そして開催が決まった瞬間のあの場にいた安倍はじめ関係者の姿。抱き合って乾季の涙を流す姿・・・。醜い姿としかとらえられなかった。

「お・も・て・な・し」、合掌しての礼。それが流行り言葉になり、だれもかれもが「おもてなし」。そしてあの格好の物まね。

「おもてなし」という言葉を自分の辞書からは外した。

「我々日本国は2020年のオリンピック招致に向けて努力を重ねてきました。
長年の願望でした。夢でした。しかし、今、この時にあたって我々は一時その夢を放棄します。なぜならば、東日本大震災があり、多くの国民が苦しんでいます。その人たちのために我々は全力を注ぎたいのです。

震災の傷が完全に癒えてからあらためて立候補します。権利をそれまで“留保”します。この際、我々はイスタンブールがその地になるよう推挙します。
我々はまだ覚えています。イラン・イラク戦争時、フセイン政権の暴挙によって空港に孤立していた日本人を救出してくれたのはトルコ航空機であったこと。それはトルコ政府の指示によるものだったこと。それは明治時代にあった両国の歴史、エルトールル号の海難事故にあたって日本人が示した助け合いの精神を、トルコの人が忘れず、いまだに学校教育でその歴史を教えている。
少なくとも、あの救援機を出してくれたことへの恩返しの意味でもイスタンブールに世紀の祭典の場を譲ることが日本人としての矜持だと思ったからです」。

そんなことはありえないが、もし、安倍が、そんな驚天動地のようなスピーチをしたら、かれは国際社会から認められた歴史に残る、オリンピック史上に残る名宰相として「国際社会において名誉ある地位」を占めたことになったのだがと。

古い国立競技場は解体されている。思い出の詰まった場所がまた東京から消える。弾丸道路も走らせる計画も進行中だという。東京の姿はまた大きく変わる。

建設ラッシュに湧く東京。福島からも被災地からもそこに「出稼ぎ」に行く熟練労働者がいる。
被災地の「復興」なるものは遅々として進まない。人でも何も足りないからだ。復興住宅の建設も進まない。建設関係の仕事は「東京オリンピック」に集中しているからだ。

スポーツの祭典が、国威発揚の具にされている。国力や民度を誇示するためのものになっている。

2020年までに「この国の負」である「汚れたもの」は隠そうとしている。

オリンピックそのものを否定なんかしているのではない。それを「政治利用」すること、それに何等の違和感を感じない人たちへの批判だ。

「五輪より一輪の花被災地へ」

福島県人が詠んだ句だ。

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