2015年3月11日水曜日

「毎日が3月11日だ」

5回目の3月11日が来た。

丸4年、そして5年目。それが長かったか短かったか。それはその人の中にある「時間軸」がきめる。

さっき、雪がやんだ時、車を走らせていると、たまたま、前をシルバーマークを付けた軽自動車が走っていた。なんとなく運転が危うげだった。
あきらかに高齢者の人が運転している。

シルバーマークの脇にステッカーが貼ってあった。「がんばろう福島」。
そのステッカーは多分、4年以上前に、その車の持ち主が、万感の思いを込めて貼ったものだろう。
しかし、雪の汚れのせいではない。明らかにそのステッカーはすっかり色褪せていた。

廃墟の町同然となった避難区域の商店の看板のように。

ステッカーと同じように人の心も色褪せるのか。そんな“想い”に捉われてしまった。

5年目。それは先が見える時の経過ではない。むしろ先が見えない時期の入ったとも思う。

道路は開通した。鉄道も復旧している。明後日からは中間貯蔵施設への搬入も始まる。

眼に見える範囲では、変わったことがある。でも・・・。

未だ避難者は12万人。県外避難者も2万人を超えているという。

仮設住宅の住む人が言っていた。

「毎日が3月11日だよ」と。

彼らにとっては、4年間で何も変わらなかったということだ。

重い言葉であり、真相を言い当てている言葉だ。

仮設には空室が目立つようになった。そこで亡くなった人も、移住した人もいる。
この「移住」ということ。住み慣れない土地、言葉の違う土地、慣習の違う土地。そして賠償金をめぐる感情の軋轢・・・。

5年目。新たな課題が、問題が、考えなくてはならない問題が生じているのだ。

そして、人々は皆「疲れている」のだ。生活に、日常に、将来展望に。

毎日、愚にもつかないことを書いてきた。書いてきた本人も疲れている。
身体も頭もだ。

毎日が「3月11日」なのだ・・・。

カトリックでは復活祭の前の40日間を四旬節という。その時にあたってローマ法王、フランシスコ教皇がメッセージを寄せている。
「人は、自分が健康で快適であるうちは、他の人々のことを忘れています。無関心という利己的な態度が広まっています。
不幸な人のことは考えません。他の人々の問題や苦しみ、彼らが耐え忍んでいる不正義などに関心を示さず、心は冷たくなっていきます。
この問題に真剣に取り組まなければなりません」と。

2011年、言葉を発しない宗教者のことを責めた。だからあえてこのローマ法王の言葉を引用してみた。

「忘れる」「無関心」であること。それが被災者を一番苦しめていることだとも思うから。

「毎日が3月11日だ」。それは被災者だけの言葉ではない。我々全員にとっての「言葉」なのだと思うのだ。


2012年のこの日、「去年のこの日に生まれた虎ちゃんへ」ということを書いた。その次の年もそうだったかもしれない。

瀬川虎ちゃん。仙台在住。あの激しい地震の中で生まれた子どもの名前だ。
その虎ちゃんとテレビで“再会”した。2012年は写真だったが、今年はスタジオにいた。お父さんに抱かれて。

一昨日放送されていたNHKの「震災から4年、明日へコンサート」という番組だった。5歳になる虎ちゃんは、あどけない笑顔でカメラを見つめていた・・・。

そう、きょうは虎ちゃんの誕生日でもあるのだ。

「過去を記憶していく責任」。そんな言葉が我々に投げかけられているような気がする。とにかくこの「時代」に生きてしまった。生かされてしまった。生まれてしまったのだから。

過日書いた倉本聡の舞台、ノクターン。ラストシーンのちょっと前は、千万年か1億年後の海中での3人のピエロの会話だった。

郡山に「青い窓」という児童詩誌がある。平成7年だったか。5歳の子供が話した言葉を母親がメモして投稿していた。
「おかあさん、地球で一番最後の人が死んだら、誰が葬式するの?神様?それとも風?」。

黙祷する。亡くなった1万5千8百人の方の霊に。そして、夜、もう一回瞑目し、祈り、黙祷する。
原発が異常を来したことがわかった頃、2キロ圏内の人たちの避難が始まった頃に。それはこの国の“滅亡”すら暗示する事だったのだから。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...