2015年3月24日火曜日

「一人だけど一人じゃない」ある卒業式のこと、教育のこと

昨日は県内の小学校の卒業式だった。いろんな学校でいろんな卒業式があった。
この子たちは、あの3・11の中を潜り抜けて来た子たちだ。

学校は休みになり、友達とも遊べず、いやそれどころか外遊びも出来ず。
学校が再開されるとマスクをつけ、ガラスバッジを胸に下げて通っていた子どもたちだ。

あのガラスバッジをどう受け止めていたのだろう。あの頃、毎朝すれ違う時に心が痛んだのを覚えている。


川内村立小学校ではたった一人の卒業式があった。秋元千果さん。一時は全村避難だったが彼女の家は3年前に帰村した。同級生18人は戻らなかった。

長くなるが彼女が卒業式で述べた「別れの言葉」の一部を書き写す。


//私は今、卒業証書をいただきました。喜びと感激で胸がいっぱいです。目を閉じると、6年間の思い出が昨日のことのようによみがえります。
 平成20年4月。入学式。新しいランドセルを背負い、胸をどきどきさせながら、入った体育館がとても大きく見えました。見るものすべてが初めてでした。早い早い時の流れ、あれから6年……6年も過ぎました。
 2年生。小学校生活にも慣れ、ちょっぴりお姉さんになれた気がしました。くりかえし練習し、やっと覚えた九九。試験で合格したときはとびあがって喜びました。
 3年生。東日本大震災、福島第一原子力発電所の事故により、小学校は郡山市立河内(こうず)小学校へと移動しました。
友達と離れ離れになり、悲しかったですが、河内小学校のみんなと楽しく過ごすことができました。
 4年生。川内小学校が再開されました。けれど、同級生は誰もいません。いつか、みんなが戻って来てくれると信じ、1人では広すぎる教室で過ごしました。
 5年生。創立10周年記念となる運動会での組体操。最後のピラミッドが成功して良かったです。
 6年生。入学式で1年生を迎えたとき、最高学年という責任の大きさを感じました。小学校最後の運動会。どうしても勝ちたかったです。悔しくて泣きました。修学旅行は5年生と一緒に行きました。少し天気は悪かったけれど6人一緒なら天気は関係ありませんでした。生まれて初めて食べたソースカツ丼。思い出の味になりました。先生の足音を気にしながら部屋での女子トーク、盛り上がりました。長崎市での復興子ども教室。原爆の怖さ、平和の大切さ、そして復興の歴史を学びました。
組体操、最高の思い出を作ろうと一生懸命取り組みました。終わったときに聞こえた拍手と達成感。心が一つになれば、どんな大きなことでもできるとわかりました。
 いろいろなことがあった6年間……。けんかもしました。
 悩むこともありました。だからこそ、友情の大切さや友だちを思いやることの大切さを知ることができました。転びながら、泣きながら、失敗しながら助け合い、支え合い、一歩ずつ、確実に前進してきました。
 在校生のみなさん、心のこもった歌とメッセージをありがとう。私は最高学年になったその日から下級生の見本となるように、今日まで頑張ってきました。今度はみなさんの番です。みなさんの力で、さらに素晴らしい川内小学校を築き上げて下さい//。

 先生方、6年間、お世話になりました。そう言って彼女はひとりひとりの先生との思い出を語る。そして最後に・・・。

 //そして、里美先生。「何事も目標を持ち、最後まであきらめず、やりぬくこと」「自分が嫌だと思うことは人にしないこと」「いつも感謝の気持ちを忘れないこと」など、たくさんの大切なことを教えてくださいました。里美先生が「大人数のクラスと1人のクラス、今、自分で選べるとしたらどっちがいい?」と質問されたことがありましたね。私が出した答えは「大人数も良いけれど、1人も悪くはない」です。里美先生、大好きです。二人三脚で歩んだ、この2年間、忘れません。
 先生方からの愛情とたくさんの教えを胸に刻み、歩んでいきます。ありがとうございました。また、この6年間、たくさんの忘れられない思い出を作ることができたのも、みなさまのおかげと深く感謝しています。
 お母さん。お母さんの思いやりと温かさに守られて、成長することができました。それから、お父さんやお母さんが帰るまで、私やお兄ちゃんの面倒をみてくれるおじいちゃん、おばあちゃん。おばあちゃんの作るかぼちゃの煮物、大好きです。これからも元気でいてくださいね。
 私は友達や先生、家族、地域のみなさんに支えられ、今日、卒業の日を迎えることができました。1人だけど、1人ではない。淋しいけれど、かわいそうではない。笑顔の絆で結ばれた小学校生活でした。この卒業証書とともに、川内小学校で学んだことに自信と誇りを持ち、大きな希望をいだいて、輝く未来へ旅立ちます。ありがとうございました//。


里美先生とはこの2年間の担任の先生の名前だ。ある時先生は気づく。“19人いれば授業中に適当にさぼることも出来る。一人ではできない。いつかパンクする”。意を決した先生はこう言った。
「千果、お互いがんばるのやめっぺ」。授業中出来るだけ雑談をした。アニメや公バナ、職員室の様子。

「もっと泣いてもいいのにこらえてきた。痛々しいぐらい背伸びしていた」と里美先生は振り返る。

「里美先生、大好きです」。卒業生に大好きって言われる先生ってどれくらいいるのだろう。里美先生との会話を通じて自分を見つけていったということ。彼女の別れの言葉には大人が教えられることがいっぱい詰まっているような気がする。

福島の寒村で、こんな卒業式の光景があったことを、同じ年頃の子を持つ親は、自分の子供にそれを話してやって欲しいとも思う。
千果ちゃんの言葉から子供は何かを感じるはずだと思うから。

里美先生はもしかしたら最高の教育者なのかもしれない。そんなことを思う。

千葉県の高校で子猫を生き埋めにした教師がいたという。生徒に穴掘りを手伝わせて。この生徒の心の傷は余りにも大きいだろう。これも教育現場で起きていたこと。

それにしても「一人だけど一人じゃない」。いい言葉だ。胸にしまう。

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