「村民がいるから村がある」、「国民がいるから国家がある」。
そんなことを漠然と考えている。
昨日12日は長野県栄村で大地震があった日だ。過疎で高齢化の進む村を襲った地震。
村民たちも村長も、孤立した村の中で耐えに耐えた。
村民がいなくなった村がある。村の名前はあるが、そこに居住する人はいない。
正確に言えば、居住出来ないってことだけど。
地名はその地域の歴史だという。
地名からその地の歴史がわかるとも言う。
さまざまな地名には、そこで暮らしてきた人たちのさまざまな思いが託されている。
さまざまな地名にはそこで暮らしてきた人たちのさまざまな歴史が刻まれている。
双葉郡、あるいは双葉町。それは標葉と楢葉が合わさって出来た呼び名だ。
二つの葉・・・。
「ムラ」で生きてきた人たちは「ムラ」の外では住みにくい。いや、住めない。
未だもって“見知らぬ地”に避難した人たちが、「避難してきました」とは言い出せない現実。
5年目の「課題」の一つはそれだ。
居住の自由という方の範疇ではない。人間の感情の範疇だ。
あらゆることに「寛容」で有るはずの日本人が、あることでは「不寛容」になる。
その「壁」の問題・・・。出身を隠すということ。それは全くの自己否定とならないのか。
「国民がいるから国家がある」。そのはずだった。それがいつの間にか反対にされた。国家のために国民が居るといった発想に転換させているような人がいる。
国家とは何か。そこに君臨する人の人間性が耐えられないほど辛い。
報道への“圧力”を問われたオウサマは、「それくらいで委縮するとは情けない」と大見得を切った。
たしかにそうだ。情けないのだよ、メディアの人達。発奮しなさいよ。オウサマの挑発に立ち向かいなさいよ。
「人の情け」を持たない人に「情けない」と言われることを恥としなさいよ。
あまり大きく取りあげられていないこの発言。国会での発言。海外ではどう捉えられているのだろう。
怒らないメディアにも海外のメディアは失望しているはず。
国家の品格はかってないほど落ちた。それが、国民の品格ともされかねない。
そのオウサマは国民の力ではどうしようもないほどの存在なのか。
常に辛酸をなめるのは普通の人達だと言うこの国の現実。
なぜなのだろう・・・。
なんだか、なげやりのような今日。
2015年3月13日金曜日
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