“ハンコ”。私が中学か高校の頃、母は郷里に原発が出来ると言って、現地見学に招待され、土産付きで帰ってきた。もちろん、原発の何たるかはわからない。漠然と安全らしいと言っていたことを覚えている。福島の方々の気持ちを思うと胸が掻きむしられる。
こんな“キャプション”が添えられた大書が据えられていた。
西原清繁という書家の作品。昨日、その書を見た。うたれた。
この西原さんとう書家は埼玉の高校の美術の教師をしていたその道の大家だという。
3・11の大地震を学校で体験し、自宅の相当の損壊を受けた。そして間もなく知る福島原発の爆発。
彼は愛媛県の出身だ。伊方原発が出来るときに母親からきかされた言葉が浮かんだという。
彼は母親の伝え聞きをもとに、一編の詩を作り、自分の持っている表現手段である書道を通して世に問うことにした。
書展の会場には郡山を選んだ。
その詩書を書き写す。
「おらが村は貧しガッタ」
ある日、村や県のお偉方が来なすって
この村に原発つう未来の発電所が出来ると聞がされたダ
だけんちも おれには原子だの水素だのさっぱり分がんネー
またお偉方が来て 早くハンコ押してくんネエがいっていわっちゃ
村の衆も押したおらも押したダ
んで 原発はいずの間にか当たり前になったんダ
うんだがあの日 大地震と大津波があったダ
そんで原発は壊されてしまったダ
放射能が沢山沢山ばらまかれたダ
安全安全って言ったのは誰だべ
もうおらは何が何だか分ガンネ・・・
先祖以来の土地を離れ村には戻れネ・・・
おらが孫は後々体に異常が出っかも分がんネ・・・
何を守って何の為に生きて来たんだか
おら あん時ハンコ押すんでネガった
貧しくとも家族があだりめえに暮らしてえ~ダケンチョ
もう 帰って来ネ・・・
いささか解読するのに難儀する字体だったが、その作品の横には赤い色で塗られた紙に罪と罰という字が、それ自体がメッセージを発しているような書体で半折の紙に書かれていた。
「人は生きている限り、何かの犠牲の上に成り立っている。これまで電気がつくのは当たり前に感じていたが、原発の地に多くの犠牲があったことを知り、自分の無関心に愕然とした」。そんな“キャプション”が付けられていた。
罪と罰。何が罪で、誰が罰をうけるのか。勝手に穿っていうならば、作者の中に“贖罪”の意識があったのだろう。
しばし、その展示室に立ちすくんでいた。絶妙なレイアウト、絶妙なライティング。
ふと錯覚に囚われる。自分は、あの事故を起こした1Fの建屋の下にいるような。
それは爆発前の場所ではあるが・・・。
1Fによく「見学」に行っていたときに感じたのと同じような空気がそこに感じられたから・・・。
2015年3月22日日曜日
“チェルノブイリ”異聞
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