2015年3月6日金曜日

家は住まねば朽ち果てる

突然、中学校の唱歌の歌詞を引く。誰もが知っているであろう曲。

“幾年ふるさと 来てみれば 咲く花 鳴く鳥 そよぐ風
門辺の小川の ささやきも なれにし昔に 変らねど
あれたる我家に 住む人絶えてなく
昔を語るか そよぐ風 昔をうつすか 澄める水
朝夕かたみに 手をとりて 遊びし友人 いまいずこ
さびしき故郷や さびしき我家や“

元歌はアメリカの“民謡”、♪My Dear Old Sunny Home♪。
「故郷の廃家」と訳されていた。

故郷の廃家。それは今、この国にしっかりと存在している。

あれから間もなく丸4年。4年間人が住んでいなかった家。住めなかった家。
たぶん、もう住めないだろう家。

かろうじて許されている年に数回だけの一時帰宅。
地震による損傷。手入れをされていないことによる損傷。雨漏り、破れたままの窓。野生動物に荒らされて室内。いたるところにあるネズミの糞。
土足でしかあがることの出来ない「生活」が「日常」があった場所。隅々まで手入れされていた家。神棚、仏壇・・・。

そして何よりも止まったままの時計・・・。

未だ帰還を諦めない人もいる。移住を決断した人もいる。それを売りたくても売れない家。土地に“値段”のつかない家・・・。

ほとんどの人は、いや、太古の昔から人は「家」にこだわってきた。生き物が「巣」を作るように、そこは「巣」であるから。

貧しいけれど、家があり、普通の生活をしている僕にとって、その「故郷の廃家」があることをどう咀嚼すればいいのか。そのことをまったく「消化」出来ない。

いま、多くの地で「空き家」が問題になっている。

都会でも、ほうぼうに空き家がある。人が住んでいない家は確実に朽ちる。
倒れそうな古い家。その持ち主はわからないという。役所は、それが持ち家であろうと借地であろうと、借家であろうと固定資産税を課けてきたろうに。

朽ち果てようとする空き家は「危険」すら伴う。

東京オリンピックなるもののために、都市整備が進んでいる中で、その脇に存在する「空き家」。

国立競技場が昨日解体されている映像を見た。パワーシャベルがスタンドをえぐっている。不覚にも涙が出た。

会津地方に空き家。会津だけではない。全国に進む過疎化。その空き家は、豪雪地帯の空き家は、雪下ろしもされないまま、雪の重みで潰される・・・。

空き家が生まれるのはいろいろな事情があるのだろう。しかし、そこには、何年か何十年前まで「人の営み」があったはず。

郡山の駅前の繁華街、一等地に巨大な「廃墟」があった。誰もいないビル。宮部みゆきの小説の舞台になりそうな。

あのダイエーが進出し、しばらくしてトポスに代わり、まもなく“倒産”。別館は3・11で半壊状態だった。そこはなぜか解体に費用が補助金から出されていたようだが。

その問題の本館。地権者は家賃が入ってこないから固定資産税をずっと滞納していた。総額は10億円以上。だれもが問題視していたが、手をこまねいていた。三菱リアルエステートが管理会社になっていた。

突然のように(市民にはそう映る)、市は差し押さえ処分を解除した。それが公表されると時を同じくして、買い手の業者が現れた。駅前の商業ビル、飲食店ビルを多角的に経営している「観光会社」。

いわゆる競売にはならなかった。買い手と地権者、地上権を持っている人達のあいだで、どういう金銭の流れがあったか、あるのかはわからない。

巨大なビル、廃墟のビル問題は決着がついたけど・・・。今の駅前の様相からして、その土地がかなりの収益を上げるかどうかもわからない。

とにかく、一つの「空き家」にケリが付いたということ。
そこから1キロも離れていないこの事務所。界隈には、とみに「空き家」が目立ってきている・・・。

「空き家」という“社会現象”のこと。

“チェルノブイリ”異聞

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