2015年3月26日木曜日

「バベルの塔」としての原発

ローマ・カトリックのフランシスコ法王が過日、原発事故について言及した。

バチカンで日本のカトリック司教団と会談した際、福島の原発事故などを挙げ、
旧約聖書にある「バベルの塔」の話しになぞらえ、“人間の思い上がりが文明の破壊を招く”と警鐘を鳴らしたという。

人間が思い上がり、恣意的な動機で自分に都合のいい社会を作ってしまう。自分のためになると思っていたことが、自分を破壊することになってる」とも。

カトリック教徒は世界で12億人といわれている。世界の人口の17,5%を占めるとされている。
ローマ法王の存在は、それがカトリック信者だけではなくとも“影響力”を持っているはず。

「バベルの塔」、旧約聖書の創世記の登場する話である。

こんな話だ。

ノアの洪水の後、人間はみな、同じ言葉を話していた。

人間は石の代わりにレンガをつくり、漆喰の代わりにアスファルトを手に入れた。こうした技術の進歩は人間を傲慢にしていった。天まで届く塔のある町を建てて、有名になろうとしたのである。

神は、人間の高慢な企てを知り、心配し、怒った。そして人間の言葉を混乱させた。

今日、世界中に多様な言葉が存在するのは、バベル、すなわち訳せば「混乱」の塔を建てようとした人間の傲慢を、神が裁いた結果なのである。

言葉の問題もあるが、高い塔を建て、神の高みに近づこうとした“人間の傲慢さ”を戒めたものと、自己流に解釈してきた。

「3・11」後、時たまこのバベルの塔になぞらえてここに書いたこともある。

そして、あの後完成した東京スカイツリーを「バブルの塔」とも揶揄した。

ローマ法王のこのメッセージは伏線として、日本のカトリック教会の動きがある。

日本での最高責任者である16人の司教団が、戦後70年にあたってメッセージをまとめたことだ。

「戦後70年を経て、過去の戦争の記憶が遠いものになるにつれ、日本が行った植民地支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の歴史を書き換え、否定しようとする動きが顕著になってきている」と懸念を示し、それは「特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって、事実上、憲法9条を変え、海外で武力行使が出来るようにする今の政治の流れと連動している」と懸念を表明している。

プロテスタント教会などはすでに集団的自衛権の行使容認に反対や危惧するという声明を出してきたが、従来、政治に対しての「発言」をカトリック教会は避けてきたのだが。

このメッセージを伝えに岡田大司教がバチカンに行き、その謁見、会談の中で、法王が原発にも言及したということだと思量する。

さらに法王は言及している。
「文明を破壊する最たるものとして兵器の製造・輸出がある。そこが膨大な富を得ていることが問題なのだ」とも。

この法王の発言に対してのメディアの反応は遅いし、小さい。

しかし、12億人のカトリック教徒はどう受け止めたのだろうか。

閣僚の中にも洗礼名を持つカトリック教徒もいる。

折しも、福島県の南相馬市が「脱原発都市宣言」を出した。市議会議員の中からは宣言の文言に対してかなり異論が出され、表現はいささか弱められてとも聞くが。

「脱原発を宣言すれば、政府首脳にも会えず、補助金が削られる沖縄のような事態になるのでは」という懸念だ。

市長は、損得で言葉を変えることは在り得ないと言ったというが・・・。

易しく書かれた「旧約聖書物語」を読み返しているのも、読んでみるのもいいかもしれない。
そこに書かれたことは、「今」と重なる部分も多くあるはずだから。

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