双葉町の中心部にある標語の看板。
「原子力明るい未来のエネルギー」。その看板を町は老朽化を理由に撤去する方針を決めた。議会にその予算措置を提案する予定だった。
その標語を作った当時小学校6年生、大沼勇治さんが「撤去反対」を町や町議会に申し入れた。大沼さんは39歳になっている。
かつて大沼少年は原発についていささか懐疑的だったという。しかし、原発によって、原発のおかげで町が「豊か」になって行く様子をみていて、「原発」に対する意識が薄らいでいったという。そして、町の募集があって、学校の宿題として出された“標語”。あの標語を作り優秀賞を獲得した。当時の町長からも表彰もされた。
そして今、彼は転々と避難を繰り返し、家族とともに茨城に住んでいる。あの標語が“登場”するたびに心が痛んだと言う。
避難生活の中で、原発は明るい未来どころか、故郷の町をズタズタにした。今の彼の想いだ。
「負の遺産として保存し、人間の愚かさを後世に伝えるべきだ」。彼の信念だ。
「老朽化して危険だと町は言うが、あの周囲に崩壊しそうな公共施設は多い。
看板だけ撤去するのは間違った過去と向き合わない行為。それだけの金額があれば補強できる。子どもたちにも真実を伝えていきたい」。
看板撤去絶対反対。そう書かれた看板を持ってあの標語の下に立つ。
保存運動も始めるつもりだとも言う。
標語。辞書にはこうある。
主義・主張や運動の目標などを簡潔に言い表した語句。
とかく日本人は標語なるものが好きだ。時として、標語なるものは同調意識をかき立て、集団行動を促す働きも持つ。
「欲しがりません 勝つまでは」。戦時中はこの標語一色だった。“規範”とされていたのかもしれない。
おまけになんとか週刊というのも日本人の好みらしい。
交通安全週間には「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」。「注意一秒、怪我一生」なんていうのもあった。
新聞週間とやらは、もともとは“新聞少年”の激励の意味があったようだが、いつの間にか変化が起き。
1950年代。「新聞は世界平和の原子力」というのがあった。
まさに原子力歓迎じゃないのか。
そして、今は笑える。
「新聞は正しい政治の見張り役」というのも。「真実の記事に世論がこだまする」というのも。
「3.11」の時、新聞週間の標語は「上を向く 力をくれた記事がある」だった。
大沼さんの信念、行動が、運動のための運動をしている人達に組み込まれないことを祈る。
双葉町の伊沢史朗町長は「議会と相談しながら対応を考えたい」と述べたといわれるが・・・。
そしてこの世の中、「赤信号みんなでわたればこわくない」って”規範”が出来上がっているようだし。
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