2015年3月14日土曜日

「汚染物質」のことから考えること

昨日から中間貯蔵施設への“放射性廃棄物”の搬入が始まった。まったく“手始め”と言った具合だが。
その施設はまだほんの一部だけしか出来ていない。2千人を超す地権者との「合意」が成立していないからだ。

県内各所にあるあおの黒いフレコンバッグが全部搬入され貯蔵されるまでどれくらいかかるのだろう。

きっと誰もわかっていないのだ。そして、30年間貯蔵後に最終処分場に移る。法律は出来てはいるが、その候補地は決まっていない。
いや、それは決まるわけもない。

「指定廃棄物」と言われるものでも、その処分場を巡って住民との間に軋轢がおきている。受け入れる場所はどこにもないだろう。

処理技術が開発され、“減容処理”が為されたとしても、この国土の中で、受け入れるところは無いはず。

そんな「現実」がわかっているのに「嘘の法律」を作ってめくらましするというのはどういうことを意味しているのか。

東京オリンピックまでに、もしかしたら「福島」を見に来る人たちの、外国の人たちに、あの醜悪な黒い袋の山を見させなければいいということかもしれない。

仮置き場を持っている地域の人たちは中間貯蔵施設への搬入を望んでいる。身の回りから「それ」が無くなることを望んでいる。
それはそれで当然のことだ。

その施設を持っている、大熊・双葉の住民の心境はいかばかりだろうか。

現実をさまざまな観点からみて、“やむをえない”そう判断する人もいる。納得できないという人もいる。

その地、その地によって県民の判断や意見もバラバラだ。その上、大方が「最終処分場になる」とみている。

国はことあるごとに、この問題だけではなくとも「粛々と進める」という。
粛々という言葉の意味はなんだ。

丁寧な説明と必ず言う。あらゆることで丁寧な説明なんて聞いたこともない。
丁寧な説明という言葉の意味はなんだ。

その場しのぎの言い逃れってことか。

悩ましい現実が始まったということなのだ。だからこれも「5年後」なのだ。

少なくとも3年間は、皆「躁」の状態だった。「3・11」に対して。

きょう14日は東京で計画停電が行われて時だ。一日に2巡する地域の人は、「なぞここなのか」と怒っていた。

どこか、この国中が「躁」の渦の中にいた。躁から生まれる思考とは・・・。

福島県産の食品を買わない人が大勢いた。

「西日本産のものばかり買っていました。ようやくこの頃、福島県産のものに対する考えが変わってきたようにも思えます」。そんなことをテレビで答えていた首都圏の主婦がいた。

5年目、やっとどこかでは冷静にものを見られる人が出始めたということか。

「結い」「絆」。言葉の持つ同調性が一つの空気を作っていた。

今はどうか。それはその地域だけでの「言葉」にすらなっているようだ。

同調・・・。その象徴的なものとしてのテレビ。

昨日も今日も、話題は北陸新幹線であり、北斗星だ。まさに右に倣えだ。

その話題を否とするものではないが、「フクシマ」は福島だけのことになってしまっているようだ。

そして政治は、あらゆることに於いて「無情」に推移している。情けない。その言葉はそのままあの人にお返しする。

5年目、何が変わったのかという意識調査みたいなことをNHKがやっていた。
「節電意識」だと言う。

はたしてそうだろうか・・・。節電と言う“躁”からも脱出しつつあるようにも見受けられるのだが。

挙句、中間貯蔵施設に搬入される汚染物質の中に、いわゆる「核のゴミ」が入っていると思っている人もいた。

とにかく、この福島が抱える多くの難題、難問、そして犠牲。それは原発の電気の供給を受けて来たひとたちもあまねく共有する問題だ。

しかし、それは他人事。福島への封じ込め。

きょうもまた立ちすくむ思いの中にいる・・・。

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