2015年3月9日月曜日

「忠犬ハチ公」で思う事

「忠犬ハチ公」が、飼い主と再会出来た。飼い主の勤務していた東大の構内で。
80年ぶりの再会。ブロンズ像のハチ公は嬉しそうな表情をしていた。

ハチ公。東京渋谷駅の“象徴”だった。西口広場、以前東横デパートの前にその銅像があった。
「物語」によれば、ハチ公はご主人の東大農学部の教授、上野英三郎氏の飼犬。
毎日、御主人が帰ってくるのを渋谷駅に出迎えていたという。
先生の家は、うろ覚えだが、神南あたりだったような。

1925年、先生は仕事場で急死。それを知らぬハチ公は毎日渋谷駅に迎えに行き、10年間待ち続けていたという逸話だ。

ハチ公物語には真偽取り混ぜいろいろな説があるが・・・。


学生時代、友達との、土日の待ち合わせ場所の一つが渋谷、ハチ公の前だった。
そこから道玄坂を上り、ジャズ喫茶に行くのが常だった。
「ハチ公」を触っていること。それが「お約束」。ともあれ、幼少時代から馴染みの深いシンボルだった。

2年前、原発事故を扱った映画「無人地帯」の試写会に行くため、久しぶりに様変わりした渋谷の駅頭に降り、ハチ公と対面した。居る場所が変わっていたように思えた。移動させられていた。しかし、顔はしっかと駅に向けられていた。

忠犬ハチ公。その物語は、当時のご時世とも関係していたような気がする。忠義ということが重んじられていた時代。
最初のブロンズ像は「供出」されてしまったということも含めて。

でも、なんであろうと「再会」出来てよかった。同じ渋谷の“住民”だったという感傷も含めて。


事務所の近くの知り合いに、かつて、その家では代々シェパードを飼っており、可愛がっていた人がいる。

そのシェパードは「ドン」と呼ばれていたとか。戦時中、軍用犬として徴用された。出征兵士を送る会のような町内会行事があった。ドンは忠君愛国と書かれたタスキをつけられ、町内の人達のうちふる日の丸の小旗に送られ、兵隊さん連れられてどこかに行ったという。もちろん帰っては来なかったと聞く・・・。


「3・11」。きっと多くの犬も津波に流されたのだと思う。その他の動物もだ。
でも、その話はあまり伝えられない。
「板切れ」に乗って漂流している犬、それを助けた消防士。それ自分が抱いている“デジャブ感”かもしれないし。

原発避難。鎖につながれたまま置いておかれる犬、飼い主の車を追いかける犬。鎖を食いちぎって逃走した犬・・・。そんな映像を、あの頃は随分と見たものだ。

その度に悲しかった。もちろん、それも犬だけでは無い。猫も牛も豚もそうだったのだが

最近、ネットで動物の犬や猫の動画がしきりに公開されている。「癒される映像」として、どこかのサイトにあるようだ。

なぜ、その「癒し」が、多く露出されるのか。癒されない世相の中にあって、本能的に動物に癒しと慰めを貰うという“世論”があるからだろうか。

災後、隠れたベストセラー本の中に、犬にまつわるものも多かった・・・。

セラピー犬という“仕事”についた犬は、施設に行き、人々を慰めている。
スキンシップという行為の中に、お互いの“友情”さえ生まれている。

渋谷のハチ公、その銅像の鼻を触るのが好きだった。なぜか手に伝わってくるものがあったような・・・。

そして、飼い主の「都合」で、保健所送りにされる犬もいる。たくさんいる。
片や、シェルターを作ってそれらの犬を保護し、新たな飼い主を探す運動をしている人達もいる。

犬をめぐる、取り巻くいろいろな世相。そこから何を見ればいのか。

「3・11」の前年に旅立った犬「澪」。澪の写真に向かってハチ公のことを話してみた。写真の澪はどこか嬉しそうに、目をキラリと光らせたような気がした・・・。

「3・11」特集、企画が始まっている。まだ動物を巡る話は出てこない。辛く悲しい思いは人間も犬も同じなのに。

被災した野良猫は、今朝も我が家に来ていた。ご飯をいっぱい食べて、どこかに出かけて行った。夕方、また戻ってくるはず。すっかり、まるまると太っておる。冬の寒さもしのげたようだ・・・。

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