2015年3月2日月曜日

優しさと残酷さが“同居”する国

月に一回、頭を刈ってもらっている奴がいる。中野君とういう男。彼が一人でやっている美容室は年中無休。だけど年に1週間くらい休む。
彼は決まって旅に出る。
タイのプーケット島でコテージを借りて海と星を見ながらぼけ~と暮らしていたり。
ここ数年は、日本全国を愛車と共に回っている。今年は山陰、九州を回ったという。
彼の車はもう古びたいすゞの4駆ジムニー。「なぜか“あいつ”と一緒に見て回りたいんですよ」と言う。

車との“二人旅”。優しくされる時があったという。優しさに触れて、「自分もやさしくなれたような気がする」という。

人にやさしくしようと思うようになったという。優しくした時に自分の心が“洗われるよう”になったと言う。

助け合い、お互いさまの精神がいかに大事かと、いや、それは自分の中で“消化”するものだけれど、その意味がわかったという。

そして彼は気づいたという。「優しさ」を感じ、「優しくしよう、なろう」と思った、人にやさしくされた時の喜びがわかるようになった、その原点は「3・11」にあったようだと。

「僕は3・11があって、変わった、変われたような気がします。変わることに決めました」とハサミをしまいながら断言した。

「3・11」の被災者に、いまだ避難をしている不自由な暮らしをしている人たちに、どれほどの人が優しいのか。
助けを本当に求めている人達に向き合っているのは、おおよそ「ボランティア」と呼ばれる民間の人だ。

この国には優しい人たちがいる。

川崎の少年殺人事件。あまりにも残酷な事件だ。それ以前にも、3・11後にも残酷な事件はいろいろあった。

川崎の事件を「語る」ことは至難の業だ。根底には多くの問題が潜んでいるから。
現場には花を手向ける人たちが訪れる。その周りには多くのテレビや新聞などのメディアが取り囲む。「やさしさ」を伝えようと。

しかし、中には尻込みする人もいる。写りたくないとして。静謐であるべき鎮魂の場が、ひとり静かに哀悼の念を示したいという人は、その気持ちをどこかで“乱される”。

あの場から引くのもメディアの優しさではないかとも。寄るカメラ、突き付けられるマイクが時には残酷にも感じられる。

昔、その「残酷さ」を経験しているから。残酷であった側にいたから。

だから思う。この国は「優しい国」なのか「残酷な国」なのかと。

政治はその両面を持ってやってくる。

やさしくしなくても生きていける人にはやさしく、優しさを必要としている人に対しては残酷なほど冷たい。

「男は強くなければ生きてはいけない」という時代があった。やがてそれは「男は優しくないと生きている意味が無い」と言う風な価値観に代わって行ったが・・。

テレビのCMが伝えた、時代を敏感に吸収したCMのあった時代・・・。

かくて、優しさと冷たさ、あるいは残酷さが“同居”している国をどう生きていけばいいのか。そんなテーマにぶち当たる。

どっちかにぶれないといけないとしたら、弱くてもいい、優しさの側に身を置きたいと思っているのだが。

たまに「床屋談義」をするのも悪くは無いということ。

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