作家で画家の加島祥造さんの著作「求めない」。自然の力をタオの力を説く。1923年生まれ。奇しくも関東大震災の起きた年の生まれ。
求めないーすると、簡素な暮らしになる。
求めないーすると、いま、十分に持っていると気づく。
求めないーすると、今持っているものがいきいきとしてくる
求めないーすると、それでも案外生きていけると知る
求めないーすると、キョロキョロしていた自分が可笑しくなる
求めないーすると、ちょと恥ずかしくなるよ、あんなクダラぬ物を求めていた
のかと。
彼の求めないはもっともっと続きます。
求めないーするともっと大切なものが見えてくる。それはすでに持っている
ものの中にある。
東日本大震災、原発事故。一か月です。
あらゆることでこの国は大きく変わらなければならない。変わるということは環境や生活を含めて皆それないりにわかっているはず。
でも、個に立ち返った時、かつてあった日常をと思う。普通の生活に戻りたいと思う。当然のこと。だけど変わってしまったのだ。
求めても求められない。手に入らない物がいかに多いか。
一ヶ月間、物資を欲しいと求めた。これからは心の平安を求める時か。
その時に加島祥造のいう「求めない」こころが生きてくるのかも。
求めても求められないもの。ないものねだりより、あるもの探しへの出発。
変わろうとしないメディアは相変わらず。オウム返しにように。「心のこもった、きめ細かい対策が求められています」。なんでもかんでも「求められています」の連呼。ニュースキャスターは必ずそんな定型文で閉める。それで己の使命を果たしたと思っている・・・。
電話あり。これから避難所に行って犬を二匹預かりに行ってきます。飼い主は別の遠くの避難所に行っている子供に会いにいくとか。
犬が何を求めているか。犬の方が「求めない」ことをすでに悟っているのかも。
2011年4月10日日曜日
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2 件のコメント:
亭主さま
その通りですね。動物は必要以上のものを求めない模範です。それに引きかえ人間は「欲と快楽は 海水の如し
飲むほどに 喉が渇く」のでしょうか。口から逆流するまで飲めば良い。
何か送る物資ありますか?避難所の子供たちにでも・・・。
tacoさま
求めすぎています。求めることをやめようとしていません。雨露しのげ、そこそこメシが食え、風呂に入れて、足を伸ばして寝られるところあるのが幸せ。
おふくろがよく言いおった。布団に入って「ああ、極楽、極楽」と。
避難所の子供たちは表で遊ぶ、体を動かすことを一番望んでいるよう。有名野球選手じゃないからキャッチボールもしてくれない(笑)。
避難所。これから必要なのはやはりこころのケアだね。みんな疲れてきてる・・・・。「あ、疲れた」って言って帰れる家が無い・・・・。
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