2011年4月18日月曜日

この国の姿 その20

多分、中学生の頃だったと思う。島崎藤村の「破戒」を読んだ。主人公の名前は瀬川丑松。いわゆる被差別部落民。憤りと感動と不条理を感じながら、その本を耽読した。

それにしてもなんで主人公が瀬川丑松なのか。親に出自を聞いた。親は関西の出身。「うちは元は庄屋さんだったのよ」と屈託無く答えていた。

なぜかこのころからか。差別にこだわるようになっていた。日常では意識していなかったけれど。

戦後、ライ病患者は差別の対象だった。無知と偏見による。移ると言われた。昭和50年代だったか。ライ病患者の施設がある「島」に行った。プロレスラーのアントニオ猪木と。たぶん、そこを選挙区とする政治家に頼まれてだったと記憶している。患者の笑顔の心が満たされた。もちろん移ってなんかいない。猪木は相変わらず「ダー!」ってやっているし。

歴史をたどるつもりは無いが、士農工商という身分制度といい、貴族制度といい、さらには異民族に対する偏見。本当に異民族かどうかはわからないのに。日本人のどこかに潜む差別意識。いや、日本人だけではない。欧米の黒人差別。人類普遍の問題か。

今、福島県人は差別にさらされている。原発差別、放射能差別。前にも書いた子供のいじめからはじまって給油拒否やがれき拒否。そして農産物。いわきナンバーの首都圏乗り入れ拒否・・・。

どれだけの人を東京人というのかわからないが、東京にいる人は、おうおうにして地方蔑視の”思想”めいたものがある。

昔、登山家の田部井淳子さんと話したことがある。彼女は福島県の三春町出身。東京の昭和女子大に進んだ。上京するとき、彼女は自分に言いきかせた。まるで瀬川丑松のように。出身地を喋らない。訛りが出るからあまり人と喋らない。そんな生活をしてきたらしい。そしてある日、あの女性初のエベレスト登頂を成し遂げた時、山頂で彼女は思ったという。「これからは福島県出身であることを正々堂々と言って歩こう」と。山頂から見た雲海が晴れるように彼女のこころも呪縛から解き放たれるように晴れて行ったという。

関東人にとっては東北は未だ蝦夷の地なのだろうか。しかし、蝦夷だからといって差別される所以は無い。黄金を求めて奥州平泉には京都から多くの人が列を成していたのだから。

放射能差別。あらたな人災。農作物に対する不信感。国や県が安全と言っても、もう信用されていないかもしれない。こころない人達には。

福島県人や野菜を”差別”した人達も、もしかしたら宮城や岩手に義捐金を送っているかもしれない。

差別がありながらも、日本は一つだと言っている人達もいる。東電や政府も含め、この国は、やはり「寛容」な国なのかもしれない。

機会があったら福島ナンバーの車で東京に行ってみよう。わがふるさとへ。どういう顛末が待っているのか面白い。

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