2011年8月29日月曜日

「怒ること」を忘れまい

フェイスブックで“再会”した大学時代の後輩からメッセージが寄せられました。「からから亭日乗は毎日拝見していますが、だいぶ興奮されているようで、怒っておられるようで心配です」と。興奮してませんよ。冷静ですよ。おにぎろクン。怒っているだけです。静かな怒りに日々満ちているだけです。

数日前に読んだ被災者の言葉。南相馬市の72歳の女性。「家は無事だったが警戒区域内にあった。避難所は7か所目。今も段ボールで囲んだ8畳ほどで寝起きしている。四国の親戚が来いというけど、先祖が守ってきた田んぼがあるから離れることはできない。終戦の時は6歳。空襲で逃げ回った。どんなに苦しい状況でもへっちゃらだけど自宅に帰るだけで罰せられるなんて我慢出来ない。
東北人は辛抱強いといわれているけれど、内心では怒っている・・・」。

東北人は我慢強い、辛抱強い。雪国の人は我慢強い。別に我慢強くも辛抱強くも無い。雪の中ではじっとしているしかないからそうしてるだけ。

都会の人間が勝手に貼ったレッテル。それを皆が言うことで東北の人間もそう思わされてきた。思いこんでしまった。辛抱強い、我慢強いという認識の中に囲い込んでしまっている。九州の人間は喧嘩早いとか関西の人間は金にこだわるとか。イメージを作ってしまう国。

東北人は皆、それこそ内心では怒っているのです。笑顔だ美談だと話題はメディアがいっぱい作るけど、本心は怒っているはず。

かつて歴史の中でも東北の農民一揆があったように、内心の殻を打ち破って表に向かって行動する時が来るかもしれない。いや、もう怒りの心を持って立ちあがるべき時なのかも。

原発事故。立地地域に多少の恩恵はあったかもしれないが、それとこれとは別。あまりにも多くの犠牲を強いられ過ぎている。

たしかに農民が行った。酪農家が行った。子を持つ親達が行った。東電へ抗議に。東電はもとより、政府もどこもあの程度の「抗議行動」なんて屁とも思ってないだろう。

民衆の怒りによって塗り替えられたことは歴史にいくらでもある。先進国と言われる英国でも民衆の怒りは、暴動という言葉に置き換えられたとしても、政府に大きな打撃を与えた。ギリシャでも然り。シリアでも然り。

日米安保条約。その批准時や改定時には国会を多数の民衆が取り囲んだ。ゲバ棒なんてものが登場しなかった時代。何も武器を持たずに民衆は怒りの矛先を権力に向け、立ち向かった。条約は締結されたが政権は倒れた。

全共闘が生まれ、安田講堂事件があり、浅間山荘事件があり、その時代が終焉を迎え、日本人は、かりそめの、中味の無い「平和」、いや「平和感」だけをつかんだ。小さな、ささやかな、思い込みだけの平和に身を置いているうちに、日本人は「怒る」ことを忘れた。

一冊の本が書けるくらいに、「怒り」についての考えがめぐる。かけめぐっている。

団結。労働組合の腕章だけの文言ではない。サッカーチームの勝利へのスピリットでもない。

東北人よ、福島県人よ。団結して怒りをぶつけ、爆発させてもいいのではないか。その時なのではないだろうか。少なくとも、もっと、もっと怒りの感情を吐露してもいいのではないか。

安保反対運動が、いつしか、燎原の火のごとく日本全国に広まったのと同じように、今の無策で無責任で自己保身だけに明けくれる国家権力に対する怒りの声が全国に満ち満ちないだろうか。

怒りの声が「国政選挙」にだけしか反映されない民主主義って、本当に是なるものなのだろうか。
二日前の菅発言に接し、数合わせに奔走している民主党議員を見るにつけ、何でもハンタイだけ言っている野党を見るにつけ、さまざまな怒りが交錯してくる。「怒ること」を忘れては進歩はないのかもしれない。

テレビのニュース。「夏休み最後の日曜日、子供達は・・・」とやっている。東北ではもうとっくに夏休みは終わり。新学期が始まっている。自分達の日常の感覚で全国ニュースを伝えて恥じない、いや、身近なことしか知らないメディア人達。

差別だ、隔離だ、棄民だ。そんな言葉は使いたくも無いが。

間もなく民主党の新代表が決まり総理大臣になる。これらの中の誰かには「命運」を託さねばならない。そこになんの希望も感じられない。

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