2011年10月31日月曜日

「小さな善意」と「小さな使命感」

去年の暮。まだこの国が「平和」だった頃。一時、「タイガーマスク運動」が大きな話題となっていた。10個のランドセルから始まったタイガーマスク現象。
マスコミは連日その報道に明け暮れ、タイガーマスクはそれに“便乗”するかのように、事前告知まがいのことまでして、日本中をその渦に巻き込んでいた。

動機がなんであれ、それが一つの善意であったことは間違いない。手放しで称賛する気にはなれなかったが。

震災後、タイガーマスクは現れなかった。津波の痕跡の中から数多くのランドセルが泥まみれになって発見され、それをアップで捉える映像に人々は涙したが。

タイガーマスクは現れなかったが、匿名の“善意”が登場した。埼玉の公衆便所に1千万円。青森県でも四千万円。被災4県に送って欲しいと。

匿名氏が何者か。メディアはそれを追わない。いや、もちろん追う必要はないことだ。でもどこか消化不良。

金額が大きいが。小さな“善意”である。その“善意”の報に接すると、なぜかほっとする。あしながおじさんの物語のようにも思える。不可解な部分は多いとしいても。

そしてカネにまつわる話題として言えば、インサイダー取引で妻のせいにしてカネもうけをたくらんで、カネを手に入れた現職の高級官僚もいる。
カジノに会社の大金をつぎこんで平然としている正真正銘の大馬鹿な経営者がいる。

原発事故の風評被害に苦しむ福島県の農家を応援しようと、首都圏の大学生が学園祭で福島県の野菜を売り、豚汁を作ったという。これらの学生のグループ名は「復興のひかり」だとか。

学園祭は短期間で終わるもの。しかし、そこで体験した、小さな善意は彼らの今後の行動に大いに影響するはず。それに参加したことで、得たものは大きいはず。
週末ともなると福島の地に来て「除染作業」手を貸す人たちもいる。

もはやメディアはあまり取り上げなくなったが、ボランティアという名の善意は息ついている。

数か月前に「結成」された「福島原発行動隊」。収束作業を志願する元技術者たちの“善意”。善意というよりも、一つの“使命感”。政府も東電も無視し続けて来た。

しゃにむに福島県入りした行動隊のメンバーは、いわき市の久の浜のがれき処理や側溝の除染を手伝ったといいう。そして、モニタリング講習に参加して、年内には原発周辺の線量調査に参加出来るようになったという。
彼らの使命感の後ろには家族の善意と決断がある。

こういう人たちがいることがうれしい。

小さな“善意”の積み重ね。タイガーマスクだって、小さな“善意”だったのかもしれない。

人の“善意”を語りながら、何もしない、出来ない亭主・・・。

2011年10月30日日曜日

「二極化」ということ

どうも日本人というのは二極化が好きなんだと。都会と田舎。東京と地方・・・。

加害者と被害者。もちろん原発事故は人災そのものであり、加害者は東電と国。被害者は国民という区分けは当然なのですが。

放射能が拡散され、さまざまな問題がではじめてから、どうも福島県民は加害者、その他の地の人は被害者のような意識の区別が生まれ始めた。
意識の区別は差別につながる。

福島県を中心とした農家は、生産者は、本来被害者であるはずなのに、いつの間にか加害者的立場に置かれ、消費者という人達は被害者的感覚を持つようになった。

本来、生産者と消費者は「二極対立」にあるものではなく、共存共栄のはずであったのが。

その根底にあるのが、「悪者」を作りたがるという傾向。悪者を作ってそれを攻撃することでしか物事を解決できないという風潮。
特にメディアに見られる傾向。

農産物の場合、双方がどこかで「折り合い」をつけようとする冷静な意識が芽生え始めてはいるが。積極的に両者の「壁」を取り除こうと行動する人達もいるが・・。

今、話題のTPP交渉。環太平洋経済交流協定。賛成派、反対派の二極化。極論ではあるが、消費者側は賛成、生産者側は反対という構図にまとめられてしまっているような。

お互い、歩み寄る気配とて感じられず。対立先鋭化という感じ。まさに二極化の一つの「縮図」かとも。

「にっぽんは一つ」。その概念は誰しも共有しているのに、さまざまな事案で生まれてくる二極分化。それを基にした論争。時には感情的なものまで。

二者択一的選択を日本人はとかく強いられてきたような気がする。

世の中の空気や流行りもそうだった。でありながら、日和見、ノンポリ人口のなんと多いことか。

原発にしても、TPPにしても、透けて見えるのはアメリカという国の存在。

たまさか時を同じくということだろうが、震災後、この国はちょっと難しい国になったなって思いがしてきていて。

2011年10月29日土曜日

「原発チャンネル」があってもいいのでは

きょうの新聞の一面トップは「完全廃炉まで30年」という記事。世の関心は、すでに今ではなく、先のことに移ったのか。いや、そうではあるまい。
メディアでは、いわゆる「検証もの」が多くなった。そして、その検証物では、当時の政府の、関係者の嘘と欺瞞と不甲斐なさをあぶりだす。もちろん、それも大事なこと、必要な報道なんだけど。

今起きていること、現状。それがどうも関心の外におかれているような。
「何かが起きないと報道人の興味や関心を呼ばない」。

きょうの原発はどうなっているんだろう、なんの作業が行われているんだろう。

東電では毎日会見が行われているようだけど、その内容はほとんど、伝わってこない。会見に出る記者の数も大幅に減ったという。

不具合があった。何かが出来あがった。そんな時にはニュースになったりするんだけど。

少なくとも事故原発は常に放射性物質を撒き散らしている。毎日、何が行われているのか知りたい。

もっとも東電のホームページに行けばわかることかもしれないが。

放射能の問題では毎日が揺れている。どっかに突如「ホットスポット」なるものが現われてみたり、進んでいるのか進んでいないのかわからない除染の問題や。

農作物の測定値も毎日のように公表されているようだ。地元紙には小さな活字が並んでいる。

この前、田原総一朗氏に会った時ににも彼は言っていた。農業従事者の実態をボクはよく知らなかった。もっと伝える必要がある。「原発チャンネル作るべきです」と。

賛成。
例えばNHKのイーテレ、教育テレビ。例えばBS。原発に関する、放射能の問題にかんする、さまざまな情報をわかりやすく伝えてはもらえないだろうか。

情報だけではない。例えば、生産者と消費者が一堂に会した「対話」だってあり。お互いの立場を認識しあい、問題点を共有することが、いたずらに「恐れる」ことだけに終始している「空気」を変えることになるかもしれない。
感情に走る学者ではなく、冷静の事を見極めているような学者・専門家も交えて。

テレビの力。それを次のステップに進めるのが必要なのでは。

いろんな人が、いろんなところで「情報が」「情報が」という。いろんな情報も飛び交っている。でも、まだ「情報」は足りない。それを共有する場がない。

テレビの力の発揮どころじゃないかと思うんだけど。

2011年10月28日金曜日

”仮住まい”の9万人

郡山、ビッグパレットの隣にある仮設のばあちゃんから久しぶりに電話がありました。
「米貰ったんだ。玄米だけどいるかい?」
早速もらってきました。嬉しいです。仮設にいる人から米をもらう。本来は逆の話なのに。
いろいろ不自由してるだろうに。おすそ分けの精神なのでしょうか。長年身に付いた。
逆なんです。逆。ありがたいし嬉しいし。物だけではない。こころも。仮設の人に助けられている。教えられている。
「オレはあんたとの出会いは一生忘れない」って。

地域コミュニティーって何なんだろう・・・。

避難者、被災者の住居。借り上げ住宅、つまりアパートみたいなところに6万人余りが住んでいます。
仮設住宅には2万8千人余りが住んでいます。

9万人が仮住まい。

たとえば仮設。4畳半二間にキッチン、トイレ。食うところと寝るところだけ。
ろくに家具も置けない。

県外の「借り上げ住宅」に行っている人たちも多数です。で、10万人の福島県民がまともな「家」に住んでいない・・。

京都の大地震の後をうけて書かれた方丈記によるならば、住まいは「方丈」。それこそ4畳半一間でいいというこになるわけですが。晩年の鴨長明のように一人暮らしならいざ知らず。

織田信長が言ったとされる「立って半畳、寝て一畳。天下とっても二合半」。至言ではありますが、栄華を極め、大きな城に住み、食は多分贅沢の限りを尽くしたであろうし。

借り上げ、仮設。今のところは2年が限度とされています。2年で帰れる人はどのくらいありやと。

中には大金持ちの人もいて、これまでの住居に見切りをつけ、郡山や会津などのに家を買ったという人もいますが。大半はさにあらずなのです。

通常に戻ったテレビ。さすがにテレビの世界でも、CMは、どこか以前とは変わってきたような気がします。やたら消費をあおったり、大騒ぎしているようなものは無くなった。でもハススメーカーのCMは、たしかに綺麗だし、落ち着くような内容になっているけれど、「終の棲家」と言われるとみている方はなんとなく複雑に。

借り上げや仮設に住んで、テレビ漬けになっている人たちはどういう思いでそのCMを見ているのかと。

朝晩はすっかり寒くなってきました。仮住まいは多分心も寒い。暖房対策、そこそこされるということだけど仮設の寒さはつらいことだと思います。

ストーブで火事で出なければいけど。加湿まで手がまわるのかな。着膨れして転ばなければいいけど。
原子力発電が始まった頃か。巷に流れていた歌。♪狭いながらも楽しい我が家、愛の灯影がさすところ・・・♪。私の青空という歌だった。あの時代ってなんだったんだろう。いま、青空からは見えない恐怖が降ってくる・

2011年10月27日木曜日

「ゼビオ」移転とか・・・

郡山市に本社を置く「ゼビオ」。東証1部上場企業。紳士服の会社でしたが、最近はスポーツ用品の販売大手として知られています。

そのゼビオが本社機能を県外に移転するという話が。メディアも伝え、町の話題にもなっている。

原発事故の影響で海外企業との商談や人材確保などの面で支障があるとの判断だからという。

もっとも今すぐではなく、場所含めて検討中ということらしく、2年以内に結論を出すということらしいのですが。

ゼビオは昔、「サンキョウ」という洋服屋さんでした。初代社長の諸橋廷蔵氏がいわきから郡山に出てきて作り上げた会社。いわきでももちろんサンキョウという洋服屋さんでしたが。

昭和50年代から60年代にかけての話。本社ビル、所在地にちなんで「朝日に灯台」ともいわれました。大きなビルが60年代初めに建ったわけですから。

初代社長の諸橋廷蔵さんは、2003年、ハワイで不慮の死をとげられました。後継が今の社長の諸橋友良氏。女婿です。

なぜか初代の廷蔵氏とは昵懇の間柄でした。夜、自宅近くの飲み屋で飲んでいて電話がかかってくる。「来られないかい」と。「う~ん、今ちょっと」と答えると、「いいよいいよ、忙しいなら」と電話を切る。でもその声を読み取る亭主。来てほしんだ、なんかしゃべりたいんだ。会合抜け出し、彼のいる飲み屋へ。

その嬉しそうな顔。結果は愚にもつかない世間話、よっぱらいのお付き合いでおわるのですが。

いわきの出身でありながら、彼は郡山に骨をうずめました。

裏磐梯に諸橋近代美術館というのを作り、彼が所蔵していたダリの作品を中心にした美術館。ダリの収蔵では世界一かもしれません。商工会議所の副会頭をつとめ、良い意味での異端児ぶりを発揮し、郡山の経済界発展に寄与した人。

地元、郡山とのマメな付き合いを欠かさない人でした。

震災、原発事故での「移転話」。報道によれば本社機能の一部は郡山に残し、四千人余りのパート従業員の雇用も確保するということですが。

噂話が飛び交った頃、知り合いのゼビオ社員に聞きました。「いや、ある意味リスクの分散ですよ。郡山から移転するわけないじゃないですか。現在自家発電装置の設備も建設中だし」という答えでしたが。

報道の一部にはこうあります。諸橋友良社長談。「企業の成長を考える上で、郡山市には再投資できる環境が整っていない」。意味するとこがいまい不明。

たしかに、今は仮設住宅が建っている県有地に本社や総合運動施設をつくるという計画があり、それがなんらかの理由でとん挫したとは聞いていたが。

市との軋轢も背景にあり、「原発」という絶対的理由を口実に「新たな成長」を目指すという思惑もあるのかもしれませんが。

先代社長との交遊も含め、現社長も知らぬ仲ではなし。亭主にとってゼビオという会社には、かっての仕事上のお付き合い含め、思い入れが多すぎる会社なのですが。

6千人近くの社員抱えた大企業が、これから先を考えて「移転」という選択肢をとることは致し方ない経営判断だともおもいうものの。

「あのゼビオでさえ移転しちゃったんだよ。郡山はもう終わりだね」。そんな話が全国各地で起きることの方を危惧する。

郡山の一つの象徴だった三菱のオーディオ工場も地震の影響で半壊。閉鎖だとか。

リスク分散のための一部移転だとしても市の税収に影響大かも。

大震災、原発事故。その余波は、まだまだ広がるのかも。

亭主の着るものは、ほとんどゼビオで購入したものです。

2011年10月26日水曜日

きょうは「原子力の日」

今日、10月26日は「原子力の日」だそうです。原子力の記念日なんだそうです。

昭和39年、政府が決めました。昭和38年のこの日、茨城県の東海村で原子力発電が初めて行われたこと、昭和31年のこの日に日本がIAEAに加盟したことによるものだそうです。

それから48年。織田信長の謡曲「敦盛」の一節ではありませんが、人生わずか50年・・・ではありませんが、原発は50年足らずして終わりの始まりを迎えました。50年・・・。原発がもたらした“繁栄”は一炊の夢の如しなのであり。

戦後の繁栄。たしかに原子力発電が寄与したところは大かもしれません。過疎の村や町が豊かになったのも事実。

原発とカネ。

そのしがらみ。地方自治体の首長の判断は、反対、賛成、ともにわかります。

しかし、これほど大きいリスクはおそらくないでしょう。戦後以来。

戦後と原子力。いまだ、日本は「戦後」を引きずっています。戦後を一つの尺度としています。それは決して「風化」させるということではなく。

「戦後最大の円高水準」。新聞はそう書く。そう、それが1ドル360円の固定相場の時代からであっても、尺度や基準は、やはり「戦後」にたとえられる。

驚異的な復興を遂げた、高度経済成長を果たした。戦争と戦後は、日本の大きな分かれ道だった。

そして半世紀。原発で日本は再び分かれ道に。

TPP交渉にしても然り。国内の様々な分野で、さまざまな人たちが、あっちが悪い、こっちが悪いと口角泡を飛ばせていがみ合っている時じゃないんでは。

平成の新日本列島改造論。それを提起する時じゃないのかな。

もうひとつ。きょうは「柿の日」でもあるという。明治28年のきょう、正岡子規が詠んだ句。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」にちなんだという。

鐘ですよ。カネじゃない。福島の柿からは汚染が出ているという。家々の庭の柿の木。柿が下がったまま。獲ろうとしない。カラスが群れをなしてついばんで行く。
夕方6時。裏のお寺の鐘が鳴る。防災無線からは♪カラスと一緒にかえりましょ♪の音楽が流れる。遊んでいる子はいないのに。

2011年10月25日火曜日

「不信」に覆われた国

毎月執筆しているタウン誌で引用した言葉なのですがー。

「信というはまかすと読むなり。他の言に任せる故に、人の言と書けり」。
一遍上人の言葉。

その「他の言」が信じられない。「まかせ」られない。今、この国を覆っている空気。

東電の隠ぺい。ずっと続いていたあらゆることの隠ぺい。原子力保安院の隠ぺい。文部科学省の隠ぺい。

隠していたことが次々と明らかにされてくる。隠していたことだけではない。虚偽も。うそつきは信じられない。当たり前だ。

隠ぺいを“暴露”し、それを攻撃するメディア。そのメディアに対しても、「本当のことを伝えててない」と市民は感じている。不信が渦巻いている。

そして、国や行政の言うことは信じられないとなる。

特に問題なのが放射性物質の測定値をめぐる問題。民は“自衛”に走る。食品は買わねばならない。スーパーの店頭に、それぞれの食品に貼られた「測定値」を見て買うか買わないか判断する。半信半疑で。

なぜこれほどまでに「不信」が広まったのか。信という字が不毛になったのか。
ある学者さんが上手い事を言っていた。

「国が国民を信じていないからですよ」と。

情報を公開すれば国をあげてパニックになる。政府や官僚が言い続けて来た論理。そこには“愚民思想”があったのだ。

だから、例えば論語にある「寄らしむべし、知らしむべからず」を「知らせてはいけない」と読み解くのがこの人たち。孔子さまがそんなこと言うわけない。
「知らしむべからず」とは「知らせるのは、わかってもらうのはむずかしい」と読み解くのだ。

セシュウム米騒動で揺れた二本松市。その二本松市にある霞ケ城。おっと、なんと霞だよ。霞が関ではないけれど。
その城の門扉にある“戒石銘”。
藩主の丹羽高寛公が儒学者岩井田昨非に作らせた藩士への戒め。

「なんじの俸(ほう)、なんじの禄(ろく)は 民(たみ)の膏(こう)、民の脂(し)なり 下民(かみん)は虐(しいた)げ易(やす)きも 上天(じょうてん)は欺(あざむ)き難(がた)し」

つまりー。
「お前の俸禄(給料)は、民の汗と脂の結晶である。 下々の民は虐げ易いけれども、天を欺くことはできない。」ということか。

しかし、ここにもある。下々の民は虐げやすいと。官に根付いた思想。

国民は国を信用できない。信じられないという。国は国民を信じていない。

信頼関係ゼロの国。そりゃ不信の連鎖が連鎖を生むでしょうね。じゃ、信じられるのは自分だけ。そうもいかない。自信すら失われてしまっているような。

2011年10月24日月曜日

パソコンの立ち並ぶ”光景”

亭主がパソコンとやらを始めたのは16年以上前だったろうか。ネット通信環境もままならに時代。回線はダイヤルアップ。既存の電話回線。ピポピポピピピ。

それから瞬く間に、あっと言う間に、うっかり昼寝をしている間に、パソコンは社会生活すべてに欠かせないものになった。
もうパソコン無しでは世の中は動かないだろう。

昭和30年代、テレビがあっと言う間の普及しお茶の間を占拠し、すべての情報源となったように。

コンピュータは多大な電力を必要とする。熱を放出する。それを冷やすのにまた電気がいる。その端末としてあるパソコン。
電力会社の運用もパソコンだし、地震の予測測定もパソコンだし、放射線の飛散計算もパソコンだし・・。

郡山に避難してきている町村の仮役場にも建物はプレハブ仮設だけれど、パソコンが林立している。新聞記者もテレビ記者もパソコンで記事を書き、動画を送り。

ネットメディアなるものが出現して、その存在意義を誇示する。ニコニコ動画。放送中にアクセス数が、コメントが瞬時に見られる。
ネット族という名の人達があふれる。

革命もデモも。ネットが呼びかけてはじまる。

新聞、テレビはもちろんパソコンで成り立っているにも関わらず、既存メディアといわれ、フリージャーナリストなる人達が続々と登場し、自由報道協会なるものを作り、我こそがメディアの主流だと豪語する。それに追従する既存メディアで育った人達もいる。

ふと我に帰ると、とんでもない社会に来たような、とんでもない時代に身を置いてしまったような気になる。

どうしても不思議に思えてならないこと。例えば役所。国から地方自治体まで。どこでもパソコン、パソコン。瞬時に事が運ぶ。

大蔵省主計局。予算編成時の主計官達は、その時期になるとソロバンで数字をはじき、毎晩徹夜して予算を組みあげていた。そんな昔の話ではない。ソロバンが大蔵官僚の最強のツール。

いつしか、電卓通り越してパソコン。事務効率は格段にスピードアップされたと思うに。10人でやっていた計算が一人で瞬時に。のはずなのに。
国だけでなく、地方も含めて、企業ももちろん。人は減らない。人の手をパソコンが代わりにやっているんだから。でも減らない。

国家公務員の給料めぐってもめている。役人の給料減らせと。人事院勧告では0,23%減が法案で7,8%減にしようと。
給料減らされたら役人のモチベーションさがるでしょうね。議員さんはそのまま。

やはり人員を減らすべきなんです。あらゆる議員も公務員も。公務員の数減らせば天下りも減る。意味の無い天下り団体も減る。

パソコンで「計算」すれな一発でわかるじゃん。

もっとパソコン活用しましょう。使用するに必要な電気の出元はともかく。そして使わない時はこまめに消しましょう。節電効果大なんだから。

ニューヨーク、ウオールストリート街の公園の中に置かれた二台のパソコン。デモを呼びかけているそうな。デモの様子を伝えているそうな。

パソコンに操られる人間。そしてパソコンで制御出来なくなった人工衛星が空から破片となって落ちてくる。コンピューター制御の無人ロボットが原発2号機の中で「行方不明」になっている・・・。

そしてトルコで発生した地震。おそらく耐震構造の建物など少ないだろう。
死傷者多数とか。

ネットを繰っても、その詳細は明らかでない。救援隊は行ったのだろうか。

2011年10月23日日曜日

二つの“英雄”の話し

リビアのカダフィ大佐はかつて革命を成し遂げ、王制を倒した英雄として称えられた。権力の亡者となった故か。あわれな末路。

独裁者を民主主義が倒した。そんな一語で語れることなのか。

メディアはこぞって言う。「アラブの春」だと。春とは何を指すのか。アラブ地域に春夏秋冬があったのか。新芽が吹く春という季節や事象があったのか。

人類の行為を自然になぞらえるのはいかがなものか。人類が何をしていようとも、何に苦しんで、何に悲しみ、怒っていようとも。自然の行為は無関係なのだと。季節は人の意思は反映しない。

歴史上、英雄と呼ばれた男達の最後を思う。炎上する城で腹を切った男。断頭台の露と消えた男。歴史に名を残した英雄もあれば、歴史から抹殺された英雄もいる。

いっときの英雄は、決して永劫の英雄ではない。

されど、されど。人は時代に英雄を求める。探す。ヒーローを待ち望む。

かつて「英雄」として称えられた男が消えた日、日本ではあらたな「英雄」が、表彰されていた。名付けて「フクシマの英雄」5人。東京電力福島第一原発の事故に立ち向かった自衛隊、警察、消防の代表。スペインのノーベル賞といわれるアストウリアス皇太子賞。

受賞者の一人、当時の双葉警察署長は言う。「福島県警では5人が殉職しています。ほんとうの英雄はこの5人です」と。

津波の中、恐怖に震えながら防災無線のマイクを話さず海にのまれた若い女の子がいた。
中国からの研修生を助け、自らは波にのまれた紡績会社の専務もいた。

職務を全うした。彼らも偉大なる「英雄」なのだと思う。他にもいる。隠れた英雄たちが。

彼我の英雄論を語るに非ず。真の英雄は名もなき人達の中にいるのだと。その人たちの墓碑銘にはぬかずきたいと。墓碑銘が語る言葉があったら、その言に信をおこうと。

2011年10月22日土曜日

“悪意”すら感じる記事

きょの朝日新聞2面(こっちでは)。見出し。巨額予算復興なるか。サブ見出し、3次補正来月中旬成立へ。

12,1兆円の補正予算、これだけ巨額のカネをつけて復興なるかて、どういう意味なんだろう。巨額の予算でも復興出来ないって意味か。とりようによっては、これだけの予算つけたんだから復興しろよとも読める。

リードの結び。震災復興はこれで動き出すのか。

被災地では予算が出来るのを待っている。予算が成立しないと何もできない。

この見出しはまだしも。

関連記事。見出し。計上額すでに3県の総生産に匹敵。基金次々膨らむ予算。

申し訳ないですね。償還期限はまだ決まらないけど、多額の「税金」を、この貧乏な3県の総生産に匹敵するくらいつけてもらって。そんな「嫌み」も言いたくなる。

最初は6兆円だったのが、被災県の要望で次々と予算が膨らみ、あげく。「知事からの強い要望があった」として、福島県向けの復興基金が実現。除染や被曝治療医療センターの整備など、地元の大きな助けになるが、こうした措置の増額などで、さらに1兆円増えたと。

他意はなく、書き方の問題かもしれないけれど、被曝、除染関係で
兆円増えた、予算が増額されたというのが記者さまにはお気に召さないのか。

こっちにすりゃあ、たった1兆円だぞ。それでもまだまだままならぬ。

そして記事の結び。東北地方の金融機関の幹部は「今後、公共事業が本格化し、景気は上向くだろうが、予算が切れたら失速する『復興バブル』にならないか心配だ」と話す。

何処の金融機関の誰だかしらないが、ほんとに行ったのかどうかはしらないが「バブル」を作ったのは金融機関でしょ。懸念があるなら、それを招来しないようにするのが政治でしょ。

道路にしても何にしても「公共工事」がないと復旧、復興には結びつかない。土木重機が動き回らないと何もできない。

無署名の、なんかカネ使う被災地が悪いような書き方の記事。亭主の「僻み」かもしれませんが。

もうしわけございませんね。バブルの心配までさせて。

「国の責任。国の責任」って異口同音に言っていたのはあなたがたメディアでしょ。

後藤新平の震災復旧策。とんでもないカネの大盤振る舞い。それを「快挙」だったとほめそやしたのもあなたがたメディアでしょ。

まだまだ大盤振る舞いまで行っていない。東京の災害だったから大盤振る舞いだったの。東北じゃカネつかっちゃダメなの。

「なんだい、雀の涙ほどじゃねえか」。そうつぶやく避難して仮設にいる古老も。なけなしの預金引き出し、暖房器具買いに行く。

2011年10月21日金曜日

いまだわからぬ放射性物質のこと

きょうも整形外科に行ってまいりまして。混んでます、混んでます。なんでかわからないけど。周りにも肩、首、腰の痛み訴える人多し。

頸椎なんとかという病名いただいた時、何枚エックス線写真を撮ったことか。病院掛け持ちみたいな経過もあったから、多分6枚以上は。

「写真撮ってみましょう」。医者が言うたびに「はい、被ばくします」って毒舌かえす亭主。「いえ、うちのは軽いですから」みたいな返事する医者。検査技師は必ず室外。部屋の前には無断立ち入り禁止、管理区域の表示。

原発爆発当時、毎日テレビの画面に流れていた各地の放射線量のロールスーパー。最後に必ずあったレントゲン検査の何分の一みたいな表記。

放射能過敏症。レントゲン検査を拒否する患者さんもいるとか。検査でわかる病気の数々。癌だって然り。欠かせない医療技術。危険と裏腹なのか。

毎度書いている放射線治療経験者の亭主。たぶんとんでもない被ばく量。癌になる恐れのある放射性物質。癌を治す放射線。

放射線物質、放射能には、さまざまな種類あり。ヨウ素からセシュウムからストロンチュウムから。α線、γ線、X線・・・。何が、どれだけ「健康被害」を及ぼすものなのか。

線量計、ベクレル計。検出された数値の中味は何なのか。ヨウ素は半減期8日間、セシュウムは134や137で違うらしいけど半減期30年とか。半減でしょ。完全に無くなるわけじゃないでしょ。

この前のシンポジュウムでも大学教授が言っていた。「ベクレルの数字じゃなくて中味が問題なんですよ」。でも議論はそれ以上深入りされなかった。質問時間もなかったし。

きちんと、はっきり、丁寧に。だれも、どこも教えてくれない。

大騒ぎになった東京世田谷の放射能騒ぎ。大変な数値を出しているラジウムの上で何人もの家族が生活していた。物質があった場所のすぐ上の部屋で寝ていた住民。今は施設にいるらしいけど、検査の結果、放射線の影響は全く無しとか。

年間1ミリシーベルトでも危険とおっしゃる大学教授。この件でいわく。「そういう人もいるんですね」。

目下言われているのはセシュウムのことか。除染、除染。屋根から断たねばダメ。屋根を高圧洗浄機で。その物質含んだ水はどこへ行くの。庭や側溝にいくんでしょうね。そこはどうなるの。線量あがるの。下水処理場に行くの。

これだけ国を挙げての大問題になっているのに、どうも、その「基本的な部分」がわからない。

亭主だけなんでしょうかね。

今病院は医者は、インフルエンザの予防接種申し込みで混みあっています。

訳知り顔で物言ってる人たちよ。無知な亭主に教えてください。

2011年10月20日木曜日

「バカ」のこだわる馬鹿親爺

きのうの続きみたいですが、いえ、続きなんですが。
「言葉狩り」って言葉が浮かんできました。

平野ヲケシカランと書いた新聞が今朝のコラムではどこか「擁護」するような論調に変わっていました。バカバカしい。

昔、向田邦子さんは「バカが差別用語だというなら、放送作家やめる」と言ったそうな。
「世の中、馬鹿が多くて疲れるわ」と言ったCMが放送中止になったことあったし。

いや~~ん、ばか~~~って女の子に言われて怒る男はいないだろうに。大島副総裁も度っかの飲み屋で言われているのかも知れない(笑)。

新宿馬鹿物語。半村良の名小説あった。遠藤周作は「おばかさん」という小説を書いていた。

「バカ」というのは豊かな語彙を持った日本語。

なぜかバカバカしい話が永田町界隈では見かけられる。

今日から国会が始まりました。議院運営委員会でお達しがあったとか。「天皇陛下出席の開会式にはネクタイを着用すべし」と。江戸では10月いっぱいがクールビズ期間だとか。バカバカしい。

大の大人の服装まで、「国会」と言うところは規定するのか。そもそも、あのくだらないクールビズとやら。襟元はだけた格好で真摯な政治が行われるわけもない。ネクタイするなんてあたりまえじゃないの。

馬鹿、馬鹿、馬鹿。

田舎では「部落」という言葉が平然として日常用語として使われています。
地域を部落と呼んだほうが話が通じる。使っている方には差別意識はみじんも無し。「被差別部落問題」無関係。
テレビで例えば知事が、市長が使うと「放送禁止用語です」とすぐカット。

表現力として豊かな日本語はたくさんあるのに、限られた語彙の中での言葉探しをしないと言葉狩りにあってしまうような。

「がんばろう日本」と言っていれば誰も怒らないけど「がんばるな日本」なんて言ったら「非国民」と言っておこられるんだろうな。

国会の論戦はちょっと先。三次補正成立しないと被災地は困る。それをめぐってまたまたバカバカしい“論戦”なるものが展開されるんだろうな。メディアはいちいち上げ足とるんだろうな。

字にあてられた馬も鹿も怒っているかもよ。

2011年10月19日水曜日

「バカ発言」と「バカバカしい事」と

俺だって死んだ友人に、死体に、遺影に、弔辞で。何回も「バカ」と言ったことがある。親しければ親しいほど「バカ」と言いたくなる。

「俺にこんな悲しい思いをさせやがって。俺より先に逝くなんて。俺にこんない辛い思いをさせやがって。家族を残して・・・」。どんな生き方をしてこようが、どんな死に方をしようが、それに対して「バカ」という言葉を発するしかないのだ。馬鹿と違う。バカ。それは日本語が持つ感情表現として、限りなく許される、ある意味、もっとも相応しい情緒としての言葉なのだ。

可愛がっていた部下。優秀な部下。あえて、愛情を込めて彼を今でも「バカ」と呼んでいる。限りなく親しみを込めて「バカ」と呼んでいた。彼は今でも、電話してくると「バカですが」と自ら名乗る。日本語の奥深さなのだ。

平野復興大臣が、講演で津波で死んだ、逃げ遅れて死んだ友人のことを「バカ」と言った。バカな奴がいたと言った。
その「バカ」という言葉だけを取り上げて新聞記者は問題だと書く。テレビでその発言を聞いた。確かに、あの平野という男、無表情でお公家さまみたいな顔をしているからかもしれないが、「バカ」という言葉に悪意も侮蔑も感じなかった。

逃げ遅れて死んだ友人がいたとしたら、多くの人を助けて自らは死んでしまった。そんな友人がいたら、俺だってそいつに「お前は偉かった、だけど・・バカだ」と言うかもしれない。バカな友人の死を平野は悲しんでいるのだと思う。

新聞記事見て「問題発言だ」と息巻く自民党の副総裁。ほんとの馬鹿はお前だ。人の心情をあげつらって国会で問題にするぞとは。自民党に政権がいかないのはもっともだ。
まもなく始まる国会で、この発言めぐって空転でもさせようものなら、それこそ大馬鹿だ。吉田茂の「バカヤロー」とは違う。

ついにというか、やっとというか。馬鹿ばかしいものが我が家にも舞い込んで来た。

県民健康管理調査。基本調査問診表。

全県民対象に健康調査実施しますって広報はあったから、いずれ来ることはもちろん知っていましたが。3月11日から3月25日までの詳細な行動記録。3月26日から7月11日までの滞在地と定期的な外出先。

毎日、日記をつけているわけでもなし、手帳に書かれた簡単な予定表くらいしか持っていない。覚えているわけないでしょ。

毎年送られてくる市役所からの「介護調査、生活調査」の類。要するに「なんかやってます」という安易な姿勢。「ここまでやりました」というエックスキューズの具。

カネと労力の無駄。本当に調査が必要な高線量地域にその金と労力まわしなさいよ。亭主の家も、事務所も、郡山のほぼ平均的線量地域。

冗談だけど、3月半ばに原発20キロ圏内に行っていたとでも書けば驚いて、何かしてくれるのか。

3月11日の夕刻以降。覚えているのは壊れて散乱した家具の隙間に身をおいて、やっと調達してきたテレビに見入っていたこと。何日間も。原発爆発の映像見ながら愚にもつかないテレビの解説委員の話を真剣に見入っていたこと。
食い物と水を求めてスーパーに開店前から長い行列の中に身を置いていたことくらい。それがいつの何時かなんて、何時間なんて覚えてもいない。

原発避難者の避難所になったビッグパレットにいつから、毎日通いはじめたのかだって覚えていない。覚えている必要もないこと。

記憶をさかのぼるという作業は、当時のことを思い出そうとすること。心理的負担の方が大きい。思い出したくないあの数日間。

「風化させない」ということとは違う。

当からから亭日乗に、通信手段が回復してから、してもらってから、毎日なんかを書いているけど、それは行動記録とは結びつかない。

記憶の中から消し去ってしまいたいことだってある。思い出したくない光景だってある。

差出人は福島県と福島県立医科大学。一応書いてはみるけれどきっと不正確。

除染が大きな問題、課題。廃棄物処理が難問とされているこの時期に送られてきた「健康調査表」。バカバカしいことの一つにしか思えないのですが。

ストレスでまた首と肩が痛んできました。

2011年10月18日火曜日

「ありふれた記者」

きょうは少し長くなりますが、お付き合いください。

朝日新聞35面。連載されている南三陸日記という欄があります。きょうの記事。南三陸駐在という肩書の三浦英之という記者の文です。記事のタイトルは「彼が最も愛した町で」。以下、書き写します。


震災半年が過ぎ、宮城県警の公葬が終わるのを待って、私は殉職したある警察官の自宅を訪ねた。呼び鈴を鳴らして名前を告げると、短い空白があって、扉が開いた。奥さんは涙ぐんでいた。
遺影の前で両手を合わせた後、食卓に招かれ、いつもの場所に腰を下ろした。駆け出し時代の4年間、私はこの家で毎日のように夕食を食べた。何一つ変わらない居間。警察官だけがいない。
「津波の数日前でした」と奥さんは語った。「三浦さんのことを主人は話していました。きっと立派になっているんだろうなって」。その一言で、こらえ続けていた涙があふれた。
弱い女性や子どもを守る仕事を誇りに思い、警察官としていつも全力で管内を駆け回っていた。「職業は違うが、目標は一緒だ」と何度も肩を叩かれた。
数年後、東京本社に異動した私は、気がつくと、ありふれた記者の一人になっていた。だから、ここに来られなかった。今の自分を見せることが怖かった。
最期は女性を助けようと濁流にのまれた、と聞いた。「どうして」と霊前に問いかけ、彼の口癖を思い出した。「悩んだら、なぜその職業を選んだかを考えろ」
南三陸町は生前、彼が最も愛した町だった。「海も人も優しくてな」。今、変わり果てたその町に住み、取材をしながら、彼の言葉をかみしめている。


亭主はもちろん、この記者を知りません。新聞社の中でどういう職歴を経てきたのかも、なん南三陸に戻ったのかもしりません。変わり果てたその町に住み。短期の仮住まいなのか永住をするのか。わかりません。
それらはどうでみいいことなのであって、彼が「自分」を、「ありふれた記者の一人」と感じた時、たぶん、それは、被災地を見て思ったのでしょうが、その「ありふれた記者だった」という自覚が生まれた時から、きっと彼の書く記事は、いままでと違ったものになったのかもしれません。
世の中でもたはやされる、それこそ、ありふれた言葉、「寄り添う」。うわっつらな言葉だけでなく、彼は被災者に、弱いものに寄り添った、本物の記事が書ける記者になったのだと思います。

彼は「ありふれた記者」でいいのです。彼のような「ありふれた記者」が「ありふれた人々」のことを書く。そこから事の真実が見えてくるのかもしれない。自分がありふれた記者であるという自覚に立たない限り、ありふれた人々のことは書けない。

永田町には「ありふれた記者」が横行しています。首相が“ぶら下がり取材”を受けないということを怒り、ありふれた記者どもが集まっている内閣記者会で抗議文を突き付ける。選んだ職業から垣間見える傲慢さ。

ぶら下がりをしないという批判記事の下にある首相動静。内閣記者会キャップと懇談と書いてある。一時間の懇談。その懇談の内容記事は書かれてないけど。

きのうも首相はインタビューに応じている。少なくとも一週間に一度、首相は会見などでメッセージを発すればいい。それが一方通行でありにしても。

リーダーには言葉が必要です。首相は言葉を選びながら、熟慮の上のメッセージを発するべきです。

県も市も町も。リーダーたちが発する言葉は見受けられない。視察に来た閣僚に「文句」を言うだけ。

県民に、市民に発するべき言葉があるはず。その言葉をありふれた市民、県民は待ち望んでいる。待ち望みながら半年以上・・・。

だから“不信感”だけが醸成される。


ありふれた記者だったから、ここに来られなかった。今の自分を見せることが怖かった。正直な心情の吐露。帰ってきた「元ありふれた記者」を南三陸の人は多分暖かく迎え入れるでしょう。夕食を提供するかもしれない。

マスコミ不信に陥っている亭主を少しだけ救ってくれた駐在記者の一文。

そして思う。亭主もかつて、「ありふれた記者の一人」だったと。今は「ありふれた老人」。

2011年10月17日月曜日

笑えない“光景”

郡山在住の知人の女性。都内で車を走らせていた。本人いわく。「私の運転が下手だったらしいんですけど」。信号待ちで停まったら、隣に並んだ車から降りてきた男に「おい、この~福島、ばかやろ~~」ってすごい形相で怒鳴られたとか。
本人びっくり、同乗の子供は泣き出すし。

信号が替わって走り出すと、その子供が言ったという。「ママ、あの車に頑張ろう東北って書いてあるよ」。

笑えない“光景”と。

きのうテレビでやっていた。都電の「花電車」。荒川区を走る唯一の都電。年に一回の花電車。車両を花で飾る。
その花電車の行き先表示板に書いてあった「がんばろう日本」と。
これも都内の一つの“光景”。

がんばろう福島、がんばろう東北、がんばろう日本・・・。そんな「スローガン」が街に以前あふれている。行き交う車にも、そんなステッカーがよくついている。なんか見慣れた光景になってしまった。

以前は、ある種の「連帯」を感じていた車に貼られたスッテッカー。その「励まし」のスッテッカーは、いつの間にか「ファッション」化してしまたのかもしれない。

とんでもない暴走族が若葉マークをいっぱい貼っているのと同じような。

みせかけの「言葉」や「標語」「スローガン」はもうタクサン。もう、いらない。

亭主も車で、ちょっと体力的に無理だと思うけど、東京に行ってみようかな。
もし、怒鳴られたら三倍返しするんだけどな。

首都圏の車の運転は難しいです。慣れていないと。車の流れに乗らなくちゃいけない。地理を知悉していて、的確な進路変更や意思表示をしなければならない。道路は入り組んでいるし、多数ある・・・。
たとえ、カーナビつけていても都内の運転は難しいものなのです。そしてモタモタしていてはいけないのです。それは規則ではなく都内を走る上でのいわばルールといった類の空気なのです。

それとは別にして。「おい、こりゃ福島」って怒鳴り声の中に感じる底意が憎い。悔しくないけど憎い。

震災・原発事故以前から、事故以来から、東京に行った福島県人よ。都会の水になじんでいるのかな。

車ごと東京に避難した人たちよ。堂々と走りなさい。福島ナンバーで。臆するな。

2011年10月16日日曜日

新聞週間だとか

たしかに、昔からもずっとありました。新聞週間。ま、全国交通安全運動みたいなものと思えばいいのか。

新聞週間には新聞に関する「標語」が募集されます。そして「標語」が決まります。標語―つまり言葉の道しるべということなのか。詮索はともかく。

今年もその週間が始まっています。そして代表標語が選ばれた。

「上を向く力をくれた記事がある」。和歌山県の人の応募作品。新聞協会で選定。

やはり今年は震災関係の標語が多かったとか。

この標語。たしかに「新聞人」を励ますものではあるでしょうが。

へそ曲がり亭主は書き直します。「力をくれた記事もある」と。

新聞週間にあわせて「マスコミ倫懇」。マスコミ倫理懇談会が開かれていました。亭主もかつては参加していた時もありますが。
基調講演聞いて、あとは分科会。役にたったような立たなかったような。

新聞週間に合わせるかのように、新聞は震災・原発事故をどう伝えたかをめぐり「検証記事」「検証特集」が組まれています。仔細には読んでいませんが。

どうも斜め読みしてみると、確かに反省みたいなところもあるが、手前味噌、言いわけぽいとことも。

もっと、もっと検証する必要ありでは。特に、まだ「過去」の出来ごとではなく。「現在進行形」の事がらが多々あつのですから。

上を向く。かつて坂本九が歌った「上を向いて歩こう」。それの延長線か。あの歌は「東北から東京の集団就職で上京してきた“金の卵”を励まし、慰める歌だった」はず。

「上を向く」と言われても、どっちが上だかわからない。何が上だかわからない。そんな被災者達のつぶやきも聞こえてきそう。

震災関連報道だけではなく、さまざまな事象に対して読者が上を向けるような記事を期待するのみ。

ほんと、今ほどメディアの資質が問われている時は無いと。

2011年10月15日土曜日

「臭いものには蓋をしろ」

原発1~3号機が今も放出している放射性物質は毎時2億ベクレルだという。事故直後の800兆ベクレルに比べて約400万分に一だというが。

2億ベクレルという数値の意味するところはわからない。たとえ400万分の1に下がっているといっても放射性物質が放出されているという事実はかわりない。

きのうの郡山の空間放射能の平均値。0,81マイクロシーベルト。この数字の中に、今も放出されている物質の影響はあるのかないのか。もちろん郡山市以外でも同じ。土壌、地表汚染によるものなのかどうか。依然、わからないことだらけ。

原発1号機の原子炉建屋にカバー設置工事が完了。無残な姿をさらしていた1号機がクリーム色のカバーに覆われた。予定よりは遅れての完成。フィルター付きの換気装置があり、放射性物質の濃度を10分の1に低減できるという。
3、4号機はなんと来年の夏以降の工事開始だとか。

臭いものはもとから断たねばダメ。臭いものには蓋をしろ。思わず浮かぶ諺。もっとも臭いものには蓋をしろって諺の本来の意味は、失敗や悪事、人に知られたくない事柄を一時しのぎの手段で隠そうとすることのたとえ。なんか相通ずる意味合いもありかと。

昔あったトイレ洗剤のCMのフレーズ。「臭いにおいは元から断たねばダメ」。こっちの方がぴったりくるかな。でも、元はなかなか断てない原発。

元を断たねばと言っても冷温停止になっても断ったことにはならない。気のとおくなるような時日。

いわゆる風評被害も、デマも、過敏症も、元を断たない限り終わらないかも。

閣僚や政治家の資産公開。東電の株持っている人続々。だから「臭い」とは言いませんが。
長淵剛の被災地激励の歌ではないけれど、♪朝起きたら、国会議事堂に行こう、永田町に行こう、しょんべんひっかけて、口笛吹いてお家に帰ろう♪。

ささやかな「プロテストソング」。少なくとも彼は被災地の、原発避難民の子供たちを励まし、勇気づけた。自衛隊員も。

励ます力を持っている奴らを羨ましくも思う。

2011年10月14日金曜日

吾、不明を恥ず

東京世田谷の高放射線問題。結局、民家にあったラジウム。福島県関係なし。原発に由来したもので無し。日本列島総放射能過敏症候群の中での、言ってみれば“笑い話”。

昨日の当ブログ、迂闊にもマスコミ報道や、例の専門家(学者)さんのテレビコメント聞いて、亭主も半信半疑ながら原発事故のセシュウム飛散、ホットスポットと思い込んだ節あり。

過日の塾で、情報リテラシーを説き、メディア報道の信憑性を疑問視し、メディアの特性として、過剰報道、推測、予測報道の傾向に警鐘をとなえたばかりの身が、つい、罠にはまったような。

慙愧にたえません。不明恥じるのみであります。

報道を詳細に検討し、洗浄しても下がらなかった、地表1メートルの方が高いという点に注目すれば、福島県内のセシュウム汚染の傾向と違っていることに気付いたはず。

お詫びに、近くにあるラジウム温泉にでも行って、首、肩の痛み癒しながら浸かってくるか・・。

自らが不明を犯しておいて批判するのもおこがましいが、やはり、メディアには放射線と言えば即原発という刷り込みが完全に出来上がっていたとしか思えない。

塾でも「放射能」と一口でいうけれど、いったいその中味はーーと言ったばかり。線量計が反応しても、その物質が何なのかは判明せず。現場に行った放射線防護学の先生の計測器は物質を割り出す。

線量計が闊歩する中で、さらに進んだ測定機器を持たねばならないという経験学んだ“事件”。

学ぶと言えば、学校でも放射能の勉強をすることになったとか。大人でもよくわかっていない放射能、放射性物質。ヨウ素、セシュウム、プルトニューム、ラジウム・・・。この際だ。しっかり学んで欲しい。

翻って郡山。塾生や親友が居住している地域。限定的なホットスポット。行政が居住地域までも含めて詳細測定とか。避難勧奨地域に指定の可能性を示唆する報道も。

刈り取った稲わらを燃やす光景あり。それを見た、多分、ミニFM局のパーソナリティーと思う女性の“つぶやき”。「煙が多いからきょうはマスクして外出しよう」って。マスクついでに線量計持って、煙の中に手を突っ込んで測ってきてよ。

とにかく、被ばく問題含めて、冷静で、根拠ある報道をもっと心がけてほしい。
わかりやすい情報開示。改めて望む次第。

きのうどっかで目にした。信州大学発表の福島の子供たちの甲状腺異常問題。
小児学会として、データ解析したところ、原発由来と言えないとの声明。多少奥歯に物の挟まったような、遠慮がちな表現あるが。

今、日本人は「試されている」と。

2011年10月13日木曜日

安全宣言は出たけれど・・・

作付が禁止されていた以外の福島県のコメ。きのう本検査の結果、全部が「安全」のお墨付き。出荷可能と。とりあえずはほっと安堵です。
これで今年も美味い新米が食べられる。

我が家の隣にある田んぼ。数日前から稲刈りが始まっていました。持ち主が違うらしく、全部ではないのですが。

4~5人で釜を持って刈っているところもあれば、コンバインで一気にというところも。きょうは刈り取った後の田んぼの地ならしのトラクターが動いていました。

例年ならば、お、ようやくという見慣れた秋の光景。今年は別。作付の時も、刈り入れの時のその光景がやたら嬉しく見える。まだ、手つかず。稲穂が倒れたままの田んぼもありますが。人手が足りないのか。農作業をやっているひとはほとんどがお年寄りです。腰が曲がったようなバアちゃんが数日かかりの野良作業。

郡山市は福島県の中で、最大のコメの産地です。若干危惧していないでもありませんでした。何ミリシーベルトだとか、なんとかベクレルの「規制」にはまって出荷できないのではないかと。

安全宣言は出されたものの。農家は気が気ではありません。要は買ってもらえるかどうか。JAはいくらで買い上げるのか。流通市場ではどんな値がつくのか。

県外だけではない。県内の“消費者”だって買い控えるかも。

買われてなんぼ。食われてなんぼのコメ。

こっちで安堵していたら、あっちでは危惧も。そう、東京の世田谷区弦巻では毎時3,55マイクロシーベルト。横浜港北区のマンションでは195ベクレルのストロンチュウムだと。そして、千葉県船橋市の公園では5マイクロシーベルト測定だと。いつからあったのか、どうして行ったのか、これらの放射性物質。

いずれも市民団体や地域住民の測定結果を行政が追認という形の様子。区役所や市役所は大慌てでしょう。航空機による「汚染マップ」みれば、予想されていたことという人もあり。隠していた。その議論が再燃。国や行政に対しての追及は激しくなりそう。その怠慢を。

でもね、もはやある意味「汚染列島」。物理的に行政の対処は無理な部分も。福島県も然り。除染も測定もいわば官民挙げて。

世田谷や船橋の線量。年間にすれば1ミリシーべルトははるかに超える。国が責任持つ除染の基準値大幅に超える。国は責任をもってやると言った。この国とは。もはや官民の区別なし。国民というくくりにしましょうよ。非難、攻撃してるだけでは問題解決しない。官民一緒に行動出来て、初めて「国」の意味がわかってくるのでは。

2011年10月12日水曜日

年間1ミリシーベルト

ここにきて、除染問題で、「年間1ミリシーベルト」という数値基準が確定したきた。
環境庁の決定。

どうも、この「1ミリシーベルト」という数字の“意味”がわからない。環境庁の発表を書いた記事によれば、年間の被ばく量とある。被ばくとは。すでに体内に取り込まれているってことじゃないのか。年間だから、来年の三月までの積算をいうのだろうが。

除染の基準ということであれば、空間線量とか、地表に付着している線量を合わせたものだろうけれど、毎日「公表」されている空間線量がどれくらいなら、それをどれくらい「浴びた」ら1ミリってことになるのか。

新聞によっては追加被ばく線量と書いてあるのもある。追加の意味は。すでに、事故以前から自然界にあった放射線。それは除かれているのか、合算されているのか。

しかもここでいう放射線量の中味とは。セシュウムのことだけなのか。

詳しくはホームページへということらしい。それをざっと見てもさっぱりわからん。空間線量何マイクロシーベルトを何時間浴びれば。はっきりわかりやすく説明してほしいと。

ホームページへ、ホームページへ。どこか一種の責任逃れのような気がする。理解が難しいことを「記載」してあるということだけで説明は果たされているとでも思っているのか。

学者の意見や政府、行政の発表を、わかりやすくするのが、インタープリンターとしての役目を持つメディアの使命。なのに、わかりやすい解説や図式は、このところお目にかかっていない。
垂れ流し。そして、あとは無意味な非難、批判に紙面や時間を費やしているような。

既存メディアからネットメディアまで。ツイッターからフェイスブックまで。世の中、情報にあふれている。真偽や正当制はともかく。情報過多ともいえる時代。だけどねーー。少なくともパソコン持っていて、それなりの操作能力ある人ってどれくらいいるの?

パソコンない高齢者家庭はうじゃうじゃある。仮設住宅だってそう。市役所の広報誌は月一回。せめて回覧板ででも、あまねく知らせるべきじゃないのか。放射能下の暮らし方や数字の読み方を。

高度情報化社会の中にあって、情報過疎の人たちがいることお忘れなく。既存メディア、新聞・テレビの使命だと思うのだが。

週刊こどもニュース、復活しないかな。
中身や意味がよくわからないまま、「数値」だけが独り歩きしているような。

2011年10月11日火曜日

あれから7カ月

大地震、大津波、原発爆発。
そう、あれからきょうで7カ月。210日以上。

時間軸は、時間の哲学は人によって違う。1分という時間は誰にとっても1分であり、1時間は誰にとっても同じ1時間なのだけど。

嫌なことの時間は長くかんじるのか。楽しい事の時間は短くかんじるのか。

原発周辺は、事故当時の惨状がほとんどそのまま放置されている。時間は止まったままと言っていいだろう。

きのう、常磐線の久の浜駅と広野駅間が開通したという。

避難所はすべて閉鎖された。「格差」はあるものの、仮設や借り上げ住宅など、仮の住まいは出来あがった。それを喜ぶ人も、嘆く人も。

うずたかく積まれたがれきの山。行方は皆目見当もつかない。

福島ではようやく除染が、健康対策が緒についたような。

すべてを遅しとみるか、ようやくと見るか。

テレビはもはや何事も無かったかのように、若い女の子が歌い、踊り、お笑い芸人の類がなにやらはしゃいでいる。“番組”の話しだけど。
こんな番組を見ているのはつくづく時間の無駄だとも思う。

取り返せない時間なのに。

亭主にとっての7カ月。震災そのものはずいぶん前のような気がしてくる。しかし、現実。放射能が降る中で、放射能が沈殿したなかで、それと闘っている人達、それらと「共生」を余儀なくさせられている人達と、きょうも話し合っていく。

7カ月。何が変わって、何が変わらなかったか。元に戻ったのか、元に戻ってないのか。堂々巡りのような思考・・・・。

「人々の悲しみや苦しみを癒してくれるのは歳月。それを日にち薬という」。そう言っている仏者もいる。果たしてこの一語ですべてが納得できるのか・・・。

新たな問題も次々と浮かんでくるようでもあり。

2011年10月10日月曜日

「安心材料」なのだ

人間、60歳も過ぎると、いや、40歳かな。からだのどこかには“異変”が生じるものです。高血圧、糖尿などなど含めて。

企業では社員の健康診断や人間ドッグを義務付けています。多くの知人、友人がよく言います。「健康診断が近いから酒はやめておく。塩分も控えめにしている」と。診断の結果「異常なし」。その晩から大いに飲み始める。たらふく食う。

そんな人、周りにいませんか。いや、あなた自身も。いつものように生活していて「検査」というのが正しい値の意味だと思うのですが。

「異常なし」のお墨付きをもらうための健康診断、人間ドッグ。

亭主も企業人の時は「半強制的」にドッグに行っていました。生活習慣、全く変えずに。幸い異常無し。

通常、病気の症状が無い限り、健康診断は「安心材料」を得るためのものなのなのです。検査によって癌が発見されたって例もありますが・・・。

福島県のこども達、18歳以下。36万人対象にした甲状腺検査がきのうから始まりました。
超音波による放射性ヨウ素の検査。甲状腺の異常検査。もうとっくにヨウ素は無くなっている。原発事故から8日間の被曝の問題。

異常が有れば検出されるのは4~5年後といわれるが、いち早く知りたいという要望での検査。検査することにこしたことはありませんが。

とにかく親は子供が大丈夫かどうかの「安心材料」が欲しいのです。そして検査は生涯継続して行われるということです。「もしかしたら・・・」。そんな不安を子供たちは大人になっても持ち続ける。屈託のない笑顔で検査している子供たち。内心は・・・。

線量の数値はともかく、もうすでに「被曝」してしまっている。その現実を親は冷静に受け止めないと。親としての不安は噛みしめてこらえ、子供にやたら「不安感」によるストレスを与えないこと。それが肝要かと。
過日の鎌田實先生による福島の子供100人にたいする検査結果。何人かに“異常”ありとか。今度の事故が原因かどうかは不明と。誠実な情報公開だと。

それを聞いた、知った“専門家”さんの一部が、“曲解”しての危険論展開。鎌田先生、不本意かも。

“病気”を発見するためではない。安心材料を提供するための検査、検査、ガラスバッジ。福島の子供たちの現実。

2011年10月9日日曜日

日にち薬

子供の頃、戦後。いろんな病気に罹っていました。風邪はもちろん、トラフォームやちょっとした怪我など。

医者はどこも混んでいました。やっと薬を貰って・・・。即効性無し。
祖母がよく言ってました。「日にち薬や」と。

日にちが経てば治るということでしょう。「寝てる間に治るんや」とも。

亭主の首、日にち薬が効いているのかどうか。激痛は治まりましたが、首が重かったり、肩は凝るし背中は痛いし。腰にもきそう・・・。

医者も整体院も言う。「そのうち徐々によくなりますよ」。日にち薬の効果に期待。

原発事故、放射能汚染。目下の急務は除染、除染。目途が立っているような、いないような。
加えて、廃棄物や土壌の処理問題。まったくもって見当つかず。

効能期限あるかどうかの日にち薬。

友人の民生委員氏が言っていました。各地の避難先まわっての話し。
「飯舘村の人は、明るい表情を見せる。浪江の人は暗い」。飯舘の村長は、とにかく2年で帰村という目標を明示した。村民感情は様々だろうけど、一つの目途に、いささかの希望を見出している。日にち薬の効能か。

いつになったら、いつまで我慢すれば・・・。目途、目標は大きな指針。
「戻れない。戻りたくない」。そんな県民も増えているとか。

「引き裂かれる福島」。新聞の見出し。引き裂かれたら治療方法無しじゃないの。
日にちがそれを戻せるのか・・。

2011年10月8日土曜日

ささやかな”反乱”

秋晴れの土曜日。
ジャージ姿の子供たちと行きあいました。首から線量計ぶら下げている。
亭主は首に輪っかはめている。

郡山でもやっとというか、ついにというか。小中学生にガラスバッジが配られ、生活調査票なるものが渡されました。

2万9、663人。父兄も大変です。特に生活調査。半年以上の前の記憶。無理です。毎日こまめに日記でも付けていない限り。
この日がわかっていて数カ月前から記憶をたどっていればともかく。

そして、思い出したくない記憶の数々。子供たちにとっても、父兄にとっても。

調査票やガラスバッジを受け取らなかった人が3,986人いるそうです。13,3%の、ささやかな“反乱”。

今更、放射性ヨウ素ならとっくに半減期すぎているのに、通学路などの除染も進んでいるのに、測定するメリット無し。ガラスバッジを身につけて、首から毎日ぶら下げて、放射能を意識した生活を送らせる精神的負担を秤にかけたら・・・。管理されているみたいで嫌だ。それらの理由。

反乱じゃないね。正当だね。

NHKはもちろん、ローカルニュースはガラスバッジつけた子供を追う。映す。それを報道することの意味は、意義はまったく伝えられず。掘り下げられていない。

バッジが配られたことで、放射能過敏反応症候群に罹っているおかあさん達は、複雑な心境に。

バッジで測った結果は通知される。きわめて曖昧な数値で。で、その後どうするの、どうなるの。年間1ミリシーベルト越えだったら・・・。

文部科学省とやらは市町村の問題と。出された数値に対応はしないと。何のためのガラスバッジ・・・。

話はそれるが、公明党の松あきら参院議員が国会で“虚偽質問”。会津若松の小学校で「福島の牛乳が飲めないなら、お前は福島県民じゃない」と先生が言ったという発言。これ「嘘」でした。そんなことなかった。でもこの質問に飛びついた有名タレント教授。専門家。すぐさまブログで怒りの声。それ見て反応した母親多数。福島県郡山でも。

聞いた会津若松教育委員会が調査。事実なし。猛抗議。

結果、そんな先生いなかった。発言なかった。松センセイ、訂正して発言撤回だとか。噂の類を出ない出所不明の情報による国会質問。問題をこじらせるだけ。

思い出すなあ。民主党大混乱だった偽メール問題。

2011年10月7日金曜日

「国」とは・・・

「それは国の責任だ」「国が責任をもって除染します」「国が責任をもって対処します」。

国と県、市町村。いずれにしても行政組織が機能していないと何も成り立たない。民が動くと官からすぐ規制の網がかかる。

国の責任。その言葉を聞くたびに国とはなんだという問いにぶち当たる。
内閣のことなのか、行政組織、官僚組織、国家公務員という職にある人やその組織を指すのか。国会議員という立法府までもその概念の範疇に含まれるのか。

少なくとも、国会という国権の最高機関は全く機能してないに等しい。常に与野党という構図の中で、党利党略というか、それ以下の党内自略で物を考え動いている奴らのなんと多いことか。

国というのは、もしかしたら、この国土に一億人以上が住んでいるところを言うのじゃないかと。

今、この時期になって、こんな時代になって「国」という概念や形をどうとらえ位置付けるのか。そんな一つの分岐点に立っているような気がする。

去年放映された倉本聡のドラマ「歸國」を考える。60年経って、異国の海底に眠っているはずの“英霊”たちが、ある日東京駅に降り立つ。許された自由時間の中で“英霊”たちが見た平成という名の、自分たちが歸へることを望んでいた國。こんな国になっているなんて、こんな国のためにおれたちは死んだのか。

彼らが歸へりたかったのは、日本と言う故郷、國。「国」では無かった。
漢字遊びをしているのではなく、國が国になってから、この国は安逸をむさぼり、平和ぼけした人たちの寄り合い所帯になってしまったのではないかと。

アップル社のCEO、ジョブ氏が亡くなった。21世紀文明に彼が寄与したものは大きい。だから、人々は、少なくとも「ネット」にかかわる人たちは彼をカリスマと呼び、信奉し、その死を悼んで、涙を流す人もいれば、ipadの液晶画面にローソクの灯りを掲げて死を惜しんだ。

カリスマでもない、貧しく、名もない多くのこの国の人たち。被災にあった人たち。慣れない生活を強いられ、満足な医療も受けられず死んでいく高齢者たち。

多くの人のために何かを為した人と、何も為さなかったけど、真っ正直に生きてきた人たち。人の一生に対して彼我の差ありや。

きょうも亡くなっているであろう何人かの震災犠牲者。原発復旧作業にあたっていた人の死。その人たちの「死」に対して、この「国」の人たちのどれくらいが思いを馳せているのだろうか・・・。国の責任は・・・。

2011年10月6日木曜日

放射能過敏症候群

コノゴロ巷にはやる病です。放射能過敏症。どうもつける薬は無いようで。

きょうの朝日新聞にあった記事。いや、びっくり。なんと橋桁までも嫌われた。
郡山の業者が作った橋桁。大阪の河内長野市の橋梁工事に使うもの。

例によって登場する周辺住民。「放射能汚染の恐れがある橋桁使うな」と申し入れとか。

まさか原発の爆発現場から持ってきた鋼材じゃあるまいし。震災以前に完成、搬入をしようとしていた時の震災。橋桁納入できずに工事中断だったとか。

測定して問題なければ使いますと府の担当は言ってるようだけど。

仮に付着していても高圧洗浄かければ一発でOK。橋桁食べる馬鹿もいるまいに。

なら、原発に行っていた消防車や警察車両、自衛隊車両。原隊復帰ダメということなの。

そういえば、どこかに避難した原発地域の車。一時帰宅したあと、その避難地域の周辺住民や役場が密かに測定していたとか。一応所有者の了解とったということだけど。

亭主、きわめて冷静です。冷静なれどあまりの無知には、その過敏症という病気には、もうばかばかしいって感じ。

そして、世の中の空気を支配するような、「空気さなぎ」のような匿名の周辺住民というものが気になる。そうとしか書きよう無いのか。匿名故に何も特定できないのか。ほんとうに周辺住民かいって。

安心・安全神話に飼いならされたような日本人の歪んだ精神構造が見えるような。

歪んでいるのは亭主の首だい。もっと書きたいけどここでやめておきます。

で、きのうコメントいただいたtacoさま、s-shinさま、顔文字さま、相変わらずコメントが返せません。ゴメンナサイ。暖かいお気持ちに触れて感激です。

「マウスから手を放せ」ってtacoさまの忠告あったので、この辺で。

2011年10月5日水曜日

「病名」いただきました。

全く予期しなかった病名、疾病。肺腫瘍以来いただいた病名。想定外。

「頸椎ヘルニア」ということで。

医者に話したことも含めて「供述」すると・・・。

先週土曜日の朝起きると、首から肩にかけて凝り固まったような痛み。それが、やがて首や肩の神経に「電気が走る」ような激痛に変わり。

「痛ツ」「痛ツ」の大声連発。

一か月ほど前にも凝りから来たであろう首、肩の痛みありで、なじみの整体院へ。寝違いだろうということで電気と超音波数日でやりすごしていたのですが。

今回も整体院へ。なかなか快方に向かわず。整体の先生曰く。MRIで検査したほうがいいかも。で、おなじみ坪井病院でレントゲンとMRI。時節柄なにかと問題の放射線検査と磁気共鳴。

坪井先生の写真をみての見立て。頸椎ヘルニアでしょうね。亭主も写真覗きこむ。たしかに神経の管が首のところで崩れている・・・。

紹介された整形外科へ。MRI画像のやりとりで焼いたCDがうまく再生できずなどあり、きょう、生写真持って整形外科へ。

てな経緯でありまして、首には「カラー」と称するあのむち打ちになった人がする輪っかはめ。痛み止めなどの薬服用。痛み止めと眠剤で夜は寝られているのですが、痛みの影響か、上腕から指先までが冷たくしびれ。時々箸を落とすし。

実はこのキーボード打つって作業もものすごく辛いのです。とくに昨日から。
特に「カラー」してのパソコンは辛い。目の位置が違ってくるから。

とりあえず「安静」を心がけて。とはいうもののやらねばならぬこと多々。

あの避難所の段ボールハウス。床にごろ寝。亭主と同じような症状になった人も多々ありかと。

という現状報告なのでありました。星三ついただきました、どころか、病名いただきました。

2011年10月4日火曜日

行脚の場所が違う

あの史上最低の宰相、菅直人が四国八十八か所のお遍路さんを再開したという。
それが、さも「公約」と言わんばかりに。
何処に行こうと勝手だが、マスコミは彼を追う。話題にする。それも「好感」をよせるように。

そして菅は記者団に言ったという。「震災からの復興と原発事故が収束するように祈った」と。
祈ってどうにかなるなら誰でもやる。こういうのを「馬鹿もやすみやすみ言え」と言う。

顔見たくない、見たくない、見たくないなら・・・を連呼した菅。帰ってくるな、帰ってくるな、戻ってくるなと言ってやろう。

原発事故の対応のまずさが今日のこの事態をまねいていることは明白。退陣を拒み居座ったことが復興、復旧にむけての対策の遅れを招いたことは間違いなし。脱原発を口先だけでいい、世間を惑わすし。

お遍路結構ですよ。まさに趣味の世界に入った奴。細川護煕を相似たり。

行脚するならまず被災地でしょ。詫びる気持ちがあるのなら。被災地一戸、一戸を回る。仮設の一軒一軒を回る。顔を見たくないって人もいるかもしれないが、それが本当のお遍路の旅だ。

霊場回りはいわば自分のため。未だ利他の心持ち合わせぬ菅とお見受けしたのであります。

怒りが収まらない昨今。ついに亭主の体調にも異変生じております。何があっても数行でも書き続けますが・・・。

2011年10月3日月曜日

「安い給与」のこと

先日の国会“論戦”。朝霞の公務員宿舎建設問題で、NHK出身の安住財務大臣が珍答を。
「私もNHK時代、給料が安いので社宅に住んでいました」。
永田町ではこの人のことを「ちびっこギャング」って呼んでるそうだけど、馬鹿を言うのもほどほどにしたら。NHKの給料が安い???。おふざけではありませんよ。高いのです。
平均年収1,000万超え。社宅を常備している放送局はNHKくらい。民放では転勤に伴う単身赴任などで借り上げ社宅って制度がないわけじゃないけど。

財務大臣さまのこの金銭感覚。おまけに被災地出身なのに、どうもいただけない。ちなみに国家公務員の平均年収は658万円。それを平均7,8%引き下げってことが言われていたけど、人事院勧告は0,23%の減に。

国会議員の歳費。4月から減額していたけど、ほとぼり冷めたと思ったのか、今月からは元に戻しての満額支給。月129万円。

NHKばかりを責めるのはよそう。民放だってとんでもない年収。幹部は億。

新聞社だって、社によって差はあるものの、そこそこの高給取り。金持ちメディアがこぞって公務員の給料カットして被災地支援しろの大合唱。金持ち同士の蹴り合いかい。

テレビ常連の「識者」のギャラがいくらかはしらないけど、半端な金額ではないはず。

かくして、金持ちが「貧」を語るという不可思議な図。

埼玉県坂戸市の公衆トイレにおいてあった現金1,000万円。「東北の人にあげてください」。増税論議で国民の味方のようなふりをしてキャンキャンわめいている御仁よ。メンツの張りっこしてる時ではない。被災地復興には、原発被害者救済にはなんたって金がいるんです。悔しいけれどカネなんです。何をするにしても。もっと知恵出さんかい、汗かかんかい。

そしてきょうもNHKは義援金募集の告知を流している・・・。で、野田さん、新しい“社宅”の住み心地はいかが。

そして朝霞の宿舎建設、5年間凍結だとか。凍結ってのは「再開」ありでしょ。じゃ臭いものに蓋みたいじゃやありませんか。

2011年10月2日日曜日

そしてマスコミはリードする

昨日の続きのようですが・・・。

天声人語に不満を言わせてもらえるなら、野田を仏頂面って表現していたこと。
何をもって仏頂面とうのか。
偉そうにしている記者さんたちだって仏頂面じゃないのか。それは政治に対してだけでなく、つとめて、社内など身辺のこともあろうからと拝察。

脱原発と唐突に言いだした菅。突然朝日新聞は菅擁護の論調に変わった。言うだけなら誰でも言える。そしてまさしく震災後、常に仏頂面をさらしていた。

有る日突然。“盟友”なのか。孫正義主催の集まりで、まさに破顔大笑。高笑い。
「顔を見たくない、見たくないってやつらがいる。本当に見たくないならこの法案を通せばいい。これからはこれでいきます」。あの笑顔。その時以来、菅を本当に嫌いになった。保身のために高笑いしている時期ではなかったのに。

この男の本性見た思い。

震災後、被災地の人達、避難している人達は、皆、国のリーダーの言葉を待っていた。菅の口からは発せられなかった。国民を安堵させ、力付ける言葉は。

そのころ人々は「言葉」に飢えていた。「この言葉を支えにして生きる」。そんな本が書店に並んだ。古人の言葉の羅列・・・。

リーダーの言葉を待っていた。しかし、それこそたまにしか開かれなかった記者会見での発言は避難指示とか、国民を疑心暗鬼にさせる言葉だけ。

「脱」を言い出したらメディアの風向きが変わった。無意味な言葉に寄り添うマスコミ。

危機の際、リーダーはつとめてメッセージを発しなければならない。何回も記すが、飯舘村の村長が、なぜ外国の雑誌に、優れたリーダーとして取り上げられたのか。理念と目標を具体的に語ったから。人心を安堵させようとしたから。

野田に告ぐ。ぶら下がりなどに応ずる必要なないけれど、毎日とはいわないけれど、やはり自分の口で、自分の言葉でメッセージを国民に発し続けなさいと。

朝霞の公務員宿舎について野田が会見で喋った。「現地に行ってみて判断する」と。別に現地に行かなくたって判断出来ること。何をみたいのかわからない。
記事になると、この発言をカギカッコで結び、見直しを示唆したとなる。

既成事実を作る。示唆したあとはそうしないと「裏切った」呼ばわりするのがマスコミの常。自分達の予測、推測がはずれると、その攻撃は激しい。しかも集中砲火のように。

鉢呂の死の町発言もそうだった。言葉をカギカッコで書いて、そのあと。
「進退問題に発展することも予想される」。

こんな記者の“願望”込めた一行に野党も飛びつく。「辞めろ」とマスコミがリードした辞任劇。

なにかといえば「財務省主導」。まるで悪のように。「財務省の幹部がほくそえんでいた」と“解説。誰なんだいその人って。記者が勝手に作り上げた幹部談だって有りうる。

なんでも「リード」したがるマスコミ。

被災地を書く記者の、たった一人の人間を書いた言葉の方が世の中には伝わる。
ちゃんと氏名を乗せた小さな怒りの声の方が。

途方に暮れている人まだまだ多数。国のメッセージも無い。県知事の言葉も無い。メッセージが発せられていない。

リーダーから発せられないメッセージ。発する言葉も持たない指導者。何も見えない中で、半年以上。

秋空も憂いを含んでいるような。

未だ、いただいたコメントに書き込みできません。ゴメンナサイ。

2011年10月1日土曜日

マスコミの”驕り”

ここ数週間か、いや、もっと以前から。マスコミがこぞって声高に政権批判の材料として書いたり、言ったりしてたこと。

総理大臣が「ぶら下がり」に応じない。転じて、国民を無視してる、直接語りかけない。

「ぶら下がり」という嫌な“業界用語”。これまでのそのいわれなどは書いてきましたが。「囲み取材」という社もあるけれど。

総理番の若い記者が、歩く首相を「捕まえて」、あるいは「立ち止まらさせて」の問答。幹事社を思われる社の記者が、あらかじめ仲間内で打ち合わせた質問をメモにして読み上げるように問う無機質な質問。あらかじめ決められていた場合はテーブルが置かれ、ICレコーダーが山を成し。

ほとんど意味のないような数分間のインタビュー。棒読みの質問には棒読みで答えてやればいい。

鳩山はまでに公邸から官邸に行く際に立ち止まってそれに応じていた。つい“失言”。墓穴を掘る。

野田政権になってからのマスコミ論調。野田はぶら下がりに応じない。けしからんの一点張り。

それこそ金魚のうんこみたいにぞろぞろ後を付いて回るあなた方は何者の、何さまのつもり。はい、経験談踏まえての揶揄です。

天下の政治記者が、まるで犯罪をおかした芸能人の車に大声で何かを怒鳴っている光景と同じ。

通り一遍の雑駁な問いかけにいちいち答えてはいられない。国民の代表ぶるのはやめてよ、マスコミさん。

知性はコラムと認識してきた朝日新聞の天声人語。その天声人語氏までが付和雷同。
「立ち話のぶらさがり取材を拒み、報道陣の声掛けには無言」とこき下ろしている。記者会見もきのうがようやく三回目だとも。

声掛けに無言がいけないなら、それこそフェイスブックじゃないけれど、「おはようございます。総理、今朝のお気持ちは」って大声を掛けられたら「いいね!」ボタンをクリックすればいい。

どっかの社の誰かが「安全運転」と書けば翌日からの紙面はどこも「安全運転」。
まさに、皆で渡れば怖くないの世界。

だからどの紙面見ても同じ論調。ま、社説なるものではいささか違いのある社もあるものの。

以上、この論、決して野田擁護には非ず。世の中動かすのは俺たちだ、私たちだって多いなる勘違いをしているマスコミ諸兄への嫌み。そして怒り。

天声人語の下にあった本の広告。「しつこい怒りが消えてなくなる本」とあった。読んでみようかな(笑)。

しつこい怒りは亭主の中ではもろもろ消えませんよ。