2011年10月30日日曜日

「二極化」ということ

どうも日本人というのは二極化が好きなんだと。都会と田舎。東京と地方・・・。

加害者と被害者。もちろん原発事故は人災そのものであり、加害者は東電と国。被害者は国民という区分けは当然なのですが。

放射能が拡散され、さまざまな問題がではじめてから、どうも福島県民は加害者、その他の地の人は被害者のような意識の区別が生まれ始めた。
意識の区別は差別につながる。

福島県を中心とした農家は、生産者は、本来被害者であるはずなのに、いつの間にか加害者的立場に置かれ、消費者という人達は被害者的感覚を持つようになった。

本来、生産者と消費者は「二極対立」にあるものではなく、共存共栄のはずであったのが。

その根底にあるのが、「悪者」を作りたがるという傾向。悪者を作ってそれを攻撃することでしか物事を解決できないという風潮。
特にメディアに見られる傾向。

農産物の場合、双方がどこかで「折り合い」をつけようとする冷静な意識が芽生え始めてはいるが。積極的に両者の「壁」を取り除こうと行動する人達もいるが・・。

今、話題のTPP交渉。環太平洋経済交流協定。賛成派、反対派の二極化。極論ではあるが、消費者側は賛成、生産者側は反対という構図にまとめられてしまっているような。

お互い、歩み寄る気配とて感じられず。対立先鋭化という感じ。まさに二極化の一つの「縮図」かとも。

「にっぽんは一つ」。その概念は誰しも共有しているのに、さまざまな事案で生まれてくる二極分化。それを基にした論争。時には感情的なものまで。

二者択一的選択を日本人はとかく強いられてきたような気がする。

世の中の空気や流行りもそうだった。でありながら、日和見、ノンポリ人口のなんと多いことか。

原発にしても、TPPにしても、透けて見えるのはアメリカという国の存在。

たまさか時を同じくということだろうが、震災後、この国はちょっと難しい国になったなって思いがしてきていて。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...