「それは国の責任だ」「国が責任をもって除染します」「国が責任をもって対処します」。
国と県、市町村。いずれにしても行政組織が機能していないと何も成り立たない。民が動くと官からすぐ規制の網がかかる。
国の責任。その言葉を聞くたびに国とはなんだという問いにぶち当たる。
内閣のことなのか、行政組織、官僚組織、国家公務員という職にある人やその組織を指すのか。国会議員という立法府までもその概念の範疇に含まれるのか。
少なくとも、国会という国権の最高機関は全く機能してないに等しい。常に与野党という構図の中で、党利党略というか、それ以下の党内自略で物を考え動いている奴らのなんと多いことか。
国というのは、もしかしたら、この国土に一億人以上が住んでいるところを言うのじゃないかと。
今、この時期になって、こんな時代になって「国」という概念や形をどうとらえ位置付けるのか。そんな一つの分岐点に立っているような気がする。
去年放映された倉本聡のドラマ「歸國」を考える。60年経って、異国の海底に眠っているはずの“英霊”たちが、ある日東京駅に降り立つ。許された自由時間の中で“英霊”たちが見た平成という名の、自分たちが歸へることを望んでいた國。こんな国になっているなんて、こんな国のためにおれたちは死んだのか。
彼らが歸へりたかったのは、日本と言う故郷、國。「国」では無かった。
漢字遊びをしているのではなく、國が国になってから、この国は安逸をむさぼり、平和ぼけした人たちの寄り合い所帯になってしまったのではないかと。
アップル社のCEO、ジョブ氏が亡くなった。21世紀文明に彼が寄与したものは大きい。だから、人々は、少なくとも「ネット」にかかわる人たちは彼をカリスマと呼び、信奉し、その死を悼んで、涙を流す人もいれば、ipadの液晶画面にローソクの灯りを掲げて死を惜しんだ。
カリスマでもない、貧しく、名もない多くのこの国の人たち。被災にあった人たち。慣れない生活を強いられ、満足な医療も受けられず死んでいく高齢者たち。
多くの人のために何かを為した人と、何も為さなかったけど、真っ正直に生きてきた人たち。人の一生に対して彼我の差ありや。
きょうも亡くなっているであろう何人かの震災犠牲者。原発復旧作業にあたっていた人の死。その人たちの「死」に対して、この「国」の人たちのどれくらいが思いを馳せているのだろうか・・・。国の責任は・・・。
2011年10月7日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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