2011年10月27日木曜日

「ゼビオ」移転とか・・・

郡山市に本社を置く「ゼビオ」。東証1部上場企業。紳士服の会社でしたが、最近はスポーツ用品の販売大手として知られています。

そのゼビオが本社機能を県外に移転するという話が。メディアも伝え、町の話題にもなっている。

原発事故の影響で海外企業との商談や人材確保などの面で支障があるとの判断だからという。

もっとも今すぐではなく、場所含めて検討中ということらしく、2年以内に結論を出すということらしいのですが。

ゼビオは昔、「サンキョウ」という洋服屋さんでした。初代社長の諸橋廷蔵氏がいわきから郡山に出てきて作り上げた会社。いわきでももちろんサンキョウという洋服屋さんでしたが。

昭和50年代から60年代にかけての話。本社ビル、所在地にちなんで「朝日に灯台」ともいわれました。大きなビルが60年代初めに建ったわけですから。

初代社長の諸橋廷蔵さんは、2003年、ハワイで不慮の死をとげられました。後継が今の社長の諸橋友良氏。女婿です。

なぜか初代の廷蔵氏とは昵懇の間柄でした。夜、自宅近くの飲み屋で飲んでいて電話がかかってくる。「来られないかい」と。「う~ん、今ちょっと」と答えると、「いいよいいよ、忙しいなら」と電話を切る。でもその声を読み取る亭主。来てほしんだ、なんかしゃべりたいんだ。会合抜け出し、彼のいる飲み屋へ。

その嬉しそうな顔。結果は愚にもつかない世間話、よっぱらいのお付き合いでおわるのですが。

いわきの出身でありながら、彼は郡山に骨をうずめました。

裏磐梯に諸橋近代美術館というのを作り、彼が所蔵していたダリの作品を中心にした美術館。ダリの収蔵では世界一かもしれません。商工会議所の副会頭をつとめ、良い意味での異端児ぶりを発揮し、郡山の経済界発展に寄与した人。

地元、郡山とのマメな付き合いを欠かさない人でした。

震災、原発事故での「移転話」。報道によれば本社機能の一部は郡山に残し、四千人余りのパート従業員の雇用も確保するということですが。

噂話が飛び交った頃、知り合いのゼビオ社員に聞きました。「いや、ある意味リスクの分散ですよ。郡山から移転するわけないじゃないですか。現在自家発電装置の設備も建設中だし」という答えでしたが。

報道の一部にはこうあります。諸橋友良社長談。「企業の成長を考える上で、郡山市には再投資できる環境が整っていない」。意味するとこがいまい不明。

たしかに、今は仮設住宅が建っている県有地に本社や総合運動施設をつくるという計画があり、それがなんらかの理由でとん挫したとは聞いていたが。

市との軋轢も背景にあり、「原発」という絶対的理由を口実に「新たな成長」を目指すという思惑もあるのかもしれませんが。

先代社長との交遊も含め、現社長も知らぬ仲ではなし。亭主にとってゼビオという会社には、かっての仕事上のお付き合い含め、思い入れが多すぎる会社なのですが。

6千人近くの社員抱えた大企業が、これから先を考えて「移転」という選択肢をとることは致し方ない経営判断だともおもいうものの。

「あのゼビオでさえ移転しちゃったんだよ。郡山はもう終わりだね」。そんな話が全国各地で起きることの方を危惧する。

郡山の一つの象徴だった三菱のオーディオ工場も地震の影響で半壊。閉鎖だとか。

リスク分散のための一部移転だとしても市の税収に影響大かも。

大震災、原発事故。その余波は、まだまだ広がるのかも。

亭主の着るものは、ほとんどゼビオで購入したものです。

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