2011年10月19日水曜日

「バカ発言」と「バカバカしい事」と

俺だって死んだ友人に、死体に、遺影に、弔辞で。何回も「バカ」と言ったことがある。親しければ親しいほど「バカ」と言いたくなる。

「俺にこんな悲しい思いをさせやがって。俺より先に逝くなんて。俺にこんない辛い思いをさせやがって。家族を残して・・・」。どんな生き方をしてこようが、どんな死に方をしようが、それに対して「バカ」という言葉を発するしかないのだ。馬鹿と違う。バカ。それは日本語が持つ感情表現として、限りなく許される、ある意味、もっとも相応しい情緒としての言葉なのだ。

可愛がっていた部下。優秀な部下。あえて、愛情を込めて彼を今でも「バカ」と呼んでいる。限りなく親しみを込めて「バカ」と呼んでいた。彼は今でも、電話してくると「バカですが」と自ら名乗る。日本語の奥深さなのだ。

平野復興大臣が、講演で津波で死んだ、逃げ遅れて死んだ友人のことを「バカ」と言った。バカな奴がいたと言った。
その「バカ」という言葉だけを取り上げて新聞記者は問題だと書く。テレビでその発言を聞いた。確かに、あの平野という男、無表情でお公家さまみたいな顔をしているからかもしれないが、「バカ」という言葉に悪意も侮蔑も感じなかった。

逃げ遅れて死んだ友人がいたとしたら、多くの人を助けて自らは死んでしまった。そんな友人がいたら、俺だってそいつに「お前は偉かった、だけど・・バカだ」と言うかもしれない。バカな友人の死を平野は悲しんでいるのだと思う。

新聞記事見て「問題発言だ」と息巻く自民党の副総裁。ほんとの馬鹿はお前だ。人の心情をあげつらって国会で問題にするぞとは。自民党に政権がいかないのはもっともだ。
まもなく始まる国会で、この発言めぐって空転でもさせようものなら、それこそ大馬鹿だ。吉田茂の「バカヤロー」とは違う。

ついにというか、やっとというか。馬鹿ばかしいものが我が家にも舞い込んで来た。

県民健康管理調査。基本調査問診表。

全県民対象に健康調査実施しますって広報はあったから、いずれ来ることはもちろん知っていましたが。3月11日から3月25日までの詳細な行動記録。3月26日から7月11日までの滞在地と定期的な外出先。

毎日、日記をつけているわけでもなし、手帳に書かれた簡単な予定表くらいしか持っていない。覚えているわけないでしょ。

毎年送られてくる市役所からの「介護調査、生活調査」の類。要するに「なんかやってます」という安易な姿勢。「ここまでやりました」というエックスキューズの具。

カネと労力の無駄。本当に調査が必要な高線量地域にその金と労力まわしなさいよ。亭主の家も、事務所も、郡山のほぼ平均的線量地域。

冗談だけど、3月半ばに原発20キロ圏内に行っていたとでも書けば驚いて、何かしてくれるのか。

3月11日の夕刻以降。覚えているのは壊れて散乱した家具の隙間に身をおいて、やっと調達してきたテレビに見入っていたこと。何日間も。原発爆発の映像見ながら愚にもつかないテレビの解説委員の話を真剣に見入っていたこと。
食い物と水を求めてスーパーに開店前から長い行列の中に身を置いていたことくらい。それがいつの何時かなんて、何時間なんて覚えてもいない。

原発避難者の避難所になったビッグパレットにいつから、毎日通いはじめたのかだって覚えていない。覚えている必要もないこと。

記憶をさかのぼるという作業は、当時のことを思い出そうとすること。心理的負担の方が大きい。思い出したくないあの数日間。

「風化させない」ということとは違う。

当からから亭日乗に、通信手段が回復してから、してもらってから、毎日なんかを書いているけど、それは行動記録とは結びつかない。

記憶の中から消し去ってしまいたいことだってある。思い出したくない光景だってある。

差出人は福島県と福島県立医科大学。一応書いてはみるけれどきっと不正確。

除染が大きな問題、課題。廃棄物処理が難問とされているこの時期に送られてきた「健康調査表」。バカバカしいことの一つにしか思えないのですが。

ストレスでまた首と肩が痛んできました。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...