2011年10月23日日曜日

二つの“英雄”の話し

リビアのカダフィ大佐はかつて革命を成し遂げ、王制を倒した英雄として称えられた。権力の亡者となった故か。あわれな末路。

独裁者を民主主義が倒した。そんな一語で語れることなのか。

メディアはこぞって言う。「アラブの春」だと。春とは何を指すのか。アラブ地域に春夏秋冬があったのか。新芽が吹く春という季節や事象があったのか。

人類の行為を自然になぞらえるのはいかがなものか。人類が何をしていようとも、何に苦しんで、何に悲しみ、怒っていようとも。自然の行為は無関係なのだと。季節は人の意思は反映しない。

歴史上、英雄と呼ばれた男達の最後を思う。炎上する城で腹を切った男。断頭台の露と消えた男。歴史に名を残した英雄もあれば、歴史から抹殺された英雄もいる。

いっときの英雄は、決して永劫の英雄ではない。

されど、されど。人は時代に英雄を求める。探す。ヒーローを待ち望む。

かつて「英雄」として称えられた男が消えた日、日本ではあらたな「英雄」が、表彰されていた。名付けて「フクシマの英雄」5人。東京電力福島第一原発の事故に立ち向かった自衛隊、警察、消防の代表。スペインのノーベル賞といわれるアストウリアス皇太子賞。

受賞者の一人、当時の双葉警察署長は言う。「福島県警では5人が殉職しています。ほんとうの英雄はこの5人です」と。

津波の中、恐怖に震えながら防災無線のマイクを話さず海にのまれた若い女の子がいた。
中国からの研修生を助け、自らは波にのまれた紡績会社の専務もいた。

職務を全うした。彼らも偉大なる「英雄」なのだと思う。他にもいる。隠れた英雄たちが。

彼我の英雄論を語るに非ず。真の英雄は名もなき人達の中にいるのだと。その人たちの墓碑銘にはぬかずきたいと。墓碑銘が語る言葉があったら、その言に信をおこうと。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...