2011年10月12日水曜日

年間1ミリシーベルト

ここにきて、除染問題で、「年間1ミリシーベルト」という数値基準が確定したきた。
環境庁の決定。

どうも、この「1ミリシーベルト」という数字の“意味”がわからない。環境庁の発表を書いた記事によれば、年間の被ばく量とある。被ばくとは。すでに体内に取り込まれているってことじゃないのか。年間だから、来年の三月までの積算をいうのだろうが。

除染の基準ということであれば、空間線量とか、地表に付着している線量を合わせたものだろうけれど、毎日「公表」されている空間線量がどれくらいなら、それをどれくらい「浴びた」ら1ミリってことになるのか。

新聞によっては追加被ばく線量と書いてあるのもある。追加の意味は。すでに、事故以前から自然界にあった放射線。それは除かれているのか、合算されているのか。

しかもここでいう放射線量の中味とは。セシュウムのことだけなのか。

詳しくはホームページへということらしい。それをざっと見てもさっぱりわからん。空間線量何マイクロシーベルトを何時間浴びれば。はっきりわかりやすく説明してほしいと。

ホームページへ、ホームページへ。どこか一種の責任逃れのような気がする。理解が難しいことを「記載」してあるということだけで説明は果たされているとでも思っているのか。

学者の意見や政府、行政の発表を、わかりやすくするのが、インタープリンターとしての役目を持つメディアの使命。なのに、わかりやすい解説や図式は、このところお目にかかっていない。
垂れ流し。そして、あとは無意味な非難、批判に紙面や時間を費やしているような。

既存メディアからネットメディアまで。ツイッターからフェイスブックまで。世の中、情報にあふれている。真偽や正当制はともかく。情報過多ともいえる時代。だけどねーー。少なくともパソコン持っていて、それなりの操作能力ある人ってどれくらいいるの?

パソコンない高齢者家庭はうじゃうじゃある。仮設住宅だってそう。市役所の広報誌は月一回。せめて回覧板ででも、あまねく知らせるべきじゃないのか。放射能下の暮らし方や数字の読み方を。

高度情報化社会の中にあって、情報過疎の人たちがいることお忘れなく。既存メディア、新聞・テレビの使命だと思うのだが。

週刊こどもニュース、復活しないかな。
中身や意味がよくわからないまま、「数値」だけが独り歩きしているような。

“チェルノブイリ”異聞

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