2011年10月31日月曜日

「小さな善意」と「小さな使命感」

去年の暮。まだこの国が「平和」だった頃。一時、「タイガーマスク運動」が大きな話題となっていた。10個のランドセルから始まったタイガーマスク現象。
マスコミは連日その報道に明け暮れ、タイガーマスクはそれに“便乗”するかのように、事前告知まがいのことまでして、日本中をその渦に巻き込んでいた。

動機がなんであれ、それが一つの善意であったことは間違いない。手放しで称賛する気にはなれなかったが。

震災後、タイガーマスクは現れなかった。津波の痕跡の中から数多くのランドセルが泥まみれになって発見され、それをアップで捉える映像に人々は涙したが。

タイガーマスクは現れなかったが、匿名の“善意”が登場した。埼玉の公衆便所に1千万円。青森県でも四千万円。被災4県に送って欲しいと。

匿名氏が何者か。メディアはそれを追わない。いや、もちろん追う必要はないことだ。でもどこか消化不良。

金額が大きいが。小さな“善意”である。その“善意”の報に接すると、なぜかほっとする。あしながおじさんの物語のようにも思える。不可解な部分は多いとしいても。

そしてカネにまつわる話題として言えば、インサイダー取引で妻のせいにしてカネもうけをたくらんで、カネを手に入れた現職の高級官僚もいる。
カジノに会社の大金をつぎこんで平然としている正真正銘の大馬鹿な経営者がいる。

原発事故の風評被害に苦しむ福島県の農家を応援しようと、首都圏の大学生が学園祭で福島県の野菜を売り、豚汁を作ったという。これらの学生のグループ名は「復興のひかり」だとか。

学園祭は短期間で終わるもの。しかし、そこで体験した、小さな善意は彼らの今後の行動に大いに影響するはず。それに参加したことで、得たものは大きいはず。
週末ともなると福島の地に来て「除染作業」手を貸す人たちもいる。

もはやメディアはあまり取り上げなくなったが、ボランティアという名の善意は息ついている。

数か月前に「結成」された「福島原発行動隊」。収束作業を志願する元技術者たちの“善意”。善意というよりも、一つの“使命感”。政府も東電も無視し続けて来た。

しゃにむに福島県入りした行動隊のメンバーは、いわき市の久の浜のがれき処理や側溝の除染を手伝ったといいう。そして、モニタリング講習に参加して、年内には原発周辺の線量調査に参加出来るようになったという。
彼らの使命感の後ろには家族の善意と決断がある。

こういう人たちがいることがうれしい。

小さな“善意”の積み重ね。タイガーマスクだって、小さな“善意”だったのかもしれない。

人の“善意”を語りながら、何もしない、出来ない亭主・・・。

2 件のコメント:

TACO さんのコメント...

亭主さま
思い出しました。安岡正篤が引用したHow to do goodとHow to be good。経済学者ケインズの『我が若き日の信念』の中に在ったそうです。How to be good is much more important than How to do good.思うにタイガーマスクや匿名の4千万円よりも亭主さまが嘆いている「俺は何にもしない、出来ない」その心が大切なのだろうと・・・。
もちろんタイガーマスクさんもトイレにお金を置いてくれた人の善行は「徳」として賞賛に値します。

亭主 さんのコメント...

tacoさま
いろいろありがとう。ご教授。今週末は安岡教学の会あり。ちと浮世離れでもしてきますか。日本精神通義だったかな。
それにしてもつかれますな。汚染だ、瓦礫だ、再臨界だと。テレビは連日、テーペーペーだし・・・。

2018年の「秋思譜」

時代にそぐわないようですが、なぜか「西暦」が苦手なんです。 気が付けば21世紀も18年が経ったという事。 20世紀と21世紀では何が変わったのかということ。 1999年12月31日から2000年1月1日。日付を跨いだが月日はなんだらだらと過ぎているような気がする。つまりだ...