被災地はどこまでも“食い物”にされる。金儲けの手段とされる。官と産が一体となって。政は、その「現実」を知っていながら見て見ぬふりをしている。
そんな現実を改めて突き付けられた今日の朝日新聞の記事。「除染」を巡る。
一面と、いわゆる社会面を飾った記事。見出しを列挙する。
手抜き除染横行。回収した土、川に投棄。
これで除染か。洗浄水垂れ流し/漂う無力感・・・。
取材は楢葉町、飯舘村、田村市の一部で行われたという。写真や動画付きだから、事実だと思う。
除染が「国家プロジェクト」として始まった去年から、その作業の発注先や、効果などについて、すでに多くの疑問や疑念が出されていた。それらが、杞憂で無く実際だったということ。
警戒区域や立ち入り禁止区域、それの隣接する区域の除染は、すべて大手のゼネコンに発注されている。前田建設、大日本土木、大成建設、大林組、鹿島など。
総額6、500億円にのぼる環境庁所管の国家プロジェクト。そこでは、現場では、“契約通り”の除染作業は行われず、「手抜き」が横行していたという事実。
剥いだ土や木の葉は、川に投棄されていた。それを指示していたのが「現場監督」。社員か元請けかはいざしらず。手抜きどころではない。立派な詐欺行為である。
「やっぱりな~」。亭主の感想、そして、今朝ちょっと話した“地元”の人の感想。
新聞は署名入りで書く。「国家プロジェクトへの信頼は崩れた。一日も早く戻りたいと期待する住民にとどまらず、巨額予算を支える国民全体への背信行為だ」と。
郡山市でも2011年から始まって去年一年間、そして今年と、「除染」が市の一大プロジェクトとして進行中である。
市議会議員は言う。「政権が変わったから除染作業は加速しますよ。役人も動きますよ。瀬川さんの家の方も、今年度予算で行われますよ」と。それはそれで歓迎だ。正しく除染作業が行われるのなら。
除染事業に携わっていた人が言う。「高圧洗浄機の除染、あれは意味がないことに気づきましたよ。隣家の壁に付いた水は線量が高くなるし。要するに除染じゃなくて移染です」と。
除染に対する彼の考え方は変わった。
亭主の事務所の隣は、金融業をしていた。いつの間にか社名が変わり、除染業者に変わっていた。どこかの下請けに入っているのだろう。
郡山市はゼネコンだけではなく、市が指定する業者が担当しているはず。地元を中心とした。
そして聞く。「除染で儲かった」という業者の話を。
だから、朝日新聞が書いた除染の「インチキ」。いまさら驚くことではない。予想されたことだから。しかし、現実を突き付けられるとやはり愕然とする。
金儲けのための食い物にされていることの。
それがこの国の形なのだと。
たまたま数日前、郡山にロケに来た映画監督と出会う事が出来た。そして、この除染の「インチキさ」について熱くかたりあったばかりだったから。
手抜きやインチキをしないで、地元の業者にカネが落ちるのならそれは結構。しかし、今は、最早、今行われている手法は役に立たない除染だということがはっきりし出しているということ。
東京に本社を置くゼネコンがカネを持っていく、しかも数多くの「ピンはね」があって。まさに原発の構図と同じ。原発はどこまでも「ピンはね」の構図で成り立っている。
朝日新聞よ、ここまで書いたのなら徹底的に書けよ。あばけよ。環境省の知らんぷりを糾弾しろよ。政治に目を向かせろよ。
「モラル欠如の問題だけじゃない。山間部から市街地まで一律に除染して元の暮らしを取り戻すという政府の構想は非現実的だ。これは今の除染の行き詰まりを示す重要なサインである。ゼネコン任せの除染が住民のニーズに合うか。巨額予算の使い方として妥当なのかどうか。現実に即した在り方を政治が決断する時だ。アリバイ作りの除染では意味が無い」。新聞はそう書く。その通りだ。
しかし、それを「問題提起」だけで終わらせてしまうのが、マスコミの悪い癖。
マスコミ不信を取り除くために、これからどう書いて、何処を責めて行くか。