2013年4月2日火曜日

“国民栄誉賞”に覚える猜疑心

長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞を受賞するという。きのうのニュース速報以来、マスコミはメディアはこぞってこれをビッグニュースとして取り上げ、いや、ビッグニュースに仕立て上げ、おめでたいという国民の声を拾い、まさに狂喜乱舞の態。

長嶋が嫌いなわけではない、松井が嫌いなわけでもない。しかし、なんで、今、この時期に、この二人。

意図を感じる。それは何か。東北の被災地から、原発事故で苦しむ福島県の現状から目をそらさせるためではないかという意図。
スポーツ選手が政治に利用されているのではないかという危惧。

国民栄誉賞は、毎年選ばれなくてはならないという物ではない。昭和52年に王貞治が受賞し、翌年には古賀正男が受賞した。そのあとは8年後の長谷川一夫だ。しかも、古賀も長谷川も“没後受賞”だ。

何も安倍政権をだけ言っているのではない。民主党政権下でも、ナデシコがあり、レスリングの吉田沙保里があった。

「明るい話題」に日本中が湧いた。被災地の人達もそれを喜んで歓迎した。
彼女達は、被災地出身者もいれば、被災地支援に尽力してくれたから。
そして、それらは時宜にかなっていたこともある。

なんでこの時期に唐突に栄誉賞なんだろう。猜疑心が頭をもたげる。

被災地の現状から目をそらさせたいのではないかという・・・。
あの「3・11」は無かったことにしたいとするような。

決して“偏見”ではない。

国民栄誉賞の規定にはこうある。
「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な功績があったものについて、その栄誉を讃える」と。

もし、この国が東北の被災地、原発被災者を忘れ無いというのなら、そして、そこの立ち直りを願ってくれているのなら、規定にある明るい希望を与えた人達が被災地には入るはず。それも、若い子ども達に。

没後受賞だってある。流されるまで防災無線の放送を止めなかった若い女性、海に向かって悲しみのトランペットを吹き、看護師になる決意をした子・・・。

追悼式で、日本の未来を語った若い“遺族”。

この子たちを国が表彰してあげることに、なんの異があろう。いや、そうしてこそ、被災地の人達は「前へ進める」のだと。

功なり名遂げた人が表彰の対象なのか。違う。
この国は「生まれ変わること」を“宣言”したのだから。無名の人を表彰することが、どれだけ多くの人達に力を与えることになるのか。

無条件に二人の“受賞”を喜んでいる人達を見ていると、やはりこの国は「思考停止」に陥っているのだとも思う。

繰り返す。長嶋や松井を悪しざまに言っているのではない。裏に“ナベツネ”の影があるのではないかという詮索もしたくない。

またも放たれた「めくらまし戦術」。そんな猜疑心を抱くボクは決して間違っていないと思う。

仮設にいる大のプロ野球フアンの爺ちゃんも言っていた。なんか別世界の話しみたいだな・・・と。戸惑っていた。

被災地住民だけでへない。原発の事故拡大を阻止しようと決死の奮闘をした自衛隊や東京消防庁の職員。彼らだって十分表彰に値すると思うのだが。

いちいち目くじら立てる亭主がおかしいのか・・・。

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