2011年9月20日火曜日

反核・反原発運動と被災地と

原発事故の影響で計画的避難区域となり、今も高い放射線量が計測され、村ごと避難させられた飯舘村の村長、菅野典雄さんが一冊の本を書いた。

「美しい村に放射能が降った」。福島市に移転した役場で書いた本である。その中に書かれている彼の考え。

「本村はこの事故のみをきっかけとして“反核の旗手”になるつもりはない。むしろ飯舘村が、原子力事故における放射能汚染被災地の範となって、復旧・復興を果たすことが、福島県をはじめとする東北地方、さらに日本にとって最大の利益となり、もって世界の範となるものと考える」。

ちょうど、この本を読んでいる途中、きのう、東京で大規模な反原発集会が開かれたというニュースを見た。呼びかけ人はノーベル賞作家の大江健三郎さんら著名人。参加者は主催者発表6万人。警察発表2万7千人。

原発事故の「象徴」でもあるひまわり。ひまわりの花の色を模した黄色いTシャツ姿の人たちが会場を埋め尽くしている。やがてデモ行進。プラカードやシュプレヒコールには、言葉の使いようは様々ではあるが、「反原発、脱原発。反核」。

放射能で汚染され、人々が避難した「死の町」への思いは見当たらなかった。今の「フクシマ」への“言及”は見かけなかった。参加者にはもちろん福島県人もいたと新聞には書かれているが。

思想・信条としての反原発運動。デモというよりパレードのような行進。その頃県内では川内村への一時帰宅が行われていた・・・。

思想・信条と現実の間にある微妙なかい離。

飯舘村は原発によって何らの恩恵も受けていない。少なくとも村独自では。菅野村長は言っている。2年間で住民を村に返したいと。返すと。

飯舘村の住民だれしもが原発はいらない。反対だと言っている。思っている。しかし、被害者としては「最大」に比すような生活を余儀なくさせられても、今は「旗手」になるつもりはないと言っている。今やることは「村の除染以外にない」と。もちろん飯舘村の子供たちもほとんどが内部被曝している・・。

福島県は放射線アドバイザーとして長崎大学の山下俊一教授を招へいした。福島大学の副学長への就任を要請した。山下氏は長崎大学を辞めて福島に来た。

生まれ故郷に住んでもらいたい。住んでほしい。そのためにどうするか。彼の信条の一つ。そんな中での彼の発言の一つが反核の市民団体の逆鱗に触れた。
「山下をリコールしろ。辞任を求める」。学者やジャーナリスト、弁護士。さまざまな知識人が顔をそろえて記者会見した。辞任を求める署名運動をやると。

リコールに必要な署名は有権者の3分の一。数万人の署名を集める、集まると市民運動家たちはのろしを上げた。締切期限を延長につぐ延長させた結果が集まった署名は6千六百人。

山下氏は福島に身を置いてきょうも働いている。市民運動家たちは、少なくともメディアには露出しなくなった。

反原発。脱原発、もちろん大賛成である。しかし、今、福島に生きている人たちが欲しているのは、スローガンではなく、身近な「除染」、それだけなのである。

微妙に違う二つの「空気」。そのはざまで亭主の頭はまたもや混乱してくる。

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