永田町や霞が関では「大いなる勘違い」がますます勢いを増しているような。
「どこどこ新聞のなんのたれべえ」という名刺を持っていれば誰とでも会えるし、誰もがそれなりの扱いをする。国会バッジと通行証さえ持っていれば鑑定の中でもどこでもはいれる。
たまたま入った新聞社。たまたま配属された政治部。たまたま入ったテレビ局。たまたま配属された報道局。言ってみれば、たまたまなった“特権階級”。名刺なければただの人なのに。バッジ持たずにうろうろすればただの“不審者”かもしれない。
大いなる勘違いを起こした記者さんたちは、「日本を動かしている」みたいな錯覚に陥る。あげく自分たちの書く記事が世の中にどういう影響を与えるかに考えが及ばない。
縦割り行政。それがこの国の統治機構として様々な弊害を起こしているとマスコミや学者が言う。それはその通り。
マスコミ界はいかに。編集局、あるいは報道局。その中に政治部、経済部、社会部、外報部などなど「部」が存在し、まさに縦割り報道をやっている。
社会部や地方部、地方支局の記者。被災地に飛び、被災者と時には寝食をともにし、被災者目線に立った記事を書く。生の声を伝えようと努力する。
東京のいる政治部や経済部の記者。大臣同行などで被災地や原発地域に行ったとしても目線は大臣に向けられ。
原発視察から帰って来た大臣捕まえて、感想聞く。あげく、その場に居合わせなかったのに、「仲間うち」から聞いた話をさも自分が取材したかのように、あやふやな記事を書く。書かれた仲間は追随する。
縦割り報道。東京のマスコミ村。縦割りで書かれた記事の数々がその日の新聞を作る。紙面全体を見回すと一貫性の無いことしばしば。
なにも今回の鉢呂辞任劇にだけ限ったことではない。
新聞で言えば、一面の報道が正しいのか、同じ一面でもコラムが正しいのか。二面が正しいのか、三面が。社会面が・・・。
憶測、伝聞を含めて数々書かれる匿名記事。ニュースソースは常に秘匿だし。
記者会見では、辞めると決まった人にはまさに罵詈雑言。
「お前、何さまのつもりだ」。
総理大臣の前では聞きたいこともきけず。及び腰に終始しているのに。小沢の前ではまるでお追従のように、おどおど話を聞かせてくださいって感じで接しているのに。
マスコミ人としての矜持はどっかに消し飛んでいる。
「ぶらさがり」なる奇怪な問答のありなしで総理大臣を採点し。ぶらさがりなるものの語源御承知か。
ぶら下がる。それが始まったころの自虐的取材形態だったのを。極端に言えば、一本のマイク、通常はNHK。そのコードに先にコードをぶら下げて録音した手法。そしてそれは、下世話に言う立ち話。
数日前、テレビでやっていた、あの震災翌日に手書きの瓦版もどきを出した石巻日日新聞。そこの記者が言っていた。「ジャーナリストじゃないですよ。ローカリストですよ」。その若い記者の言葉に信を置く。過去の亭主の自戒を込めて。
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
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新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
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そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...