2011年9月7日水曜日

専門家を専問家と呼ぶ

専門家という人達が、やたらにテレビに登場している。3・11以降。専門家とは大体が学者。
テレビだけではない。新聞も然り。

日本人の“悪い癖”。専門家と称する人たちをやたらと珍重する。その人たちの発言に心服する。

専門家と言わない時は、「なになにに詳しい」という肩書きを付ける。

この基準がわからない。主婦を家事の専門家と称するが如し。

原子力の専門家。放射線の専門家。食品安全の専門家。

おしなべて言えるのは、「危険」をことさら言い立てる人ほどメディアにもてはやされる。
本屋にうずたかく積まれたこれら専門家と称する人たちの本。「危険」「危ない」の連呼。新聞の広告では「何十万部突破」。その本を買って読まない人は“バカ”だといわんばかり。

印税稼ぎで本を書いているとまでは言いませんが。

とのかく困るのはこの専門家と称する人たちの言っていることが正反対だったり、けなし合ったりしていること。言うこと「てんでんこ」。
3・11以降、いや原発爆発以降、一貫して持論を展開してきた人も、途中で変節した人も。

テレビのニュースバラエティーみたいな番組に出て、芸能人と一緒になってニヤニヤ笑いながら放射能の恐怖を言い募る人。

変節漢の一人、中部大学とやらの武田という教授。いつのまにやら先鋭化した危険論者に。

関西のテレビで言っていたとか。「今、東北で農作物を作るのは間違い」って。例に挙げたのは岩手県一関の放射線量。

東北の農家の人たちがどんな思いで農作物を作っているのか。放射線量の過敏にまで反応し、必死になって「安全」な食を提供しようと歯をくいしばて頑張っている。生計が立ちいかなくなる農家も多数。

十羽ひとからげに言うようで恐縮だけど、「安全基準」なるものも、役人と手を組んであんたたち専門家が作ったもの。だから農家の人たちはその基準値を守り、それを唯一の拠として作物を作っている。

それを「作るのは間違い」という言い草はないだろう。間違いという言葉の先には罰がある。

本当に専門家と言える人がいるなら、その人たちがやること、言うことはただ一つ。どうやったら「安全」のなるかということ。

国会で「7万人の福島県民が流浪の民と化している。国は何をしているんだ。何もしていないじゃないか」。そう、怒髪天を付くかのように言った東京大学の児玉龍彦という専門家は、時間があれば福島県入りし、除染活動に汗を流している。同じ大学の助教授小出裕章は「50キロ圏内に住むなんてありえない、すぐ避難すべきだ」と声高に言う。「家や庭は除染出来ても森や山は出来っこない」と突っ放し。

どっちに立つかはそれぞれの勝手。

そんなに専門家が多いのならテレビも新聞も人選よく考えたら。いや、考えたのでしょう。番組制作意図に沿うような専門家を呼ぶことを。

こう言っちゃ失礼だけど、過激であるほどテレビは売れる。

最近、専門家を専問家と言うことにした。門の中に口を入れる。口先ばかりで役に立たないという皮肉を込めて。

なんで亭主が専門家と称する人々にある種の敵意を見せるのか。ここ郡山市の大きな病院から逃げ出した医者が看護師がいるから。それも押取刀で。残った医者は言う。「医者として恥ずかしいことです。あるまじき行為をしてくれました」と。医者という専門家だって、それだけの知見しかない。逃げるという。

自分達の言っていることが、どれだけ影響を与えるか。知っていて、いや、受け狙いで言いたいことを言う専門家と称する人たち。

原発を作っておいて、事故が起きるやいなや、いや、原発は危険なんですと性懲りも無く言い出す専門家。世間の「空気」を察知して、それに迎合して身の処し方を考える。

あらゆる分野でそんな専門家がいるから、日本は危うい国になる。かつて経験してきたはずなのに。空気に乗っかって戦争への道をひた走って来た過去。

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