2011年9月30日金曜日

何気ない子供の言葉に

放射能による食物汚染。ますます広がる傾向。いかんともしがたし。ネットの書き込みや、基準値超えたセシューム検出された二本松の米。「絶対出荷するな。それはお前たちが食え」などの匿名メールが市役所に殺到とか。

除染よりも集団疎開したほうがいいなんて真顔で言う識者も。

学校の給食ももめている。どんな食材が使われているかわからないという親の不安。信じるしかないのだけど。弁当持たせる。こどもは怪訝な表情。なんでボクだけ弁当なの。親は説明に苦労する。
友達みんなと同じが良いと子供は思う。

下手をすると子供の世界で「いじめ」の原因にもなる。大人は大人で「いじめあって」いる。

こと放射能に関しては、寄り添うことよりも離れることを選択する。

そんな中、笑えるようで笑えない子供の言葉。

「大人はあの世とか、この世ってばかり言っているけど、今、僕たちが生きているのはどっち。間の世?」大人は答えられない。

「原発って電気作っていたところでしょ。なのに、なんで、そこが電気無くなって爆発するの?」。素直で当然すぎて大人は即答できない。

こどもの素朴な疑問は、まだ数限りなくあるだろう。それらに「冷静」に「わかりやすく」説明できるように大人はもっともっと能力を高めなければ。

放射能から逃げているんじゃない。避けているんだ。こどもにそう教えなさい。
逃げるというここと避けるということの意味をちゃんと教えなさい。

親がうろたえれば子供もうろたえる。

放射能をめぐって連日の数値化報道。なんでも数値化。それしか尺度がないからか。
「自分のことばかり考える大人」、「みんなが」と考えるこども。震災後に改めて知った子供のこころの耳目の鋭さ、鋭敏さ。そして感性。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...