きのうは東京で講演してきました。霞が関ビル。懐かしの場所。永田町・霞が関、おいらの昔の縄張りだ。
そこで行われた三井不動産主催の「防災フォーラム」。元岩手県知事、総務大臣だった増田寛也氏と一緒に「基調講演」。
その増田さん、実は彼の父親、増田盛さんとは、かつて交流があった。盛さんが参議院議員だった時。その話をしたら彼びっくり。「父親のことを言われたのは初めてです。父親ご存知のジャーナリストに出会ったのは初めてです」と。「いや、それは単に年をとっているってことだけですよ。それにワタシはジャーナリストじゃありません。ローカリストです」と答え二人で爆笑。
彼は再三地元入りしている身。見聞きした現実をもとに、市町村や県の限界を越えている。国がもっともっと前面に出て、責任、責務を果たすべきと。
高台移転、産業振興の街づくりに対して国が大きな絵を描いて実行すべきと。
そして復興に向けての「人間力」がいかに大事かと言及・・・。あらら、人間力使われちゃった。亭主が言いたかったことなのに。
亭主、とっさに話の内容変更。「3・11の数日前に主宰している塾で、便利さがもたらすものという話をした。塾生に便利になったと思うものは何だと聞いたら大半が携帯電話だと言った。震災が起きたら携帯は全く使えなくなる。まさに”情報途絶”。パニック。その環境に置かれることの覚悟を」と。
そして計画的避難区域に指定され、ほぼ全村避難となった飯舘村の話を。「飯舘村ってご存知ですか」。あらら、反応無い。
地図で説明。原発からの距離から始まって。日本一美しい村が放射能に汚染された。持参した本。「までいの力」。以前、さんざん書いたけど。
震災後発刊された本。震災前に書かれた飯舘村の菅野村長のメッセージを紹介。「私たちの村がすすめているまでいライフの大きなメッセージは、暮らし方を少し変えてみようではないかということだ。戦後一貫して大量生産、大量消費、大量廃棄によって作られてきた今日の日本経済のスピードを少し緩めて、走っている人は歩く、歩いている人は立ち止まる。立ち止まっている人はしゃがんでみる。そうすると足元の花の美しさが見えてくるような気がする。もう一つのメッセージは、人と人とのつながりを深めよういうことだ。他の国に誇れる日本人の国民性は”トラさんクマさん醤油貸してよ、味噌がなくなったのよ”という関係であったはずだ。戦後一貫して効率一辺倒、スピーディーにお金が全てという価値観で進めてきた結果、人と人との関係が希薄になり、自分さへよければ病になってしまった。お互いさまの”までいの心”が必ずや新しい日本を再生する基礎になると思う」。
書きあげた数日後の震災、放射能。このメッセージは、その精神は生き続けている。いや、事故後に通用している・・・。そんな話を。
全村避難を決め、村役場移転の日、菅野村長のあいさつ。「除染や雇用確保などにあらゆる手を尽くし、2年後、全員でこの村に帰ってこよう」。
その後菅野さんは言っている。なんで2年なのかを。1年は無理だ。3年では長すぎる。村がバラバラになる。中をとっての2年。何の確証もないけれど、村民に”希望”を持ってもらうのが願いだと。そして、自らに課した期限だと。
いろいろなフォーラムで顔見知りだとか。増田氏と菅野村長。2年の話は知らなかったと。「勉強になりました、立派な発想ですね」と。
講演で話してみてもあらためて菅野村長のリーダーとしての資質に惹かれる。人口6007人の村長のリーダーシップ。人口200万人の県知事のリーダーシップ。彼我の間にあるものは・・・。県知事の強いリーダーシップを持ったメッセージを県民は聞いたことがない。
飯舘村には「までい大使」という人がおられるとか。著名人も含めて。亭主はにわか「までい大使」をやってきました。
講演の最後にこう付け加えました。「までい大使の一人が、なんでこんな美しい村に放射能が降ったんでしょうかねと言った。村民の一人が答えた。いや、この村だから降ったのですよ。もし、神様というものがいたら、この村ならきっと立ち直れると思ったからでしょう」。
村民のことを、人をまず主眼において行動する村長。その村を誇りとする村民。
こんな話が都会の人たちにどれくらい受け入れられたか。
久しぶりに歩いた東京。足が疲れました。棒のようです。
2011年9月28日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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