2011年9月21日水曜日

天災があまりにも多すぎる

「いったい、今年はどうなっているんだい」。近所のおじさんとの会話。もちろん天災のこと。大雨のこと。

台風15号の災害。「88年生きてるけどこんなこと初めてだ」。住民は茫然としたようにつぶやく。

テレビが伝える氾濫寸前の川の模様、濁流。繰り返し流される映像みていると、どうしても3・11の津波がだぶる。

避難の呼び掛け。とるものもとりあえずの避難所。あの避難所の光景も3・11とだぶる。

「もうたくさんだ」。空に向かって叫んでも雨が止んでくれるわけでもない。

今年は天災が多すぎます。

台風のことは台風に聞け。津波のことは津波に聞け。そんな茶心のような侘びさびみたいなことも言っていられない。

名古屋の被害。100万人に避難勧告といわれたが、どこか行くところあったのだろうか。

同じような雨量が東京に降って荒川や江戸川が氾濫したら・・・。ぞっとします。
あげく土砂崩れ。高いところが安全というわけでもない。
地下に造られた近代都市。水が流れ込んだら・・・。

今夜からはこっちにも来るらしい。強い風が仮設の屋根を吹き飛ばさないのか。
大雨が原発に降ったら汚染水はどうなる。風で汚染された瓦礫が飛んだらどうなる。
せっかく復興の兆しが見え始めた宮城や岩手の沿岸部は・・・。

たしかに、たび重なる天災の経験で、情報が伝えられるのは早くなったし、人力でできることは、それなりにやっている。逃げるしかないってこともかなり浸透した。でも、でも・・・。

人知ではあがらえぬ天地、雨土の仕業。

インフラ含め、日本経済はますます疲弊すること必死。

大げさなようだけど、歴史はこの平成23年をなんと記すのか。

「もうよっぱらだ」。郡山弁。「もうたくさんだ」。きょうも思考が停止しそう。

明日になれば台風一過か。床上浸水した家屋を洗い流す住民の姿、年寄りの労苦に、またまた3・11直後を思う。

天災にも立ち向かい、生き抜かねばならないのが「宿命」なんだろうけれど。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...