「村」から多くの言葉を学んだ。福島県相馬郡飯舘村。計画的避難区域に指定され、ほとんどの村民が避難、移住。その飯舘村にあった言葉。「までい」。「までいの心」。丁寧に真心こめてというような意味。村民達に代々受け継がれてきた村の気風。村の掟。までいの心はお互いさまという生き方になっていく。
お互いさま。その気風があったからこそ、長い避難生活、避難所、仮設の生活を耐え、我慢している、我慢出来るのが福島というところの県民性。
少なくとも、この村からは「までい」という言葉を学んだ。美しい言葉として。
もうひとつの村。原子力村。政治家、電力会社、学者、霞が関、マスコミ。そこには独特の言語が存在している。「ただちに健康に被害を・・」「いますぐ健康に被害を・・・」。「いまのところ・・・」。
そして突然現れた日本語。水棺、石棺。マイクロシーベルト、ベクレルなどなどの耳慣れないカタカナ語。知っているのが当然と言わんばかりにマスコミはそのままたれ流す。
発災。これも官僚用語、「村」用語なのだろう。政治家の口からこれが出た時、瞬時、意味がわからなかった。
原発を語る時、専門家という学者達は好んでカタカナ語を使う。仮に彼らが日常使っている言葉だとしても、普通の人には、いや、それを一番知りたがっている人には理解不明のカタカナ語。かつての居住者だった学者達も同じ。村言葉をためらいもなく使う。マスコミは“ただちに”迎合する。
いわば業界用語である。科学者が難解な言葉を使うこと、発すること。それは平易な言葉で、子供でもわかるような言葉で伝えられない、つまり、何もわかっていないのではないか。言葉とはそういうものである。
最近、汚染が深刻化を増している中、またしても「難解」なコトバに出会った。
ND。放射性物質の測定。未検出を意味するという横文字の略語。農家の人達も、受け売りのように使う。ND,NDと。なんと言う英語の略か。答えられない人が多い。Not detected の略。Detectedとは知覚、識別と訳す。
難解な言葉が生まれるごとに、問題の解決も難題となっているような気がする。
安易にカタカナ語がつかわれる度に。
「までいの力」。その言葉が“再生”したのは、スローライフを取り入れようとした時、その意味がわからなかった村民が、説明を聞いた時にこう言ったからだという。「なんだいそれは俺達が昔から言っていた、“までい”じゃないか」と。
2011年9月26日月曜日
“チェルノブイリ”異聞
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