2011年9月23日金曜日

底なし沼の電力マネー

お彼岸の中日。台風一過の秋晴れ、各地。後始末に懸命の被災者。まるで沼の中から引き上げられてきたような家。泥を出し、洗い流し・・・。

大地震で倒れ、壊れた墓石は数知れず。近所の墓地も未だあの時のままといった光景。
今回の水害でもそうだった。あの地震の時もそうだった。避難が遅れた、避難しなかった。「ご先祖さまに申し訳ない」。一時帰宅の人がまず持ちだしたのは位牌。住めなくなった故郷を思う心の多くが、先祖代々の土地。「日本精神の研究」の究極の課題。死者への想い、位牌、墓。

お盆の時もそうだった。倒れたままの墓石に水をかけ花を手向けての供養。信仰という表現とはちょっと違う習俗。

亭主の家の墓は東京八王子。墓参ままならず。彼岸花を買い求め、仏壇へ。せめてもの供養、手向け。

水害や津波で流されてしまった墓も多いという。埋葬されている骨もどこかに沈んだ。

墓参かなわぬ原発避難区域の人達。仮設住宅の中に活けられた小さな彼岸花。

原発マネーというか電力マネーというのか。学者やメディアに「撒かれた」金、よくぞここまでと言えるくらいの「底なし沼」。

直接的ではないにしても、いや、あえてそういう「トンネル」や「迂回ルート」を巧妙に作って渡されていた金。

原子力賠償紛審査会の委員、学者に報酬が渡されていた。よくぞそこまでという感じ。

返納したと委員の学者は強弁する。審査に影響は与えないと強弁する。しかし、やはり中立性確保という審査会の在り方からすれば由々しきこと。なんであろうと被害者は審査会の結論に疑義を抱くは必定。その委員が「中立」の立場を貫いたとしても。
不信、不信、東電の対応に不信の連鎖が続いている時。賠償請求書類の高飛車な態度や強圧的言葉に怒りが湧き、突き返す自治体もある時、その書類に文部科学省の大臣までもが、どこまで本意かはわからないが、「問題あり」と言った書類。

審査会も文科省の管轄。ばれた以上、これら委員さまにはやはり退場願わねば。経緯は承知していたとも言われる。だから政府は信じられないと言われる。

もうこれ以上不信の連鎖が広がればどうなるのか。底なし沼に落ちたような「信」。

2 件のコメント:

TACO さんのコメント...

亭主さま
19日の朝日「声」に載った15才の女子中学生の投稿文。3回読み直しました。
要旨:「首相はだれがやっても同じ」とか「政治にはもう何も期待しません」という意見。なぜこんな意見を言う大人がいるのだろうか。疑問に思うのは政党というのは、なぜお互いの悪口を言ったり足を引っ張ったりして前に進まないのかということ。目的は同じ。「国民が幸せになるための政治を行う」ということだと思う。それならば、政権を持った政党に対して「協力し合って、良い政治をしましょう」と言い、実行すればよいと思う。中学校の生徒会では「良い学校の生活のために」とみんなで考えて、問題を解決しながら前に進んで行く。話し合えば意見の違いは大した問題ではないはずだ。私は、何度裏切られたとしても政治家の人達のことを信じたいし、未来を託したい。決して失望しない。自分達の問題なのだから。
「おまえさ~、世の中そんな綺麗ごとは通じないよ」なんて口が裂けても言えない。最後の一言、メディアの人はどう答えるのだろう?

亭主 さんのコメント...

tacoさま
震災後被災地の大人は「自分」を言いました。被災地の子供達は、家族を亡くした子供でさえ「みんな」といいました。彼我の差をなんとみるか。

♪ケ・サラ ケ・サラ♪が響いていた頃

3年前の夏、国会議事堂や首相官邸の前では反原発・安倍内閣退陣を求めた 人たちの群れで溢れていた。連日のような行動。 その中で一際目を引いたのは自由の森学園の生徒たちが歌う♪ケ・セラ♪の大合唱だった。 学生の中に大人も交じりケ・セラ、ケ・セラと歌い続けていた。 ♪押さえ...