2012年10月11日木曜日

これが「収束」の実態なのだ

きのう公開された、1Fの1号機の映像、画像、写真。大方の人は眼にしただろうと思う。あらためて愕然とする。どこに「収束」という言葉があてはまるのか。何も始まっていない・・・。

当事者である東京電力が計測し、公開した映像。いわば「手つかず」。線量は場所によってバラツキはあるものの、最大11.1シーベルト。作業員の年間許容被ばく量にはわずか数十秒で達する値。

溶け落ちた燃料をどうやって取りだす。だれもその処方箋はおろか、その手立てさえ見つからない。

とりあえずは水で冷やされているということだけ。水はそこそこあるというだけ。

まさに暗澹たる思い。何十年経てばどうにかなるのか。

爆発に至る経緯はともかく、いや、今それを云々してもはじまらない。始まりが欲しい。収束の。

文明を追い求め、さまざまな形で安全性が喧伝された、“欲望の果ての現実”が、そこに、無残な、手を出せない現実としてあるということ。

大熊、富岡、双葉、浪江。4町村は「帰らない宣言」をした。公開された映像を見て、彼らはどう思ったのだろうか。

あって然るべき、原発内部の実像公開。それは是とするものの、今にならなければ出来なかったことなのか。

「帰らない宣言」に合わせた「帰らせない宣言」のような気がして来て。

1Fから60キロ弱。ここ郡山の地で、秋晴れの空を堪能していることに、安閑とした生活をしていることに、罪悪感すら覚えるような。

大熊町ではきのう、試験的に植えたコメの収穫作業があった。防護服に身を包んでの。

除染して無いところで7,6マイクロシーベルト、除染後の田んぼでも5,2マイクロ。見守っていた農家の人はため息を吐きながら言う。

「俺らの時代では無理だ。ここではもう何も出来ない・・・」。

再稼働論議に口角泡を飛ばしている人達を見聞きするたびに、笑っている以外にない。嗤うだな。どこの機関が、どこの研究者が、どこの専門家が「安全」を担保しようと、この現実はあり得ないことでは決しって無いのだと。

収束宣言以降、仮の町構想に拍車がかかりはじめた。しかし、それは仮の町と言うまやかしであってはならない。そこが終に棲家となるものなんだ。

収束宣言以降、中通や会津の農作物、果実、魚も、検査体制がそこそこ出来るのに伴い、出荷されるようになった。

毛嫌いする人や風評を真に受けている人はどうでもいいが。勝手にほざいているだけでいいが。

家の周りの田んぼの稲刈りが終わった。「はせがけ」が秋の田んぼのいつもの風情を語っている。
でも、出荷はかなり遅れるそうだ。コシヒカリの新米にはまだ届かない。全袋検査があるから。

東北の農産品が無ければ、日本中の胃の腑を満たすことは出来ない。食糧危機だってあり得る。検査体制含め、安全宣言の意図はそこにあったのかとも。無人地帯はいつまでたっても無人地帯であり、危険地帯はいつまでたっても危険地帯であるということ。

帰らない宣言。それは故郷を捨てる決意を、覚悟を言ったに等しい。ならば、“安全地帯”にいる人も捨てなければならない。それは何か。

3・11以前の生活を良しとする感覚や精神構造を。

何をとは言わないが、誰をとは言わないが、「大きな声」を出している人達を唾棄したい。

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