2012年10月20日土曜日

「部落」について

島崎藤村の小説「破戒」の主人公の名前は瀬川丑松という。“部落“問題を扱った小説。その出自を明かしてはならないとう代々の教え、戒めを丑松は破ってしまうという話し。それを「社会派文学」と呼ぶかどうかはともかく。

「破戒」に接したのは多分中学生の時だったと思う。なぜ、島崎藤村が、主人公の名前に瀬川という苗字を用いたのか。彼は長野県の出身である。長野に、いわゆる“被差別部落”があったのか、部落民という存在があったのか。それは知らないが、こだわった思い出がある。

亭主の出身は、いや、母方の姓が瀬川。兵庫県である。子供の頃から、大人たちが話す「部落」という言葉を耳にしていた。

部落民、新平民、同和、被差別部落・・・。その言葉は、「差別用語」としての部落という言葉は、時代と共に、その実態はともかく、変遷をたどり、被差別問題は、昭和40年の同和対策基本法で、一応の決着を見たとされてきた。その筈だったが。
 
ニュース原稿を書く時、「部落」は“禁止用語”だった。間違って使ってしまうと、“同和”の団体から猛烈な抗議が来て、社員を集めての“勉強会”にまで及び・・・。

かたわら、エセ同和と呼ばれる団体も出現し、ある意味、それは「アンタッチャブル」の世界だった。

部落解放同盟。解同の松本冶一郎という参議院議員と、短い期間親しくしていた時もある。

人の集合体としての、地域を指す言葉としての「部落」は各地に多いはず。農村地帯なら尚更。福島県人も平気で、日常会話で「部落」と言う。
「3・11」後、あちこちで言われた“部落”。それはまさに、人呼んで言う「コミュニティー」のこと。部落単位で寄り集まり、助け合い、一番気心の知れた仲間として。

放送禁止用語と指定されている“部落”。その言葉は311後、当事者が語る以上、使う以上、禁止出来るはずもなく。メディアの自主規制など構わずに「市民権」を回復していったような思いがある。

佐藤栄佐久前福島県知事が、テレビ番組の収録で“部落”という言葉を使った。「過疎の部落対策として・・・」。そんなくだり。収録カット。「知事、申し訳ない。部落という言葉は放送禁止用語なのです。言い換えてください」。怪訝な面持の知事。集落と置き換えたか、地区と置き換えた書か忘れたが。

被差別用語とされる「部落」、日常にある「部落」。

橋下大阪市長の出自に触れた週刊朝日の記事が「話題」になっている。その記事は、発売直後に読んだ。その著者が佐野眞一だったから。書いたのは佐野でも、取材には週刊朝日の記者二人があたっている。感想。「だから、何んだっていうの、くだらない」。第一印象。

なんでそう思ったか。この類の「紙」は散々見て来たから。選挙ともなれば飛び交く怪文書、いわゆる「ごろつき雑誌」。そんなものが永田町にばらまかれ、選挙区にもばらまかれていた。「貶める」ことを目的とした、「ヨタ」の数々。それと同類に読めたから。

何で、一応著名なノンフィクションライターである佐野眞一が書いたのか。孫正義の出自を書いたこととなんか関係が(彼自身の中で)あるのか。佐野と起用し、書かせ、載せた週刊朝日の「意図」は何だったのか。

思い出す、去年の春ごろ出された「アエラ」。防護服、防御マスクを表紙にした「福島が壊れていく」と言ったようなタイトルの特集。
今でいう「煽り」の典型であり、「風評被害」を助長させた問題記事。アエラに抗議したが無反応だったことを。それ以来、アエラは手にしたことが無い。

橋下の「猛抗議」を受けて朝日新聞や週刊朝日はお詫び。連載中止だとか。なんだいこの意気地なし。ちゃんとした意図があってやったのなら徹底して続けるべき。最後まで書かれないとその企画の意図が、何を書きたかったのかがわからない。

こういうのを、郡山弁では「へでなし」と呼ぶ。

橋下の「100%出資の子会社だから朝日新聞記者の取材は受けない」というう論理にも飛躍がありすぎる。ま、下世話に言えば「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」ってことなのか。

それにしても、ジャーナリズムの劣化は甚だしいと。新聞社系の週刊誌と出版社系の週刊誌では「色分け」があるべきなのに。「暴露ネタ」含めて、その見分けがつかなくなって来た。

今朝の朝日新聞、どの記事を読んでいても「しらけた」気分になっていた。別の亭主の頭が「橋下化」されているわけではないのだが・・・。

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