5年間で19兆円。被災地に向けたはずの「復興予算」。連日取り上げられる、その「目的外使用」。だれが見たっておかしい。多分、予算付けをした役人たち自身がそう思っているのではないか。
そこにカネが出来た。それに群らがり、むさぼる。シロアリ以下だと。
ただでさえ、借金まみれの日本。事業仕分けだとかなんとか言って「無駄」を徹底的に排除すると言って注目を集めた、連日報道されたあのパフォーマンスはいったい何だったのか。
「目的外使用」のほとんどが公共事業。コンクリートから人へってスローガン掲げていたのに。
個所付けして予算をばらまいたのはもちろん役所。その「流用された」予算が、果たしてその地域にどれくらい役に立つのか。
その工事が復興予算の「お流れ」だったということを知った時、それぞれの地元の人たちはどんな感情を抱いたのだろうか。
被災地復興予算のおこぼれで、俺たちの環境が少しでも良くなるなんて、なんか嫌だ。そんな“反対運動”なんて起きないのだろうか。
公共事業があれば、おこぼれを戴いた地元業者も潤う。それは、地元に、地域経済に何がしかは還元される。そんな構図なのか。
被災地は食い物にされている。そんな下衆な思いさえ浮かんでくるわけ。
除染バブル、復興バブルという言葉がすでにして飛び交っている。そして、早や、その復興バブルなるものは5年後には消えるという。
除染にしても、復旧、復興工事にしても、仮の街の建設にしても、大手ゼネコンを母体にした土建屋さん達がいなくては成り立たない。しかし、そこで起きる「バブル」という現象。
“朝鮮特需”に湧き、戦後復興を加速させ。それが高度経済成長につながり、やげて、国力を測る物差しがGDPという数字に置き換えられて来たこと。
ここにも垣間見える戦後と災後の姿。
バブルに食いつくされ、そこから落ちこぼれ、食い物にされてきた人達を多く見て来たと言うのに。
復興予算の使い方を巡る“疑惑”をただそうとする国会の委員会も、理屈にならない理屈を並べて、それを“阻止”する民主党とはいかなる政党なりやと。
自らのホコロビを隠そうとしているかのような。
土建屋行政。土建屋国家の再来を告げる鎚音が聞こえてきている。被災地を踏み台にしたその足音が。
経済学者は何を語るのか。彼らの“学問”も、実際には役立たない空虚なものだった気がする。
経済学にips細胞は注入出来ない・・・・。