自由。この言葉ほど、どう解釈し、どう位置付けるか。どう捉えるか。難しい言葉は無い。
以前にも書いたことだが・・・。
リバティー・オア・デス。自由か、さもなくば死を。アメリカの独立宣言の根底をなす言葉であり、思想。
ニューヨークには自由の女神像が立っており、それがシンボルであることはアメリカ人の誇りともなっている。
その自由とは何を指すのか。死の対極として位置づけられている自由とは。
ロバティーなのか、リベルテなのか、フリーなのか。どれも日本語に訳せば自由となるが・・。
日本国憲法にも、自由というものについての記述がある。憲法には、それの起草にあたってアメリカの意向がほとんど盛り込まれたものであることは間違いない。押しつけと言うかどうかは別にして。
それを受け入れなければ、戦後はもとより、今の日本は無かったのかもしれないのだから。
その根底にはアメリカの独立宣言以来、脈々として受け継がれている思想が根底にある。たとえば、人民の人民による人民のための政治。あのリンカーンの有名な言葉。
憲法にある自由。思想・良心の自由、信教の自由、学問の自由、表現の自由、集会結社の自由、職業選択の自由、居住移転の自由、外国移転の自由、国籍離脱の自由。
自由と言う言葉のついた権利。
それらは、極論だが、アメリカによって与えられた権利であり、アメリカによって、あるいは戦争と言う犠牲の上で“かちとった”権利。
その自由。憲法には言論の自由と言う表現は無い。しかし、多くの人達は憲法で保障された権利として「言論の自由」があるという。表現の自由の中に言論をはめ込ませたのだろう。
そして散見される声高な言論の自由と言う主張。その多くは自由の履き違えであり、大いなる勘違いをしている。
言論の自由というものを“隠れ蓑”にして、思いつきのデマ、ガセの垂れ流し。あるいはわざと流す虚報。それらによって人心がいかばかり翻弄されているか。
居住移転の自由。居住の自由は「圏内」という線引きで、それは為政者が、責任を回避するために作った“居住制限”で、その自由は奪われた。囲い込まれ、自由を剥奪された人々。
移転の自由の名のもとに、自主避難という言葉が生まれ、定着した。
変わった視点からもうちょっと。言論の自由を一番阻害されているのは天皇陛下ではないだろうかという視点。
象徴天皇であるがゆえに政治的言辞は許されない天皇。3・11に心を痛めたなか、天皇は可能な限りの「言葉」を探していたのではないだろうか。
去年の3月16日。テレビから天皇の言葉が流れた。その中で陛下は語りかける。
「何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自分たちを励ましつつ、これからの日々を生き抜いていこうとする人々の姿に胸をうたれます」と。
そして天皇は被災地に“慰問”に訪れた・・・。
ネットの中で、ツイッターという“化けもの”の中で、心を許せる数人の友達。その一人の映画監督、藤原敏史氏が書いていた。
「たとえば東日本大震災の被災地では、津波でも地震でも原発事故ですら、当の被災者が案外と冷静で泣き叫びもしなければ、パニック的な行動にも陥らないし身勝手も言わない・・のは明らかに“日本は農耕民族”の強みで、変化への適応耐性が強く、天変地異にみだりに興奮しない」と。ボクはそれに書きくわえたい。天皇の存在を。
天皇の仕事の根幹は五穀豊穣の祭主、祭祀をつかさどる人だということ。宮中の最大行事は天皇による五穀への祈りであるということ。
農耕民族は、その天皇の存在を肌で感じていたのではないかということ。
天皇の言葉によって、日本民族が礼儀正しく、行列を乱さず、暴動や略奪行為には及ばなかったということ。
過大な「評価」だろうか。
「自由を束縛されている天皇が、可能な限りで発した言葉」の意味は大きい。避難所に赴き、激励した天皇の力は大きい。
子供の頃、学校の先生から教えられた。「自由」の意味について。
「なんでも好き勝手にやっていいということじゃありませんよ。自由には責任を義務が伴うものですよ」と。
この平成の世になって、いや、それよりちょっと前からも、学校教育では、家庭では「自由」という言葉をどう教えているのだろう。
「自由奔放な暮らし」。それが“あるべき暮らし”のように言われていた時もあったような。