なんとかの日というのが好きな日本人。きょうは「助け合いの日」だそうな。
10年前の今日、10月15日に、北朝鮮に拉致された被害者数人が帰国を果たした。金日正バッジをつけていた人もいたし、はずしていた人もいたような。
胸には皆、「ブルーリボン」を付けていた。拉致被害者救出の「シンボルマーク」。
空港の風にはためく「リボン」だった。それはいつしか「バッジ」に変わった。
そのバッジは今も持っている。新潟で買い求めた。
そのバッジを野田首相はいつも付けている。議員バッジの下に。特別な場合を除いて。
それがいわゆる、揶揄する意味での「パフォーマンス」なのか、心に期すもの物があるという意思表示の手段なのか。わからない。
拉致担当大臣をころころ変える。一貫した対策なんて出来るわけが無い。しかも今のはどうみても役立たず。不適合。
人事みても、野田の「真意」が透けて見えるような。
あらゆる手立てという。手立てない。パイプもルートもない。しかもあっちは代替わり。
かつて沖縄返還交渉にあたって、佐藤栄作は、若宮敬という、言論人、学者を密使として使った。いわゆるジャーナリストではなかったが。密使、若宮は「密約」を生んだが、返還そのものは実現した。密約をしたがゆえに、若宮は「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という著書を置き、自らの命と引き換えに“責任”を取ったが・・・。
政治・外交の専門家だけではなく、あらゆる手立てが取られているのか。北朝鮮に対して。歯がゆいの一語に尽きる。
きょうは「新聞休刊日」である。あるというより、勝手に決められている。昭和40年代に始まった新聞休刊日。その当時の「言い訳」は新聞少年に休日を与えるためということだった。そう、新聞配達は少年のアルバイトだった。亭主も。
今、新聞少年はいない。販売店がバイクで配達している。新聞社も、販売店も、皆、ローテーションで人を回しているはず。人並みの「休み」はとっているはずなのに。
毎日発行されてこその新聞なのに。何のための休刊日か。昔は、前日の「社告」があったが、今は無いような。
休刊日、それは自らの使命を放棄しているに等しい。あえて苦言を呈する次第。休刊日だからと言ってニュースが無いわけじゃない。逆に、休刊日を狙ってなにやらたくらんだ老獪な政治家どもは居たが。
新聞休刊日を狙ってかどうか。朝からテレビのワイドショーは活気付く。なんと呼べばいいのか。あのiPS細胞疑惑の森口なんとか。肩書の付けようのないので。
マスコミはこぞってその森口を責め立てる。その会見での記者の口調はまるで検事か警察官。正義の味方気どっての。
こんな箸にも棒にもかからん奴を追いまわして何がある。責めるべきは同業者なのに。ガセに飛びついた。
森口を追いまわすマスコミ見ていると、昔の光景を思い出す。ロス疑惑の三浦和義を。最初英雄、その後犯罪人。三浦に加担したテレビ局もいれば、責め立てたテレビ・新聞も。
森口にしても、三浦にしても、要は「目立ちたがり屋」だったのだろうという程度のこと。森口責める前に、まずは自戒なんではと。
どいつもこいつも“懲りない面々”だと。
責め合いはあっても助け合いの無い今日・・・。