2012年10月8日月曜日

「私たちの“税金”」

昨夜のNHKスペシャル。
「果てしなき除染 そしてイグネは切り倒された」。新聞のラ・テ欄の表記。
放射能との格闘の記録。動くホットスポット、膨らむ費用・親の不安。

南相馬市の農家の物語。広い農家。狭い仮設住宅の暮らしに子供たちの心が蝕まれていく。門馬さんと言ったかな、ご主人は家に戻るために線量を測る。

高線量の元を探す。それは家の周りにある「イグネ」という、いわば防風林だった。先祖代々、風から家を守り、夏涼しく、冬暖かくする役割も果たすイグネ。家久根とも居久根とも書く。東北の一つの“文化”。

そのイグネを切り倒すことにした葛藤。

除染に揺れるのが今の福島の喫緊の課題。それには様々な問題や疑問も突き付けられてはいるが。

いい番組だった。ただ一つ疑問。それは、評価しているキャスターなのだが、その人の発した一言。
「除染に関する費用は東電に請求出来ます。しかし、東電が払えなくなれば、私たちの税金が使われます」。

“私たち”という言葉に引っかかる。単に「税金」だけでいいじゃないか。なぜ“私たち”がつくのか。税金は、そう、私たち国民が払ったものに決まっている。

亭主の根性が曲がっているのだろうか。福島の除染のために、私たち、東京の(東京というのも漠然とした概念での表現だが)の人達が払った税金が使われている。そんな風に聞こえてしまった。鎌田というキャスターに、そんな“意図”はないのだろうが・・・。

税金は国民の義務として誰もが払う。個人にしても法人にしても。いったん国庫に納入されてしまえば、ある意味“無主物”じゃないだろうか。

東電や国に対する、批判の非難の意味をもって“私たち”という“個”を引き合いにだしたのだろうが、それを強調するために使ったのだろうが、決して“軽はずみ”なもの言いではないのだろうが、どっかに「本音」が垣間見えたような気がして嫌だった。

やはり亭主は根性が曲がっていて、僻み根性が書かせているんだ。とも思うけど。

NHKの常套句。「皆さまのNHK」。“私たち”と“皆さま”と。

私たちの税金。それによって賄われている「復興予算」。それがおよそ被災地復興とは無関係なところに使われている。関係大臣は「精査する」と言っているが。遠く九州や、東京の官公庁の改修費にまで。

これを下世話に言えば「横流し」ってことになる。ちょっと“上等”に言えば「目的外使用」ということになる。
“私たちの税金”は、概念として無主物なるが故に、それを差配する人たちの恣意のままに使われている。
“私たち”はそれを怒るべきである。

県の予算は、精査されないまま、ある意味ばらまかれ、底をついた。補助金を本当に必要としているところには回らない。

「補助金の申請が却下されたよ。この事業からはてったいするしかないよ」。復興事業に乗り出そうとした知り合いは、寂しそうに言っていた。数人の雇用を確保することも、その人の目的だったのに・・・。

私たちの税金か・・・苛斂誅求か・・・。

きょうは郡山市民マラソンの日。多くの市民が、大人も子供も、この日のために準備をしてきた。2キロ、5キロ、10キロ。いろんなコース。

苦しみながらも完走した人達は大きな満足を手にした。秋晴れの空気を思いっきり吸いこんでいるだろう。

完走。いいな、いい言葉だ、いい結果だ。スタートがあってゴールがある。

何処かには、スタートラインにさえ立てない人達もいる・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...