石原慎太郎を見ていてふと思い出した。
田中角栄が総理大臣だった頃、よく聞かされた。
「俺は総理大臣を辞めたら新潟に帰る。新潟県知事になるのが俺の夢だ」。
何をもってかの真意かはわからないが、故郷への想いと、そこの人達を直接触れ合える政治を“原点”とみたのではないかと思ったことがある。
閑話休題。
15兆円にのぼる「復興予算」の付け替え、流用。これも報道によって明らかにされた。
政府も、たぶん、よく知らなかったのだと思うけれど。官僚だけの仕業か、もちろん政治家もかんでいる。
慌てた政府は、執行停止にするとか、来年度予算では“精査”するという。でも、まだ、その結果は出ていない。
数あるニュースの中にあった小さい記事。超党派の国会議員10数人が、「復興予算奪還プロジェクト」なるものを立ち上げ、宮城県や福島県に、今日から、現地調査に来ていると言う。
国会議員、政治家。その政治に関わるニュースは、解散問題や、バカな大臣の更迭問題、臨時国会云々の話に割かれ、毎日、見たくも無い顔を見さされ、聞きたくない話を聞かされる。
政権がいつ、どういう風に変わるのか。その帰趨はわからないが、少なくとも民主党政権が無くなることは間違いない。
超党派国会議員の「プロジェクト」、大歓迎だ。マスコミの扱いは小さいけど。
そのキーワードは“被災者主権”“予算の民主化“だと言う。
10数人とは誰か。一部の人の政党名や個人名がでているに過ぎない。全員が知りたいね。
選挙の結果が流動的であるからこそ、超党派ということに意義がある。所属政党を超えて、議員としての「正義」を重んじての行動に意味がある。
このプロジェクトにもっと参加者が集まり、議員立法が提出出来るくらいのものになればいいのだが。
彼らには失礼かもしれないが、永田町の「正義」は“陣笠”から生まれるのかもしれないと。
政権の内部に居る者、野党の幹部にいる者に、いまさら「正義」を求めるつもりはない。かと言って、予想される第三極にそれを期待するも裏切られるは必定。
「国民の付託を受けた選良の正義」。それが実を結んでくれればいいのだが。
新たな「事業仕訳」がなってくれればいいのだが。
現地視察にどれだけ意味がある、遅きに失したと言えなくもないが・・。見てきてください。聞いてきてください。
復興予算が付けられても、それを執行するための自治体に職員がいかに足りないかも。国の公務員を、それも優秀な公務員を、地方の出すための策を提言してください。
「官僚のための復活予算になってしまったものを、被災者のための復興予算にしなければならない」。メンバーの一人はこう言っているのだから。
当たり前の話なのだ。当たり前の事が、当たり前で無くなっているのが、今の政治。
正義とは、当たり前のことなのかもしれない。