2012年10月5日金曜日

「判断」するのが政治の要諦

確か野田首相は言ったと記憶している。
「決められない政治から脱却して、決める政治を行っていく」と。

今更言うのもなんだけど、こんな言葉が取り上げられ、話題になるということが、そもそもおかしいことなのだ。

政治とは決めることであったはず。いや、それが当たり前。判断して決める。それは要諦。
政治が何も判断せず、決めなければ民は混乱するばかりなのに。

横道に逸れるようだが、昭和史。最高戦争指導会議。終戦に至る過程で、その会議では何も決められなかった。天皇の“聖断”を仰ぐという、いわば“姑息”な手段さえ使わざるを得なかった。
天皇陛下を戦争犯罪人にすることはどうにか避けられたが・・・。

原子力規制委員会というのが発足した。規制委員会は安全基準については判断する。しかし、原発の再稼働には触れないという。

内閣はその再稼働の判断をしないという。委員会に任せるという。国家戦略担当相になった前原は言う。「独立性の高い規制委が安全だと決めたものをまた国が判断するのは論理的矛盾だ」と。
論理的矛盾は無い。国の最高意思決定機関は、もちろん国会の議決のそうだが、内閣にそれはある。

原発再稼働。それは国が、内閣が決めるべきことなのだ。

彼らは「福島」から、いったい何を学んだのか。「安全」に「絶対」は無い。新たな第三者機関であるとはいえ、安全の保証などは出来るはずが無い。

安全の担保は委員会がしたとしても、もし、事故が起きれば、すべて政治が動かなくてはならない。問題は原子炉の安全だけでは無いはずだ。

国のエネルギー政策を決めて、それに則っての再稼働や新設判断。政治の問題なのだ。
子供だってわかる。

判断しない。それは、責任を取りたくないということと同義語だ。

どこもここも「責任」を取りたくないのだ。

哀しい国であると思う。

規制委員会の「安全」という結論が出れば、政治とは、政府とは無関係に電力会社は、それこそ“札びら”切って原発を動かし始める。
何があっても政府は「無関係」ということか。政治の在り方の“論理的矛盾”である。

エネルギー政策は決められない。いや、決める気さえないような。たなざらし、先送り。

例えば福島県の川内村。耕作放棄地になった農地にメガソーラの基地を作ろうと村は動く。復興庁はそれを是とした。農水省は「農地の転用は認められない」とくる。

既成の法律を盾にとり、その省の権益を守るがごとき振る舞い。
政治は、このことについて積極的に関与しない。

決められない、決まらない政治は続いている。続いて行く。オスプレイは普天間に続々と到着している。
普天間―。それも決めなかった政治のツケだ。鳩山の。辺野古移転の話が進行していればオスプレイ配備の在り方も変わっていたかもしれない。

決められない政治が続く中、業を煮やしたアメリカは動いた・・・。


嘆き節を書きながら、明日は何を書くか、亭主もそれを決めていないのだが。

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