福島県浜通りを南北に貫く国道6号。「3・11」以来、破損や放射能で一部が通行止めのままだった。
15日に全面開通するという。1Fが容易に望める道路。まだ一部線量が高い区域もある。通行可能は4輪車。窓を閉め切って止まらずに走り抜けよということらしい。
国道6号。東京では通称水戸街道と言った。中通を貫く4号は通称、日光街道。
延伸に次ぐ延伸。両方とも交通の要衝、大動脈。
水戸街道は明治の時代、水戸以北は陸前浜街道とも呼ばれていた。
それにしても、国道の多くは起点が東京の日本橋。東京から北へ行くのは下り。北から東京に向かうのは上り。
6号の全通。たとえば南相馬といわきを往来するには、回り道を余儀なくされてきた。回り道は中途半端な時間と距離ではない。1時間もかからないのが4時間。物流にも影響大だった。
全通しても汚染が完全に除去されたわけではない。いわゆる避難区域になっている距離は40キロほど。そこを時速40キロで通過しても2,1μ㏜の線量を浴びるといわれる。
なぜ全通を急ぐのか、住民にとっては、道路の確保という点では歓迎のこと。
“復興”が印象付けられる。
たとえば南相馬と中通を結ぶ県道原町川俣線は通行量が大幅に増えていた。たぶん、道路の“破損”も激しいだろう。
なぜ全通を急いだか。大熊、双葉に出来る中間貯蔵施設への仮置き場からの“汚染土”搬入道を確保するためだ。
10トンダンプがどれくらい確保できるかどうかはともかく、搬入路を確保しないと運び込めないということ。
来年早々にも“施設”完成を国は目指しているという。
まだ、住民説明会も終わっていない。道路の全通は、一つの既成事実として、説得材料にも使われる。
施設は堅牢なものになるのだろうか。すでにして腐食が進んでいるフレコンバッグが運搬途中で、中身の飛散を防止できるのだろうか。
通過するだけで“追加被ばく”の可能性があるところへ、ダンプを走らせる運転手は確保できるのか。通過した車両の「除染」はどうるのか。
3年前、避難区域を通った車両、一時帰宅に向かった車両は、大方「除染」の対象とされていた記憶・・・。
道路は全通しても、その主目的は「袋小路」に入ったままのような。
これとても「福島」の一断面。始まったことは何かという断面。
鹿児島川内再稼働。避難計画に国が関与し始めたという。避難手順を決め、優先順位を決め、避難先の確保にも動くという。
うまく行くわけは100%無いと思うが・・・。
うまく避難出来たとして、いつになったら戻れるのか。そんな「解」はどこにも無い。
事故の規模にもよるが、もし福島と同様の規模だったら。
3年半、福島にある状況が、そこにも起きるのだ。
帰るところは無くなるのだ。
避難とは流浪の民になることの第一歩を踏み出したということなのだ。
国道6号の全通。増える交通量。交通事故だってあり得る。事故処理は出来るのか。完全防護服での事故処理となるのか。
浜通りの人たちにとって、道路全通は歓迎すべきこと。でも、彼らとて「手放しで」喜んではいないのではないかということ。一時帰宅には、いささかの“便利さ”があるとしても。
新たな「往還記」が生まれてくる。
2014年9月13日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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