なにやら都にあっては、人事、人事と、油蝉の鳴き声のような騒ぎだとか。
それがどうしたって申したいところだが。
“まつりごと”のことは相知らぬことと打ち捨てておくのも賢い処世ではあろうが、こちらで打ち捨てておっても、将軍さまや幕閣の意向は、われら民草の身に及んでくるは必定。
将軍様はこうおっしゃっているそうな。
「安全保障や地域創成など、日本を取り戻す闘いの第二章がはじまるので、人心一新をはかりたい」と。
やれやれ、また鸚鵡のように日本を取り戻す、取り戻すって。取り戻すもなにも、日本は存在しておるのにな。
どうも、都の人の言っておることがよくわからぬ。
番頭さんが、幕閣の名簿を読み上げておられた。なんだい、もう瓦版には全部載っていたことではないか。
なぜに、瓦版に一斉に名簿のごときものが事前にのるのじゃ。
馴れ合いってことか。よくわからん。
抜いた、抜かれた、特ダネ、特落ち。瓦版の醍醐味もどこへやら。
電子瓦版は、岡っ引きを呼び出し、ああでもない、こうでもないと評議されておる。
何度も見かけた光景。異を唱うるのも憚られることではあるが。
なるほどな。これらの輩で世直しが計られるのじゃな。どうなることやら。
人事権は将軍様の特権。特権を武器に長き治世をはかられようということなのか。
譜代の面々とは言わぬ。旗本とも言わぬ。されど、寝首をかかれる恐れを絶ち、腹心を据え、身の安定を図られたのじゃな。
さぞかし得意満面であられよう。永田城の奥でほくそえんでおられるのか。
さてさて、この幕閣のお方たちで、我が地域は如何にあいなるのか。さっぱりわからぬ。
「カネ目」は放逐されたが、我が地域にゆかりのある方々は誰もおられなくなった。
復興相、環境相。相知らぬど素人と拝察。いずれ、この地にも伺候されよう。いかなる言葉を発せられるのか。
僻みではござらぬが、「福島」という言葉は、お殿さまの眼中にはなかったご様子。世直しに対象にはなっておらなかったと拝察なり。
ああ、吾ら如何せんと。
たまたま、隣県におわした、上杉鷹山公の言葉を書きしおりところ。鷹山公の「伝国の辞」にはかよう記されおりき。
「国家は先祖より伝え候国家にして、我私すべきものには之無く候」。
「人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物には之無く候」。
「国家人民の為に立てたる君にして、君の為に立てたる国家人民には之無く候」。
殿も、幕閣も、人民の札によってその地位を得たるということ、よもやお忘れではないと存ずるが。
そして・・・。我が“藩”の領主、未だ帰趨はおろか、見通しも立たず。領民はまたぞろ減っているとか。
今宵、都で繰り広げられる“宴”の数々。妬け酒をあおる御仁もおろう。当方、何事もあずかり知らぬことと・・・。
お見苦しゅうございました。