2014年9月25日木曜日

「ディスる」はいつまで続くのか

日本語が乱れている。日本語が劣化している。不愉快極まりない。言葉の乱れは・・・。

友人が代表をつとめる書道展に行ってきた。出展作品150点。そこには漢字をはじめ、ひらがな、まともな日本語、日本字(漢字もその範疇に入れて)が並んでいた。
日本語の世界に身を置いた気分。落ち着く。
多分、書いた人達は、例えば漢詩一つにしても、日本の詩人の詩にしても、短文であっても、その意味を理解し、字を自分の中で咀嚼して、筆で書いたものだと思う。
「土」という一文字にしても、その字からは大地に根差す、土の持つ意味を理解した上で書かれている。そう、素人にも理解が出来るようだった。
言葉の意味を理解して、それを自分のものとして表現する。「書」の喜びとはそういうことだと思う。だから書道という「道」のついた“文化”になるとも。

にもかかわらず・・・。日本語の世界・・・。

文部科学省が初めて行ったという国語世論調査。話題に供されていたのが、「名詞に“る”や“する”を付けた今はやりの言葉の数々。それの「認知度」。

チンする、パニくる、タクる、ディスる・・・。

チンするは大方の人が使い、知っている。タクるは知らないが20%強。ディスるは20%そこそこ。

これらの言葉が辞書に載っていくのだろうか。辞書の編纂者は「流行語」を町に出て探し回っているとも言うし。

なにやら知らねど、どこからか新しい“言葉”が生まれ、一時流行した“言葉”は消えて行く。死語になる。

言葉とは何か。意志を伝達する手段であり、もとはそれに謂れがあり、普遍的なものであって然るべき。言葉ははじめ“思想”であったのだから。

呼び鈴は、ピンポン~にかわった。ピンポンって卓球かいていいたくなるくらい。

カタカナ語がきわめて氾濫している。それは簡略化されて。

ディスるは、英語のディスレスペクトの略だ。スマオートフォンはスマホと呼ばれるように。

一時期、日本人の言葉の世界を席巻していたハッスル。もう使われない。その頃は「猛烈社員」が歓迎されていた時代だった。ドライな性格。それも無い。

アキバ、オタク、サブカル。カタカナ語、簡略語の洪水の中に戸惑う。

小中学校では、国語教育、日本語教育にもっと意を用うるべきだ。1年間かかって「銀の匙」を読み解くような教育が必要なのだ。と思う。

おかしな言葉が氾濫している。それも、この時代の反映だ。曖昧な言葉使いも。

コンビニに煙草を買いに行った。レシートを差し出した店員。「レシートの方は大丈夫ですか」と来た。大丈夫の意味が理解できない。

「煮詰まる」という言葉の意味が、半数近い人が解釈を間違っている。「他山の石」もそうだ。「やぶさかでない」もそうだ。

真反対の解釈。それは時として、意志の疎通を欠き、争いごとにもつながりかねない。

「ディスる」。ネットに横行している言葉だ。「3・11」後、特にその“登場”は顕著だ。

「福島」をディスる。その傾向も半端ではない。風評はディスるの典型だったかもしれない。

こんな言葉がいつまで使われるのだろう。「ディスって欲しくないぜ」。

1F,東京電力福島第一原子力発電所の“別称”。東電や地元の人は使い慣れた言葉だ。「いちえふ」という題名の漫画も登場した。
「いちえふ」、それは人類史上にも残すべき“新語”であろうと思うが。

時代に迎合しない、普遍的な「日本語大辞典」なるものが生まれないのかなとも思う。

ネット用語が「市民権」を持ってしまう。もちろん一部のスラング好きの連中が好んで、“得意”になって使っているものだが。

おかしな言葉が無くならない限り、日本は取り戻せない。ORZだぜ。

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