2014年9月23日火曜日

「ありのままで・・・」ということ

午前中立ち寄った店で「ありのままに~」が流れていた。
アニメ「アナと雪の女王」が歌とともに大ヒットしているという。
子供も「ありのままに~」と愛唱しているという。

メインの歌か。♪Let it Go♪

そのサビの歌詞。

ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの
何も怖くない
風よ吹け
少しも寒くないわ

悩んでたことが嘘みたいで
だってもう自由よなんでもできる
どこまでやれるか自分を試したいの
そうよ変わるのよ

ありのままで空へ風に乗って
ありのままで飛び出してみるの

ありのままの姿、ありのままの自分。

ありのままとは、あるがまま、事実のまま、あるが通り。そんな字解が辞書にはある。

ありのままとは素っ裸になることなのかもしれない。でも素っ裸の人間なんてあいえない。

多くの人が、見も心も衣や鎧で覆っている。

ありのままの自分。自分探しの旅なんて言葉が流行った。自分とは・・・。見つけることは難しいはず。

今、この世相の中で、なぜこの歌が、歌詞が受け入れられているのか・・・。

「個」という問題に行き着くのだろうか。

この歌詞を発する方も、受け取る側も、「個」を探しているのだろうか。

若い男性の多くは、テレビに出てくるタレントは、言い合わせたように、額を髪で隠しているような。
若い女性は、皆、同じような化粧をしているような。

さまざまな”化粧“と”ありのまま“。

もし、サブカルチャー論として、サブカルチャー史として、音楽や映画を語るとき、後世、「ありのまま」はどういう位置づけにされるのだろうか。

ハイカルチャーとして、そう、サブカルの対義語としてハイカルがあるとすれば、識者や論壇という「権威」が、文化はかくあるべしと押し付けていることへの“抵抗”にもなり得る。

平易な言葉である。ありのままの姿、ありのままの自分。それをあらためて問いかけられた時、どう受け止めているのだろうかとも。

福島のありのまま。それは何を指すのか。ありのままの福島は、あまり伝えられていない。福島は、自身のありのままを晒そうとしているか。そうでもない。

詩人、金子みすゞが書いている。「鈴と小鳥とそれから私」の中で。

みんな違ってみんないい。

国家と個人。全体と個。

多様性は“排除”され、イエスかノーかの二者択一を迫られる福島。そこに持ち込まれる対立と分断という構図。

福島にとっての“ありのまま”とは・・・。
秋空にとびだしてみても、秋風に乗ってみても、未解のことだらけのような。

パトラッシュ、ぼくはもう疲れたよ。眠らしておくれ・・・。

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