2014年9月14日日曜日

「食」と「農」のこと

久しぶりの秋晴れです。隣の田んぼの稲穂も気持ちよさそうに揺れています。

きのう見かけました。近所にあった田んぼ一枚。重機で掘り起こされていました。感傷的なことですが、その田んぼの北側は富岡町から避難してきている人たちの「借り上げ住宅」4軒。
田んぼを見ながら、置いてきた故郷の光景を重ね合わせていたのかもしれませんが。

今朝、町内会の人に聞くと、その田んぼの持ち主の「おやじさん」が亡くなったとか。たぶん「宅地」にされるんだろうという話でした。

我が家の界隈。30年前までは民家は3軒。あとは田んぼだったそうです。我が家も元農地だったそうです。

身の回りを見ても、明らかに稲作農家は減少しているようです。残っている農家もすべて「兼業農家」。コメをつくっているだけでは食っていけないってこと。

国が生産者米価を決めていたときはいざしらず、今は、ほとんどが「農協」の買い上げです。収穫日は農協が決め、「ハタ」が立てられていました。

今年、2014年、またまた農協が農家からコメを買い取る価格が下がったそうです。去年よりも一割減。

コメ1俵、60キロ。買い取り価格は1万円前後です。60キロ。だいたい1年間に消費される、一人が1年間に食べる量です。

都会のスーパーでは新米コシヒカリが5キロ。1,800円前後で販売されているそうです。安くなりました。消費者にとっては「ありがたい」こと。

でも、コメ農家にとっては死活問題でもあるのです。

福島県の「農協」が決めた今年のコメの買い取り単価。去年より全銘柄約2~4割の減。

コメの需要減と過剰在庫によるコメ余り、東日本の豊作予想を考慮し、主力品種「コシヒカリ」(1等米60キロ当たり)は会津を除いて軒並み1万円を大きく割り込む厳しい単価設定となった。と地元紙は書いています。

600キロ作っても10万円。経費差し引けばいくら手元に残るのか。5万円にも満たないはず。

コメの需要減とはコメ離れということです。食卓からコメが消え続けている。

“異常気象”はあったものの、作柄はおおむね上々。でも価格は下がる。

日本の農政の基本的な問題です。

「食に関心のある人はエネルギーにも関心がある。エネルギーに関心がある人は食にも関心がある。なぜなら双方とも”生きる“ということに結びついているから」。

農政が抱える問題は多様です。農家の高齢化の問題もある。地方の若者の、農業離れ、都会への移住の問題もある・・・。

都会のスーパーに行けばあらゆる食べ物が並んでいます。日本の食糧自給率は39%に落ち込んでいるのに、見た目ではそれを感じ取れない。
コメを作っても生活費にすらならない。そんな生産者の悩みは、スーパーでは感じ取れないのです。

仮に離農がどんどん進めばどうなる。農業国中国からの輸入なんて事態にもなりかねない。

緑溢れる田園風景も姿を消す。

そうならないとも限らないのです。

今、日本にとって一番大事な安全保障。それは「食の安全保障」なのです。さまざまな観点から見て。

食と農、農とコメ。第一次産業である農。

なんでも「政治」を絡めたくはないのですが、国会議員の大半は地方選出です。
農家は票田でもありました。
選挙区へ帰ることを「田の草取りに行く」「票田を耕す」という言い方も“永田町業界用語”としてありました。

でも「食の安全保障」の論議は、「別の安全保障」の論議に隠れてしまっている。

収入にならないと嘆く生産者。価格が安くなったからと言って安堵する消費者。

原発問題と同じ構図です。電気を生産するところ、電気を消費するだけのところ。
食の安全を旨として福島県産米を忌避する人・・・。

隣の稲穂が秋を喜んでいるのか、悲しんでいるのか、垂れている頭が問いかけてくるものは・・・。
秋とて悩ましいのです。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...