「3・11」後、しばらくして、一冊の本を、詩集を捜していた。あの地震で書棚は倒れ、部屋中の散乱した本を、とりあえず棚に戻した。乱雑に。
本は、その日以前とは、すっかり、その“定位置”を変えてしまった。何が、何処にあるのか。書棚の前でうろうろしながら、目を上下左右に動かし、どうしても読みたい本を捜した。
その本は、茨木のり子の「倚りかからず」という詩集。
もはやできあいの思想には倚りかかりたくない
もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない
もはやできあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目じぶんの二本足のみで立っていてなに不都合のことやある
倚りかかるとすればそれは椅子の背もたれだけ
その毅然とした生き方に、何度、こころの安定とあるべき姿を見て来たか。わずか10数行の詩は僕にとってのひとつの“バイブル”のようなものだった。
近づく3・11。その日を前に、またもこの詩に”没頭“している。
そして思う。「3・11」に最もふさわしい詩なのではないかと。
出来あいの思想。それを反原発運動とするならば、その思想には賛成だ。いや、声を大にしても言いたい。しかし、それが一種のイデオロギーとされ、ある種の人達の”運動“のお題目とされていることに反目する。
3・11。郡山の開成山球場で、反原発集会が予定されている。もちろん地元の市民運動団体が積極的に受け入れるものだろうが、基本的に東京からのバスツアー。バスの中で東京で積み込んだお弁当を食べて、市役所方面に向かってシュプレヒコールをあげ、拳を突き上げる。何の意味があるのだろう。運動のための運動、反対のための反対。
郡山や福島市はこの種の運動にもっとも相応しくないところ。そこがなぜ拠点なのか。郡山市民は、多くが、原発賛成、推進などとは思ってもいない。皆「被害者」なのだ。被害者に拳を突き付けてどうするのか。
福島県内でも、さまざまな集会がある。たとえば鎮魂を語り、たとえば復興を語る。
参加者たちは「倚りかかる」。
出来あいの宗教。震災直後は「無常感」をいい、それで、人の有り様を説こうとした宗教家たちも、底なし沼にような原発被害に対して、無常感という思想は無意味なものだと気づかせている。
いかなる学問。多くの科学者たちの言説にはもう飽き飽きしている。かれらの知見は、その多くが人心を惑わすだけのものでしかなかった。
いかなる権威。そう国家権力を権威とするならば、それは、全く機能せず、そればかりか、「被害」を拡散させているようにしか思えない。
そうなんだ。自分の耳目、自分の足で立つしかないのだ。肉体的にそれが可能である限りは。
倚りかかるとすれば、それは。4本の足で走り回っている「ゲンキ」を寝かせ、軽やかな寝息を立てているその小さな背中。
犬の背中はこんなにも安らかなのだと・・・。
そして、また思ってしまった。倚りかかりたくないもの。メディア・・・・。
2012年3月9日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
地に墜ちた「天下のご政道」。
菅義偉という“無能”な政治家が、何かの手練手管を使ったのか、とにかく内閣総理大臣という「天下人」に昇りつめた。 最近の総務省の役人を菅の長男による「接待疑惑」が報道され予算委でも疑惑がやり玉にあがっている。長男が勤務している「東北新社」の名前を久しぶりに聞いた。 創業...

-
1945年6月6日。沖縄根拠地隊司令官の太田實中将は本土の海軍次官に宛て打電した。 “本職の知れる範囲に於いては、県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ、残る老幼婦女子のみが、相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ、僅かに身を以って軍の作戦に差し支えなき場所の小防空壕に避難、...
-
東日本大震災から8年だ。毎年考えて来たのが「復興」という言葉、その事象。 未だもって、「復興」を言う言葉には“わだかまり”があり、自分の中で“消化”されていない。納得できる“回答”を持っていないのだ。 今も「3・11」は続いている・・・。 勤労統計の“偽装”は、この国の根...
-
昔、佐藤栄作が内閣総理大臣だった時、官房長官をつとめていた人に橋本登美三郎という人がいた。富ヶ谷に大きな家を構えていた。 富さんという愛称で呼ばれていた。茨城県選出の議員。もともとは朝日新聞記者。南京支局長の経歴もある。 富さんの後援会は「西湖会」と言った。富さんは朝日新聞...

0 件のコメント:
コメントを投稿