2012年3月12日月曜日

“神隠し”の時間と日々。

祭りの後の侘びしさ。宴のあとのはかなさ。そんな想いの今日、3月12日。
去年の今日、ほとんど寝てないまま、テレビに見入っていました。民放のCM無し。L字に区切られたテレビの画面から送られてくる惨状の数々。

それは覚えているけれど、何を食べたか、どうしていたかはさっぱり記憶にありません。数日間の記憶が飛んでいます。

近くの旦那に誘われて水を買いに並んだのは覚えています。それが何時だったのか。公ちゃんが、チカリさんと一緒に、水とカップ麺などを持って来てくれた。それは多分、“今日”だったと思う。

まだ、あらゆる通信機能が回復していなかった。固定電話はもとより、パソコンもダメ。携帯も時々つながるメールだけだったような。

イッセイが多量の水と米、肉と野菜を持ってきてくれた。それが何時だったのか。

壊れたテレビは玄関に放置されたままだった。小さなテレビを大ちゃんに持ってきてもらった。壁のひび割れ、傾いた土台。地滑りした痕跡を物語る塀。壊れたまま散乱している食器の数々。

それらを写真に撮った。たび重なる余震。テレビの緊急速報。それだけな鳴る携帯のアラーム音。

幸い電気はついていた。水道はダメ。数日間。

何かをしなくてはならないと思いつつも、何も出来なかった・・・。

やがて数日経って、物流が動き出し、兄弟や知人から「支援物資」が送られてきて。

携帯電話がほぼ復旧してから、ツイッターには「拡散希望」が踊っていた。

亮介がタイベックススーツのようなものを持ってきた。風呂には何日も入っていなかった。突然、郵便受けに見舞いの葉書。郵便の回復は早かった。

そんな、こんなの断片的な記憶。気がついた時には避難所になったビッグパレットに通う日々。ゲンキ君の日課の散歩も無くなった・・・。

神隠しにあったような時間や日々。

それは昨日まで続いていたのかもしれない。きのうは何事も無く、黙とうを捧げ、所用で出かけた途中に出会った「原発反対デモ」に嫌悪感をもよおし。

メディアが伝えていた開成山球場のその集会。東京から来た多くの人達。それに混ざった、混ざらされた福島の人達。デモの旗には「なんとか労組」が並び。
くわえたばこで歩き、その吸殻を道端へ・・・。

郡山の空間線量とタバコ一箱との線量を比較する気はないけれど。

そして今日。何事も無かったような日になっている。テレビは通常編成に戻っているし。

去年の今日は、締め切りが迫っているタウン誌の原稿が気になっていた。パソコンが起動しないまま、何を書こうか考えていた。数日後届けたが。

そして今日、明日の塾の話の内容を考えている。

きのうまでの数日間、見ていた範囲でのテレビや新聞について、思うところ大なのだ。徐々に書く。

冒頭に書いた「祭」という字。そこには祭祀の意味が多分に込められている。

どう考えても、きのうは、静かに祈り、悔やみ、悼む日だったのだと。東京の銀座、和光の前でも黙とうがささげられた。新宿でも。そして日本各地でも。もちろん被災地各所でも。
開成山球場のシュプレヒコールが、それらと重ならない・・・。

2 件のコメント:

TACO さんのコメント...

亭主さま
昨日はテレビを見ながら新聞を読み「涙も枯れて」の一日でした。親を失い友達を失った子供たちの言葉、その表情は正に神の子としか思えない。子供は国の、いや地球の宝物。
でも自分は何もやらなかった。失意の底にある子どもたちにも。あの合唱を聞きながら被災地の子供達が今の日本を救ってくれる日が来ることを確信しました。
テレビ局によってはちょっとデコレーションが過剰だったけど。まあいいか。

亭主 さんのコメント...

tacoさま
同意です。激しく同意です。涙っていくらでも出るんだね。鼻かんでごまかしているけど。
佐渡裕のスーパーキッズオーケストラ。見た?よかった。また涙・・・。