2012年3月22日木曜日

「名」と「実」と

大阪の泉佐野市が財政破たんを避けるために、市の名前を売りに出しているとういう。企業から広告料をもらう代わりに市の名称を企業名や商品名に変更する自治体名の命名権(ネーミングライツ)売却に乗り出す。ということらしい。

たとえばちょっと前によくあった野球場などを企業の名前を冠に使った、企業名の野球場にしたというようなことか。

泉佐野市という「名」がなくなるのか。市の名前は消えても、そこに住んでいる住民は残る。住民からは反対の声があるという。当然だ。
香川県が「うどん県」と呼称を変えるといった話とどう違うのかはよく分からないが。


くどいようだが、地名を変えることに大きな抵抗感、というより絶対反対の亭主。業平橋駅が東京スカイツリー駅に。業平橋そのものは名称なくならないとおもうが。
「商業主義」っていうのが妥当かどうかはともかく。
かつて、東京本郷の真砂町って名前が本郷何丁目と変えられた時にも激怒したが。
市町村の名前は、やはり一つの「文化」である。その名前の由来がその土地の歴史。

市の町の名前が消えるということ。

福島県。双葉郡の各町村は、「実」としての町村は存在しなくなった。住民がいないから。いつか戻れると思っている人たちは、その町村名を名乗ることによって、あるいは希望の光とし、生きる目標としている。

そんな中出現したおかしな名前。「仮の町」。なんという空虚な響きの言葉か。「仮の町」がじつげんするのかどうかはわからないが、もし、新しい町を作るのなら、せめて「新」という字をつけた町村名、たとえば新富岡とか新大熊とか。
平成の大合併とやらで多くの消えた、消えかかった地名がある。あじもそっけもない地名つけられ。

地名。それは、そこに生まれ育った人たちにとっては、ある意味自分自身なのかもしれないのに。
「名」が消えることの原因が、大合併の原因が、地方財政の問題だとするなら、地方自治って何だろうと。
そして、まのあたりにしている「実」のない自治体が存在していることのいいようのない悔しさ。

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