2012年4月30日月曜日

情報リテラシーのいろいろ。その5。

きょうも福島県の浪江にあった診療所の医者の苦悩の話が報道されていました。

「病気」を見ないで「患者」を看るという言葉を使った医者がいる。たしか大船渡の病院の医者。仮設の診療所、仮設の病院。医者不足、医者足りない、看護師不足、看護師いない。

被災者には患者が急増している。急に寝たきりになった高齢者を始め、ストレスからくる病気を患ってしまった人たちなど。

たしか、その病院の院長も専門は呼吸器外科だった。肺がん患者を大勢手がけてきた。被災地の医者には専門性は、今、求められていない。内科医が整形外科医も兼ねる。

最新の医療機器を駆使して肺がんと戦ってきた医師。そこにくるまでは「病気」を見て、肺がんと言う病気と向き合って来た。その専門性は被災地では必要ではない。

多くの患者に、様々な疾病にどう対処するか。どうやったら治せるか。心のケアに行き着くケースも多いという。

病気の話をする前に、その患者の話を聞く。それが病気と直接関係ない話でも、被災体験でも、現状にたいする苦悩でも、顔を見て、話を聞く。その上で、とりあえずの的確な治療を試みる。薬の処方含めて。夜は仮設含めて、寝たきり状態の患者の家に行く。家族の話を聞く。家族のストレスを医者が聞くということで、側面からの治療が出来るから。

いくら手をまわしても医者はなかなか集まらないという。大学病院に依頼しても、研修生や若い医者は自分の研究に意を注ぎたいという。

宮城や岩手の津波に襲われた被災地の医療の現場、現状。もちろんメディアで知った情報だけど。

首都圏の大型ショッピングセンターには綺麗な診療所が併設されているのが話題になっているらしい。買い物ついでにちょっとお医者さん。いや、医者帰りにショッピングか。

開業医はともかく、大学病院の医師は基本的に「研究者」。自分の生涯をかけた研究もあるだろうし、生徒や研修医を教育する義務もある。その職を投げ打って福島に来て福島の医大に転職して放射線の問題に取り組んでいる人もいる。被曝の実情を調べて、汚染の実態を情報として提供する。なぜか、その人を悪しざまにいうメディアもある。
やたらとテレビに出る。出させる医者もいる。大声をあげて国を叱る。その人の行動力をメディアは評価する。

全部ではないにしても、いわゆる「学究の徒」といわれる人たちは、自らの研究成果が世に認められることを願望している。役立つというよりも、目立つことを好む人が多い傾向あり。

「目立つ人」をメディアは好み珍重する。有名人になる。放射線についてさまざま語る。しかし、その人が研究者として、学者として、どれだけの知見を備え、正解を言っているのかは、事実と比べてみて、疑問視するところが多い。

しかし、目立つ人の、医者の言動は価値ある情報として与える影響は大きい。メディアの中に、少なくとも「3・11」直後、専門的知識を持った記者はいなかった。いきおい、学者・専門家を登場させた。挙句、御用学者なる呼称まで伝播させた。

メディアがどういう専門家を使うか。それの社会的影響はどうなるのか。それもリテラシーの一つ。

3・11後、原発に関して、学者の言葉が世の混乱に拍車をかけたことは間違いなし。今もそれは尾をひいている。

「病気を見ないで患者を看る」。この“思想”を彼らに投げかけてみたいと。

2012年4月29日日曜日

ちょと横道にそれたようなリテラシー話

ゴールデンウイークです。皆さまどちらかにおでかけですか。
泊りがけで。人出のニュースあったり、大事故のニュースあったり・・・。

たまたまツイッターを見てて。ちょっとだけ知り合いの方なのですが。こんなことを「つぶやいて」いたので、それにつられて一言。

その人のツイート引用させていただきます。
「観光復興の支援があっても、結局は関係者の努力次第だと思う。頑張っている地域や、工夫を凝らしている旅館にお客さんは集まるだろう。確かに支援はありがたい。でも最後は自分たちの努力と工夫」。

過日、こんな“経験”をしました。知り合い4人が、高校時代の同級生同士らしいんですが、もう60代後半。仲良しが集まって旅行しようということになり、「どうせなら福島行こうよ」という結論。旅行代理店を通して新幹線代、旅館代込みのクーポン券を買って。

選ばれた旅館は岳温泉の有名旅館。在来線の二本松駅で降りて旅館差し回しのバスに。
「バスの運転手さんは、何を聞いても問いかけてもほとんど無言だった」。その人たちの話ですが。旅館に着いても荷物を持ちに出迎える人とてなく。玄関でチェックイン。通された部屋は寒く。そうまだ寒かった時。

食事は部屋。内容は・・・おいしくなかった。

朝、チェックアウトは10時のはずなのに。9時には「布団片付けます」って。

10時にチェックアウト。見送り無し。よく見かけるおかみさんや従業員がバスに手をふるって光景無し。バスはまた無言で駅到着てな具合だったとか。

出迎えに行った郡山駅で、この話の一部始終を聞かされました。

その旅館の女将。女将の会などを結成し、風評被害なんとやらってテレビにも登場している人。ローカル局だけど。どんな人かは亭主も知っている。以前から。

宿帳見れば、旅行代理店からの手配みれば東京から来た観光客だということはわかるはず。女将、まずは挨拶に出向くべき。「わざわざ、風評もいろいろある中、お越しくださってありがとうございます」。そんな挨拶の一つも出来ない、しない。その旅館の眼の前にある土産物屋さんでも、なんだかぞんざいな接客受けたとか。

被害者になりきってしまっているのかどうか。察するに「おもてなし」の心皆無かと。これじゃどうやってもリピーターにはならない。
「までいの心」が見られない。福島県民の“誇り”だった。

「被災地であるのに、福島県の人にはこんなに良くして貰った。歓迎してもらった。良いわよ。ふくしまは」。そんな口コミが東京で友達一人にでも伝われば、やがて二人、三人にと広がるはずなのに。

「口コミリテラシー」ってのもあるはずなんだと。

同じような話を、最近、隣のばあちゃんからも聞いた。古い友人と温泉行こうという話になって飯坂温泉へ。同じような扱い、態度だったという。同じ福島県民でもばあちゃんは言った。「もう二度と行かない」って。

マスコミに出て、いや、出されてかな。風評被害、風評被害と言ってもダメ。集客にはならない。口コミの方がよほど大事。その原点を忘れてしまっている。

旧知の磐梯熱海温泉の社長の妹。経営陣の一人。今年の正月、なにかの集まりで会った時、言った。「もう、風評被害、被害って言わないことにした。言ってどうなるものでもないし。後は自分たちが頑張るしかないって決めた」と。

友人のやはり磐梯熱海温泉の社長にこの話をした。彼は困ったような表情で言っていた。
「最初は一人5千円で避難民を受け入れ、その後は自衛隊や機動隊の宿舎。従業員もずいぶん減ったし、減らさざるを得なかった。手が回らないところもあるかもしれないな」と。それはわかる。でもね・・・。

手が回らなくても気は回せる。従業員教育も含めて。

誰が悪いという話ではない。放射能が降ってしまったという事実があるのみ。どう生き延びるか。最後は自分の努力と工夫。ツイッター氏の言うとおりなのだ。この人、もちろん郡山在住。“復興”のために身を粉にして働いている人。

これも、反面から見た福島の現実・・・。メディアの話題にはならない現実。

口コミのリテラシー能力というのも必要かもしれない。いつからか時折登場する「放射脳」という言葉。口コミによって県外避難してしまった母子も多数。

リテラシー。その中の一つにある「見る」ということ。東京で物産展やるよりも、福島に来てもらって、来てくれた人に、この地を、その良さを見ていってもらうことが肝要。

幸いなるかな。亭主の周りには、東京から来てくれる人多々あり。避難所見て、人生観を大きく変えた人もいる。福島の野菜のおいしさに感動して人たちもいる。

見てもらう、感じてもらう「リテラシー」ってのもありかと。
現場を見ずして語るなかれ。マスコミに求められる取材の要諦。先入観持たずに生の声に耳を傾けることも。

そして、「木を見て森」の例えではないけれど、何ベクレルって数字ばかり追いかけて、問題視し、数字だけを見てる。そこに暮らしている人の生活は見てない。見ようともしない。

今更ながら、そんな「数字教条主義的」世情を憂うるのですが・・・。

2012年4月28日土曜日

「情報リテラシー」のいろいろ、その4

「木を見て森をみざるがごとし」という言葉があります。物事の一部分や細部に気を取られて、全体を見失うことを戒めた諺です。

メディアにかかわる人間が陥りやすい誤謬。しかし、反面、神は細部に宿るという言葉もある如く、細部を見つめることで全体像が見えてくることもあります。

たった一回の記事であれ、社説であれ、連載物であれ、それを書いている人が、どういう視点で、どれくらい自分の使命を考えて書いているかによって世の中に与える影響は違います。

リテラシー論とはちょっと違うかもしれませんが、過日、京都の亀岡市で起きた18歳の無免許の少年の車が登校中の生徒の中に突っ込んで2人が亡くなった事件。
新聞、テレビではほとんど「報道」されていませんが、こんな話がありました。
搬送先の但馬救命救急センターが発信したブログです。

「本日,京都府亀岡市で悲しい事故が起こりました.当ドクターヘリも出動し対応しています.検証されるべき事項は沢山ありますが,1つの命をすくい上げようと誰しもが全力を尽くしました.結果,望まない終末になることもあります.その後のご家族の心のケアには人として,医療者として十分な対応を心掛けております.当然,院内や病院敷地内に勝手に入り込み,勝手に取材,写真をとるマスコミには取材の許可を出しませんし,取材拒否の旨をきちんと伝えております.もちろん必要があれば病院から情報を伝えます.しかしながら,マスコミ各社の記者たちは霊安室の前にカメラをかまえ,お帰りになるご家族の映像を勝手に撮影していました.再三にわたって取材はお断りの旨を伝えていたにもかかわらず,一番大切にしたい瞬間に,ズカズカと土足で割り込んできました。ご家族,医療者,関係者の心情を考えられないくらいマスコミの人間の心は腐っているのでしょうか」。

このブログ記事は若干訂正補筆されています。当初の記事には記者の社名が書かれていました。もちろん三大紙も入っています。

新聞社は、そんな事実は無いと抗議しました。入ったけどカメラは構えてないとか、許可を得たはずとか。その抗議たるや、なんとなく言い訳がましいものばかりでした。

その1でも書きましたが、こういった取材に何の意味があるのか。読者や視聴者がそれを望んでいるのかという問題です。

そして、このやりとりに関して、元地方紙の記者が“解説”していました。言い訳と自己弁護に満ちているとしか読めなかったけど。

「読者は望んでいるはず。デスクの厳命。社内的な自らの地位保全」。そう読みとれるもの。

目線が違っている。自分目線でしかない。被害者目線に立ってない。病院内の様子は後から病院の発表待ってからでもいいではないか。

こぞって病院に押し掛ける。そこにある潜在意識は他社に抜かれたくない。遅れをとりたくないという根性。横並び報道の一つの形。みんなで渡れば怖くない赤信号の見本と。

病院の言う「望まない終末」を迎えた被害者の家族の映像をどれだけの人が望んでいるのか。知りたい、見たいと思っているのか。それを伝えないことでの抗議が来たら言い返せばいいのに。

この事件、余波も大きい。被害者の電話番号を加害者家族に警察が教えた。学校の教頭も教えたとか。
被害者宅に行って謝る警察幹部。その内部の様子はテレビが完全に撮影し、放送している。怒る家族の姿も含めて。
テレビが土足で入ったゆえなのか。それともメディアを使っての“制裁”だったのか。

「3・11」以降、被災者が望まない取材が被災地で、なんと多かったことか。伝えることで全国から支援が集まるという言い分がメディア側にはあったけど。それを完全否定はしないけど。

いずれが木で、いずれが森か・・・。

2012年4月27日金曜日

「情報リテラシー」のいろいろ、その3。

きのう、「情報リテラシー」についての結論の一つだとして、メディア側が「リテラシー能力を持つことだ」と書きました。

きょうの新聞。こっちではですが。東京あたりでは夕刊だったかもしれませんが。東北地方には夕刊がありません。地元紙含め。統合版と言われる朝刊だけ。

朝日新聞に書かれていた小沢裁判、小沢政局をめぐっての社会部長と政治部長の署名入り囲み記事。
社会部長。この事件の取材で検察内部に“確執”があることが分かったとした上で。「裁判報道や検察報道をめぐる批判を正面から受け止め、政界や権力機構に監視の目をいっそう光らせる。それが私達に課せられた課題である」と。
政治部長。「政治報道の在り方が問われている。小沢氏の動向よりも、もはや、政党政治の行方を考えるべき局面である」と。

ちょっとはリテラシー能力出て来たかとも思った次第。亭主の小言が効いたかな(笑)。

「自己批判」。そんな言葉はいまどき流行らないかもしれないけれど、メディアが徹底的に自己批判、反省することが信頼回復への唯一道かとも。

それにしても驚いた。昨夜のテレビ見てて。なんと「無罪判決」聞いて泣いている民主党の議員さん。いかつい顔した男も、お人形さんのような女性議員も。

なんで泣くのか。さっぱりわからん。もはや一部の議員さんにとっては小沢は教祖さまなんだな。教祖の事だけが頭にあって、選んでくれた、名前を書いてくれた選挙民の事はどっかに飛んでいる。そう見えた。

そしてびっくり。法廷の外にいる「小沢支援者」の人たちの姿。プラカード持って。無罪を聞いてうれし泣きしているおばさんのアップ。
反原発集団の姿とダブる。

反原発で官邸前に行っている人たちがいるはず。その姿はテレビで見たことない。大飯再稼働容認の判断をした時でさえ。
見たことあるのは東電や経産省前に集まっていた座り込んでいた人たちの映像だけ。先頭に“瑞穂”がいたからか。

法廷の外で嬉泣きする人たちの映像を挟み込んだテレビ局の意図はどこにあるのか。そういう人たちもいるという“事実”を伝えただけなのか。
例えば冤罪裁判の判決時に法廷の前に集まった支援者たちを“紹介”するのと同じ感覚なのか。

「教祖さま」の威光を伝えたかったのか。これは視聴者のリテラシー力に任せるしかないが。

小沢裁判のニュースの陰に隠されてしまったような、もっと重大なニュース。一つは北朝鮮ミサイル事件の情報遅れの検証問題。わけのわからぬ官房長官の会見。小沢裁判に隠れて扱い小さくなるだろうって読みのもとでも発表時期と。

そして大飯原発めぐる住民説明会の模様。副大臣なるものの説明。「福島原発の事故原因は地震ではなく津波による電源喪失だった」との断言。それはまだ解明されていないことなのに。少なくとも地震による配管損傷はあったのに。

厳重なボディーチェックで入ることを許された住民とされているけれど。佐賀であった「やらせ」や「さくら」はいなかったのだろうか。疑いたくなる亭主が変なのか。
電力需給をめぐる周辺自治体の長と関電との話し合い。それだってもっと詳細に伝えるべきだったし、解説や分析だって必要なのに。

小沢がガタガタ言うなら、自民党が難癖つけるなら、野田クン、面倒だ、解散してしまいなさい。もうどっかですっきりさせようよ。

2012年4月26日木曜日

「情報リテラシー」のいろいろ。その2。

メディアリテラシーという言葉は、多分、メディアの側からか、メディアに関わる評論家みたいな人たちから言い出された言葉だと記憶している。

読者や視聴者へのメッセージとして。メディアと接触する以上、そっちの側でリテラシー能力を持てよ。そういわんばかりの「上から目線」と感じた。

小沢一郎への判決。無罪。ここ数日メディアは沸き立つでしょう。笑えるくらいに。なぜか。政局がからむから。

裁判と政局とは別次元の話です。裁判官が無罪判決を出すにあたって政局を考慮にいれたか。それは無いと思います。そう信じます。
なぜ無罪か。検察の捜査の在り方や調書の作成に問題があったことも大きな要素です。いわば司法の「技術」の問題。
政治家小沢一郎の問題と被告小沢一郎の問題とは別次元と考えるのがメディアの論点であるべきです。

ところが・・・。どこを見ても全部政局と裁判を並列してみる。それは政治家が言い出したことで、今も続いていることで、メディアはそれに乗ってしまっている。

「消費税増税反対を言っている小沢が無罪になって“復権”したら、野田は窮地に陥る」。政局論のベースです。

なにほど小沢に「力」があるものか。家来を大勢持っているからか。小沢チルドレンなる言葉もメディアが名付けた。大の大人をチルドレン。それに異を唱えた新人議員はいない・・・。

「小沢一郎」という“幻影”。小沢一郎とは一時期「知り合い」でした。新人として当選してきた時、角さんに言われた。「いっちやんの面倒みてやってな」と。
それ以上は書きません。きょうのテーマではないから。

政治家もメディアも小沢一郎に踊らされている。
裁判とは無関係な話なのですが。

結論の一つを言います。

情報リテラシー、メディアリテラシー力を持つべきなのは、メディアそのものの側だと。

3・11以降の“混乱”の極みをみせつけられた多くの報道。虚実ないまぜの情報。一部では“検証”されつつあるものの、その混乱ぶりは未だに続いているようです。

当からから亭日乗というブログでは、表現に多少の差はあるものの、メディア批判の如きことを、冗談半分の言い回し含めて、時々書いています。

なぜか。自分がかつてその世界に身を置いていた者として、また、その時の自戒も含めての「リテラシー」だと思っているからです。

3・11直後、多くの人がテレビを情報源としました。原発事故。原発爆発。日本人が体験したことの無い事故です。
15日にかけて次々起きる爆発。それまで、「情報」というものが、無尽蔵に流れてくるものと思っていた国民は戸惑いました。

テレビ、新聞から流れてくる情報は、その情報源は東電と政府、原子力安全保安院しかなかった。実態を誰も把握出来ていない。当事者もメディアもただ右往左往するだけ。そこに福島中央テレビが撮った爆発の映像。それを確認も出来なければ、なんらかの爆発的事象なんて枝野の言辞を垂れ流しているテレビ。

避難区域の設定、スピーディーの未公表。政府や東電に対する不信は、県に対する不信はそのままメディアへの不信につながった。それでもテレビを見るしかないという現実。
どう捉えていけばいいのか。何が起き、なにがどうなっていくのか。わからないテレビや新聞は勢い「専門家」という人たちを探し出し、その人たちがどういう人であるかも吟味しないで、次々登場させる。安全説から危険説まで。

そしてメディアの自主規制。40キロ圏内には立ち入らない。
テレビの場合、それは東京のキ―局からに強い指示でした。県内の記者やカメラマンはいけるとこまで行きたいという願望を持っていました。地元の局として。しかし、それは叶えられない。抵抗出来ない。反すれば「ネット補償費」というキー局がローカル局に配分している電波料なるものが削られるかもしれないという経営陣の恐れもあり。

混乱、混沌・・・。そこで開花した市民のリテラシー。「メディアは嘘ばかり言う。信用できない」。哀しすぎる究極の“リテラシー”。

きょう、改めて提起された「小沢裁判」をめぐる様々。そこでもリテラシーが試されていると。

2012年4月25日水曜日

「情報リテラシー」のいろいろ。その1

比較的以前から言われていて、今、また新たに言われ始めた言葉の一つに「メディアリテラシー・情報リテラシー」というのがある。
リテラシーとは、例えば広辞苑にはこうある。「読み書きの能力。識字。転じて、ある分野に関する知識・能力」と。

この言葉を「情報・メディア」を対象に持ち出した、言い出したのが誰だかは覚えていないが、20世紀の後半、21世紀になる前くらいだったか。よく使われ始めたのは。

だから“業界”では、なんとなく知っている言葉だし、それなりのイメージはあろうはずだが、普通の市民がどれくらいこの言葉を知っていて、理解しているのだろうか。

はなはだ疑問なのです。

一昨年の塾で、この話をしました。リテラシーという言葉を知っているか。それが最初の問いかけ。半数以上の塾生ですら知りませんでした。はじめて聞く言葉だと言っていました。
反対に、そのことに凄く興味を持っていて、しかしその本質がわからなかったという塾生もいました。

3・11以来、時々、情報の話をします。情報リテラシーの話をします。なぜか。あまりにも虚実取り混ぜになった情報が吐き出され、みな“混乱”していると思えたからです。

「リテラシーとは辞書にはこう書いてあるが、要するにどう接するかということだ。役に立つ、役にたたない、間違っている、正しい・・・。それらを含めてどうやって取り入れていくかということだ。どうすればいいか。まず接した情報を鵜呑みにせず、まず疑え」。

疑うということが、最良のリテラシーなんだと。

これからも塾生と一緒にこの問題を考えていくつもりです。折りにふれて。だって我々は好むと好まざるにかかわらず「情報化社会」という伏魔殿に迷い込んでしまっているのだから。

本筋から逸れるようでそうでもない例をちょっと。

「なんと!高得点をたたき出しました」。アナウンサー絶叫。テレビのフィギアスケート中継。
「たたき出す」って、表にたたき出すぞっていうような怒った時の言葉でしょ。まして氷の上を叩いたわけでもないし。フィギアスケートの華麗さに似合わないし。

「閑静な住宅街で事件がおきました」。閑静って文字通りのどかで静かなとこでしょ。一歩間違えば人がいない街ともとれるし。その街が閑静かどうかは、それぞれの人の感性が決めること。
まして、映像付きなんだから、形容詞つけなくてもどう見るかは視聴者の見方。
なんでもいいから、住宅街には「閑静」と付ければいいという勝手な思い込み、とうか、常套句。

「しめやかに葬儀が営まれました」。しめやかでない葬儀なんて無い。

原因は警察で詳しく捜査しています。はい、捜査するのが当たり前。捜査しなけrばニュースなんだが。決まり文句ってやつ。

ここ数日のテレビで鼻白んだ数例。テレビ言語の“劣化”は変わりないのです。

新聞とて同じ。例えば、食品安全基準。国は100㏃と決めた。スーパーなどはもっと低い基準にしたいと動いている。国は、それでは困ると待ったをかけようとする。そんな動きがある中で。「消費者の中からは国の方針に反発が予想される」と。反発は予想するものなのかい。記者が勝手に反発してる、したいってことじゃないのか。

ま、これの当否は言わないけど。内容の。「消費者」におびえて、なんでもかんでもの規制値強化・・・と。

言葉と言えば、最近、いや以前からもそうだったけど、ツイッターという中に満ち溢れているおかしな言葉や不快な言葉の数々。しかも相変わらず多い、誤解、偏見、デマ・・・。

やがてネットが言葉を、日本語を滅ぼすってことになりはしないかとの危惧。
その前に、新聞、テレビ、言葉の劣化を無くして欲しいな。そして、それ以前の「誤報」や「思い込み記事」も。

言葉以外でも。相変わらずの「被害者家族」のインタビュー。顔まで出して。それになんの意味があるのか。「加害者家族」へも。それへのニュース価値は無いものと。

もはや慣例としか思えない取材方法。なんでもかんでも撮りまくり、聞きまくりが報道とは思えないんだけど。それが、同じような事案の再発防止に役立つとも思えないし。

“あらさがし”するために見ているわけじゃないんだけどついつい気になる。

どうもこのリテラシーというあまりにも概念的な話は、まだまだ続けたくなってきました。いろんな角度から。結論はすでに用意してあるのですが。

2012年4月24日火曜日

国破れて山河あり・・・

一時期、やたら漢詩に凝ったことがありました。表現も人生観も含め、その韻を踏んだ詩が好きで。

誰でも知っている杜甫の句。
         春望
  国破れて山河あり  城春にして草木深し
  時に感じては花にも涙をそそぎ
  別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
  烽火三月に連なり 家書 万金に抵る
  白頭掻けば更に短く 渾(すべて)簪に勝えざらんと欲す


唐の時代の中国を詠んだ句ではなく、今のこの国を詠んだ句のように聞こえるのです。

他国から攻め入られたわけでもないけれど、この国は破れたのです。敗れたのです。
自然災害や原発だけでなく。国家として破れているのです。人心も荒廃しているのでしょう。春です。しかし・・・。

桜の季節です。この地も。華やかな桜花にさえ涙を誘われる時がある。
家族との別れが続いている人もいます。
たしかに、群れをなす鳥の羽音にさえ、驚かされるような時すらあります。心が傷みます。
天変地異の前触れかと思う時も。

原子の火の残滓はどうなることやら知れず、もう一年以上も“燃えて”いるようです。

家族からの手紙、たまに行き来するメール。それは万金に値するものとも。
山河は景色としてはあります。未だ雪を戴いた山々。
清流下る川・・・。それらは汚されてしまった。

杜甫の言う山河は無い。

はい、白髪頭は掻くほどに薄くなりました。まったく簪を受け止めるどころか、地肌丸見えのようになり。

杜甫には申し訳ないけど。「とほほ」の日々です。

そして有名な李白。静夜思。

   牀前月光を看る
   疑うらくは是れ地上の霜かと
   頭を挙げて山月を望み
   頭を低れて故郷を思う

春です。爛熳の候です。

人の途絶えた町にも、今年も桜はちゃんと咲いた。立ち入り禁止区域の桜。“許可”されたメディアだけが防護服を着ながらそれをカメラに収める光景・・・。

そこに在るものの本来の姿と、その姿を目に焼き付けるのではなく、カメラに収めるという特別な目線。誰にでも平等であったものがそうでなくなったという現実。それが今の、破れたこの国の姿。

今宵の月はいづれの方から出るのでしょうか。雲さえなければ月は誰にでも平等に光を投げかけてくれるのですが。月の光は故郷への思いにつながるのでしょうね。

2012年4月23日月曜日

「土」のこと

塾生の一人からメールを貰いました。原稿への感想です。坂本九の歌「上を向いて歩こう」を例にして書いた一文を含めての感想。

上へ上へと顔を向け続けていれば、足元がふらつきます。『上を向いて歩こう』は、きっといいことばっかりじゃないから時には、上を向いて…ってことではないかと私は解釈しています。今、子どもたちの詩に空の題材が多く代わりに土の題材は減っています。過度な上昇志向が、かえって精神のバランスを崩してしまってはいないか、空、が空虚さにつながってはいないか、根っこの部分にもっと目を向けなければいけないのではないか、と自問自答しています。
そのまま引用させてもらいました。子供の詩、空・・・。金子みすゞの詩を思い出しました。
                  土
   こっつん こっつん 打(ぶ)たれる土は
   よい畠になって よい麦 生むよ
   朝から晩まで 踏まれる土は
   よい路になって 車を通すよ
   打たれぬ土は 踏まれぬ土は
   要らない土か
   いえいえそれは 名の無い草のお宿をするよ


土、土、土・・・。今、福島県では土はすなわち「汚染土」と見られがちです。
除染の名のもとに、表土を剥ぐとか、表とその下を入れ替えるとか。

「土着」。それは故郷論の原点です。塾生のメールではありませんが、「足元」なのです。
それが完全に揺らいでしまっている今の福島県。土が無いと作物が作れない農家・・・。

打たれる。その言葉はコンクリートのことになってしまった。

町内会恒例の「掘り払い」。どぶ掃除。毎年今頃の恒例行事でした。今年は中止。側溝清掃で出た土を処分出来ないからということらしい。

そして近所の農地。所有者からその土地を借りたという“悪徳業者”が、どっかから運んできた土をダンプでもってきて積む。
行政や警察に言ってもほとんど効き目なし。見て見ぬふりか怠慢か。まったくの及び腰。

あの一反歩の農地は元に戻ることはないのかどうか。

別の田圃では、天気がいい日、土が畝されています。やがて田植えが行われるでしょう。稲が蒔かれ、育っていくとあたりの光景は一変します。

空からのおひさまの恵みを受け、雨の恵みを受け取って、土は豊かになり、人々の糧を生む。草のお宿どころではないのかも。

あの難解だった長塚節(たかし)の小説「土」。中学の時に手にしたけど、難しかった。農民文学の最高峰と言われている「土」。読みなおす気力はないかもしれないが。

子供の詩に土が登場するのを心待ちにしています。せめて室内の御砂場で遊んで、幼稚園の砂場で遊んで、人生に必要な知恵をすべて学んで欲しいと。お砂場から詩を紡いで欲しいものと。

2012年4月22日日曜日

田中角栄に無性に会いたい・・・

日曜の朝のテレビ。政治談議に花(?)が咲いている。不毛の論議とはいわないけれど、どれを聞いても、誰を見てても「虚しい」。解説、論評する人たちにしても・・・。

単なる回顧談かもしれないがー。

昔、角さんに時々言われた。「政局を追う記者よりは政策を勉強する記者になれ」と。
その頃の仲間の(他社の記者)一人が、発奮した。田中角栄がまとめたとされる自民党の「都市政策大綱」を、その作成過程から追い続け、中味を熟知し、関連取材もこなし、立派な原稿と解説を書いた人がいた。

角さんはそれから彼を信頼する、いや、見上げた記者だとして受け入れるようになった。

「政局ばかり追っている記者にはろくなやつはいない」。そうも言っていた。はい、亭主はろくでもない記者の一人・・・。

田中内閣誕生の時のキャッチフレーズは「決断と実行」だった。角さんは大概の事を即座に決断し、時には強引な手法であったも、それを実行した。総理大臣になる以前からでも。

山一証券救済の「日銀特融」はその一つの例。大学紛争を鎮静化させた「大学管理法案」も然り。
いわきから新潟を一本の線で結んだ磐越道も。目白の自宅から新潟まで行ける関越道も。「新潟の豪雪から守るためには三国峠をダイナマイトでぶっとばしても」と。関越道は角栄道路と揶揄されてゆえん。

誰が名付けたか知らないが、コンピューター付きブルドーザーは確実に動いていた。言ったことはやった。「よっしゃ、よっしゃ」と毎日の即断、即決。それはたんなる相の手ではなく、熟知した上での判断だった。

亭主だけが知っている一つの逸話。もう“明らか”にすることを彼も許してくれるだろう。
内閣総理大臣になった直後、会社の上層部から来た“業務命令”。「吉川英治原作の新書太閤期というドラマを作る。角さんのところに行って題字を書いて貰ってこい」。今太閤と喧伝されていたから。本人はその呼称を厭がっていたようだが。
身の回りの世話をしていた秘書のトシオさんに頼んで書いて貰った。
出来あがったという知らせで目白に取りに行った。書がおさめられている筒をあけて書を取り出すと、「大閣記」と書かれていた。違う、字が違う。
おそるおそる申し出た。字が違ってますと。
はっと気がついた彼は周りにいる秘書数人を呼んだ。硯をすった人や、傍で見ていた人たちを。そして泣きながら、涙を流しながら言った。
「おまえらは書くのをみていたろう。なんでその時、気がついて注意しなかった。こんな間違いをするから、角栄は中学しか出ていないと馬鹿にされるんだ」と。

涙を拭き、おしぼりで流れる汗をぬぐいながら、テーブルの上に広げた和紙に目の前で書いた。「新書太閤期 越山 田中角栄」と。

僕はなぜか、この人は本当に好きだと、その時再確認した。

五月雨(さみだれ)のように書いた田中角栄との「思い出」。そうやはりこれは回顧談というより、ノスタルジーなのかもしれない。政治史を書くつもりもないし、田中角栄の評伝を書くつもりもない。日本列島改造論の当否を書くつもりではない。まして、ロッキード事件なるものに触れるつもりもない。

そいう政治家がいたということ。

彼と最後にあったのは、病院に“隔離入院”のような状態になる数カ月前だったか。ホテルで開かれた政治家の資金集めパーティー会場。彼は挨拶を終えでるところでぱったり。「おお、たまには来なくっちゃだめぞ。もっと来いよ」。そい言って固く手を握り合った。あの握力で。こっちの手が壊れるくらいの力で握られた。あの感触を今でも覚えている。

田中内閣が誕生したのが7月7日。当時の担当記者と数人の田中家ゆかりの人が年に一回集まる。名前は七夕会。真紀子はもちろん入っていない。

ことしも七夕会が行われる。その日が早く来てほしいと、「今」だからこそ余計に思う。もちろん本人はいないが、その場には田中角栄の残滓のようなものが感じられるから

「対案を示せ、知恵を出せ。いいものは俺が実現してやる」。政治家や官僚に常にそう言っていた。官僚たちはこぞって知恵を惜しみ無く出し合っていた・・・。

2012年4月21日土曜日

無いものねだりのような

「名月をとってくれよと泣く子かな」。小林一茶の名句である。
無い物ねだりの例えに引くには申し訳ない気がするが。こういうこともそうなのか。

どうしても解せないことがある。原発と電力の問題。
だれがどうだと言うまでも無く、「再稼働」に向けた動きが急なようなきがしてならない。

いったい、原発が止まってしまってどれだけの電気量が不足するのか。メディアが伝えるのは「当事者」の発表数字である。今のところだけど。
それこそ、専門家も入れた、まともな人たちが算出して、計算した数字を提供することがまず先決かと。

前提にあるのは「正確」な電力供給量。電力会社で融通するなど考えられるあらゆる措置をとって、なにほど足りないのかということ。
たとえ夏場の猛暑が「想定内」だとしても、ほんとに足りないのかどうか。

このままではどうしてもやっていけない。それにみんなが納得した上での再稼働論議のはず。

すでにして「計画停電」の話が飛び出してきて、脅す、脅す。

電気があるのが当たり前。それはもう「ないものねだり」の世界。

再稼働の前にもう一つ政府がやること。足りないなら足りないなりの社会構造やシステムに英知を用いること。

「無いなりになんとかしよう」。そうやって戦後を乗り切ってきた日本人の筈なのに。

原発再稼働、安全対策、老朽化原発の廃炉。いったいナンボのカネかかる。電気代へのしわ寄せかい。

海底資源の活用。そのための経費のほうが安くつくのでは。
だから、あるもの探し。知恵出せ、知恵出せ、官民一体で。政府にはもう知恵は枯渇しているか出し惜しみしているのか。

もちろん原発にも手を染めたけど、資源外交を展開し、アメリカという虎の尾を踏んだと言われた田中角栄。彼の口癖の一つが「知恵を出せ」だった。

アフリカの地下資源はもう中国に全部取られてますよ。

ハトちゃん、イランに行って資源供給の約束でもしてきたのかな。

資源外交、エネルギー外交。さっぱり聞かなくなってしまったな。

春に背いてまたもや亭主のぼやき。

2012年4月20日金曜日

寝てる場合じゃないんだよ。

永田町用語に「寝る」というのがある。審議拒否というやつ。ま、言い分通らないからふて寝ってことなんですが。

いいですよ。寝たけりゃ寝てなさい。だけど働いて無いんだから給料は無しですよ。返してください。

これが普通の世間の考え方。

田中直紀と前田なんとか大臣に野党は問責決議案を出した。可決された。提出と同時に自民党は全面的な真偽拒否に出た。

これまでもよくあったパターン。国会戦術。平時のね。今は違うでしょ。寝る間も惜しんで働いてもらわないとならないことが国会には山積してるはず。

例えば原子力規制庁の事だって。とっくに出来ていなければだめなのに何の進展もなし。設置のための審議も無し。

少なくとも直紀が不適任であることは誰もが認めている。一番本人がわかっているはず。過去をどうこういうつもりもないが、田中家の婿に入る前は鈴木直紀。いわきの出身。

真紀子もとんでもない「種馬」をつかんだもんだ。長男はすっかり親に身切りつけているし。

その内情はともかく。直紀は辞めさせなさい。今では遅すぎるかもしれないけど。

政界の裏のかけひきや、野田の思惑はどうでもいい。馬鹿な民主党政権に輪をかけて馬鹿な自民党。谷垣。それを操る策士ども。

どうってことない金額の歳費削減やってお茶を濁し、働かないでも日々歳費を貰う。

民主も自民も、もはや本音は被災地なんて忘れたのかと。なにやかやと糞の役にも立たない三下が福島県内をうろちょろしてるようだけど。
審議に応じることを「起こす」「起きる」と言う。寝た子を起こすにはオメザか飴玉しゃぶらせるしかない。

延々として続いてきた国会の伝統。

そんな国会をしり目に、着々と進む原発再稼働。東電会長人事。おいおい、またもや仙谷暗躍かい。またもや弁護士上がりだぜ。検察の権威は地に落ち、なにかと跋扈する弁護士あがり。

寝てぐずる自民党。起きているようで昼寝してるような民主党。どっちも偉そうにいう。「国民政党」だと。「酷民政党」でしょ。

親父がわめけば息子にとばっちり。はい、石原家のお話。

口をひらけば「橋下に気配りして」だの「橋下人気に便乗しよう」だの、まことしやかな政局解説メディア。みんな橋下に気を使う。そりゃそうだ。彼も弁護士だったもんね。(笑)。

春にそむいてばかばかしいお話が、続けられているのです。今、こんな状況の日本で。

とにかく寝てる場合じゃないんですよ。「お公家」さん。ま、あしたどうなっているかはわからないけど。

2012年4月19日木曜日

歌の文句じゃないけれど・・・

古い奴だとお思いでしょうが・・・・
そんなセリフで始まった昔のはやり歌。鶴田浩二の「傷だらけの人生」。

時々歌詞を引き合いにして書いていますが、またもや歌。不思議なくらい的を射てる。

♪何から何まで真っ暗闇よ 筋の通らぬことばかり。
 右を向いても左を見ても、馬鹿と阿呆の絡み合い
 どこに男の夢がある♪

そしてもう一度頭の語りを。

「 古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。生れた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。 」

すでにして40年も前の歌。それが現代へのメッセージにもなるとは。歌は世に連れ、世は歌に連れということか。

この歌を“現代語”に訳してみます。勝手に”意訳”してみます。

「温故知新という言葉があるではないか。古きを訪ねて新しきを知るって。古今東西、文明は科学は日進月歩、進化しても、それを取り巻く人間の本質はまったく変わっていない。原子力発電という便利さを快適さを手に入れても、それがひと暴れすれば生まれた土地を追われて、その土地は荒れ放題になり、人心は真っ暗闇のように、嘆かわしいことになっている」。
「原発が止まれば電気がなくなり、世の中真っ暗闇になるという。そう脅して再稼働を目論むってのは、どうしても筋が通らない。政治や官僚の世界では、与党とか野党とか言ってみても所詮は同じ穴のむじな。今は禁止用語らしいけど、やはりわかりやすく言えば、馬鹿と阿呆という似たり寄ったりの連中ばかり。どこに居るんだろう。たくましい想像力を持って、この国の将来や未来を、いや明日を語ってくれる男が。いや、いない」。

そんなことになるんでしょうかね。


原発再稼働(大飯原発)についての世論調査とやら。再稼働容認という政治判断に反対という人が55%と。各メディア似たり寄ったりの数字。
反対が55%もいた。「も」もですよ。「も」じゃないでしょ。亭主にすれば55%しかいなかったという大きな衝撃。

浜岡原発のある御前崎市長選では、どっちかと言えば原発容認派とみられる市長が再選。

「多少のリスクは覚悟しても、原発がないと食っていけない」。そんな市民の声が載る。

福島の原発事故。放射線が体を壊してはいない。ただただ、人の心を壊してしまった。

こころの崩壊を嘆く・・・そんな亭主も「古い人間なんでございましょうかね」。
お天道さまには背を向けてはいないけど。

2012年4月18日水曜日

画家がしてきたこと

月に一回の気の合う仲間が集まった日本酒の会。その席で普段は無口な画家がしゃべり始めた・・・。

彼の名は橋本広喜。版画家、墨彩画家である。描くのは福島の風景。もう何十年も県内各地を回り、その四季折々を描いてきている。数年前からは東北5県にも足を伸ばした。東北6県の風景を描き続けている。

最近、埼玉県の版画協会から講演を頼まれた。大震災と原発事故についての。
訥弁の彼は絵と写真を持ってその場に臨んだ。酒席での彼の話はその内容である。仲間にも聞いてもらいたいと言って。

福島県の地図に地名が書かれ、原発を起点に20キロ、30キロ、40キロ、60キロ・・・点線が示されている。
浜通りの海岸線中央にあるのが東京電力福島原子力発電所。

浜通りの北から、相馬・南相馬・富岡・広野・いわき・・・。すべて彼が行って描いたところ。そして今年、行ったところ。
3・11前に描いた絵と今のそこを描いた、あるいは写真にとっての比較。

例えば相馬市の松川浦。かつて彼が描いた絵には青々とした木々と漁場の風景がある。その絵を描いた場所の今の光景。瓦礫である。
そこに彼は記している。「日本百景のひとつに数えられる美しい潟湖で、春は潮干狩りでも賑わいます。この絵は、一番外側の防波堤のような道路から描いたものです。その道路は、津波で破壊されてしまいました」。

例えば・・・「浜通りを代表する桜の名所。福島県内では、いち早く開花し、桜祭りが行われます。町あげてのこのイベントには、毎年県内外から数万人が訪れます」。そうキャプションに書かれた桜のトンネル。そうです。富岡町の夜の森公園の桜。代わりに描かれたいる現在の風景。一枚の看板の絵。「※福島第一原子力発電所から4km。立ち入り禁止」。

いわき市波立海岸の沖の岩に行く橋。それが壊れている光景。豊間の灯台、みだれ髪の歌碑がある灯台。立ち入り禁止、付近の民家が流されたあとの光景。

そして白河の小峰城。以前崩れたままになっている石垣。“健在”だった頃と同じアングルから描いた絵・・・。

彼は、講演で長い言葉を必要としなかった。我々にとってもそう。亭主も往時のその場所のすべてを知っている。行って、見てきている・・・。

往時の風景と今の風景を対比した絵。それは、まさに絵による“物語”である。

メディアではない。市井の人それぞれが、その人が出来る形で、「記録」をしている。いや、「記録」せざるを得なかったということ。

夜の森公園の桜。桜のトンネル。原発から7キロくらいのところか。テレビの撮影が許された。テレビの映像がその美しさを見せる・・・。

地元の人は誰も見に行けない・・・。

2012年4月17日火曜日

弁護士上がりの政治家の言辞

今の民主党政権を操っている“ならずもの”政治家。その一人が仙谷由人。
弁護士あがりの元全共闘の活動家。
全共闘始め、学生運動にのめりこんで行った人たちは大勢いた。しかし、それは世間で言う「ハシカ」みたいなもので、六十歳半ばを越えてもまだ昔の幻影を引きずっているかのような男は珍しい。思想そのものでなくても。

その男、民主党の仙谷由人政調会長代行。言ってくれましたね。「原発を一切動かさないということであれば、ある意味、日本が集団自殺をするようなものになる」。
この「ある意味」って言葉も曲者。菅の年中使っていた曖昧な、責任逃れの、後からどうとでも言い訳できるような言葉。

それはともかく。「集団自殺」とは。よくぞ言ったもんだ。先の「自衛隊は暴力装置」発言に匹敵するような、“ある意味”全共闘用語。

じゃ言い返しましょう。「原発を再稼働させれば、まだまだ安全確保もされていない原発再稼働させれば“集団他殺”だぞ」と。

恫喝です。司法の場で恫喝は検察のお手のものと思っていたけど、あはは、弁護士も使う常とう手段なのだ。国家権力を笠にきて。

もはや、あのラスプーチン斑眼の原子力安全委員会も蚊帳の外。免震重要棟もない、オフサイトセンターも海の傍。そんな原発よく再稼働させようって言うもんだ。


そして、もう一人が枝野幸男。黒を白と言いくるめる典型の弁護士話法を身に付けた男。
何が本音かさっぱりわからない口説の徒。

これも言ってしまいました。五月には「一瞬、原発が停まる」と。北海道の泊原発の点検うけての発言。「一瞬」なんだね。饒舌の故の失言か。泊が止まっても、一瞬だけ。大飯の再稼働があるからって本音がぽろって出たってことじゃないの。

去年の三月11日以降、こいつのいうことに何回だまされてきたことか。

国会議員には、もちろんこの二人だけでなく弁護士資格持つ議員さんが大勢います。与野党問わず。そして、それぞれの得意技。詭弁を弄するってこと。

亭主の中学時代の“野望”は弁護士になることでした。松川事件の映画見て触発され。弁護士だけが正義の味方だと思ったから・・・。アサハカだったのか。


ま、この話。表面に出た言葉をあげつらったもの。政界と言うところはまさに魔界にも通じる。
弁護士時代の交友関係や、そうでなくとも裏でのやり取り、取引き。衣の下の鎧、その下にも何かある。

勝手にほざいていろってね。ふと思い出した。あのsengoku38の名前の事。謎の中国漁船の体当たり。

ああ、世の中真っ暗闇だ。

そう思ったらほんとお天道さま消えて表は真っ暗に。そして雷鳴。春雷。悪口書いたんで仙谷が怒って雷落としてる(笑)。

2012年4月16日月曜日

町内会のことで・・・

亭主の住む町内会には16の班に分かれています。持ち回りなのですが、今年度の班長という役割が回ってきて。昨夜はその“会議”。名付けて前期班長会議。

冒頭の副会長さんからの話は、やはり放射線のことでした。子供たちを守っていきたいと。線量計も会長さんのところにあるから活用してください。食品の検査は公民館に持っていってこうやってと。熱心に質問するお母さんも。

班の名簿を渡され、説明を受けました。班の中に最近入居してきた富岡町の人が4軒あるということで。

そこは以前から借家だったところ。大家さんが改装して借り上げ住宅のようにしたらしい。おお、仲間大歓迎。住民票を移しているかどうかは知りませんが、近々会いに行こうと。

富岡町役場の知人二人に早速連絡。電話出ない。夜遅くになったようやく折り返しあり。「すいません、いままで倉庫で作業してたものですから」。

町役場の人たち、日曜日の夜も働いている。ようやくどうにか一息つけそうですと彼は言ったけれど。声は疲れていた。

4世帯の人のことも彼は知っていて「よろしくお願いします」。「お任せくだされ、面倒みるぜ」。「心強いお言葉ありがとうございます」。・・・のようなやりとりして・・。

別の班の班長さんのところには川内村の人もアパートに入っているとか。

南相馬市では警戒区域が解除。きょうから。よくわからない。立ち入りは自由だけど居住は出来ないってこと。

避難先から、一年以上前のままの我が家に入り、立ちつくす人たち。家の周りは雑草だらけ。
家の中で最初にやったのが一年以上前のままの冷蔵庫の中味片づけだったと。

何も終わっていない。これからが始まり。ゴールの見えない始まりかと。
富岡の人たちはこれから何年、郡山に住むことになるのだろうか。

諦めたのか、“希望”を持っているのか。

美しい村など初めからあったわけではない。
美しく生きようとする村人たちがいて
村は美しくなった。

120年以上前にあった磐梯山の噴火。ふるさとを蘇らせた人が言った言葉だと記憶している。

情緒的に言うのでもない。感傷的に言っているのでもない。120年前の惨事を契機に生まれたコトバは、今にも、まったく同じように通用するのだなと。

美しい国・・・・それは・・・・。もはや通用しない言葉なのかとも。

2012年4月15日日曜日

無礼千万なり!

国会の党首討論で「無礼千万」という言葉が出たということですが、我々からすれば、その言葉、そっくりそのまま発言者に「のしをつけてお返し」したい。

友人からメールが来ました。「瀬川さん、東京からの帰りですが、もう、東京では福島の事は過去ですね、過去完了ですね」と。ある政治家に会ってからの帰りらしいけど。返事書いたらまたメール来て、「今、福島駅に降りたところなんですが、東京から来た大学生数人のグループとすれ違ったら、“おお、福島ダゼ!皆、マスク用意~~。放射能で死ぬぞ”って・・・。てめえら、ざけんなよって言えなかった自分にも疲れましたが」と。

彼の性格をよく知っている身としては心情理解するに余りあり。よくある無礼千万な奴ら。
ま、こんな小僧どもはどうでもいいことだし、まともな奴らもいっぱい知っているからーーとは思うものの、もし、そう言った現場に遭遇すれば多分一喝したでしょう。「無礼千万なり」と。でも、そういう輩にはこの日本語通用しないかも。

大飯原発再稼働。政治判断だとか。政治判断出来る問題じゃないでしょ。まして、今の政権にあるお前ら三下政治家に。出来るじゃない、出来ない問題でしょと。

再稼働妥当“宣言”。野田がやって然るべきなのに、またもや枝野にお任せ。豚もおだてりゃ木に登る。そして言いも言ったり。「電力不足になれば、高齢者や病人など、社会的弱者にしわ寄せが行く」とか。無礼なり。

例え電力不足になっても、「弱者」を助けるのが国家でしょ。その策を考えるのが政治でしょ。国家による恫喝、再び登場の巻き。

もちろん、最初から再稼働ありきで動いていたことは間違いなしだけど、たしかに福島はもう過去完了にされているのかも。

事故の検証も済まず、未だ不安定な原発を抱え、何の総括もせずに電力不足を盾に再稼働に走る姿は・・・。福島では何も解決されていない。多くの避難民がいる。放射能の恐怖におびえている人たちがいる。もっともそれは、その恐怖心は“妥当”なものだと言い難い部分もあるにしても。

とにかく福島県民が多大な被害の真っ最中にあることだけは間違いなし。
福島県民や隣県でも「被害」を受けている人に対して無礼なことこの上無しと。

枝野は福井県に行った。福井県知事はともかく、隣県、隣市は「反対」。それらを見切るのか。

政治家の打算と駆け引きが見えてくる。足して二で割る手法が。容認派には妥当との判断を示し、地元理解を最終判断の材料にするという逃げ口上を持っているまま。「大阪や滋賀、京都の反対で出来ませんでした」。最大の“強敵”とされる橋下の顔立てられる。選挙での脅威はいささか弱まる。

そんなこんなの落とし所かとも。だから日々の動きを無視したくもなるのだが。

そしてこの“シナリオ”が当たりだとすれば、これまた無礼千万。

政権と政治と国民の間に出来てしまった溝。不信の渦。もはやそれを埋める手立て無しとも。国にして国家の態を為さずにありと。

2012年4月14日土曜日

「あつもの」と「なます」

羹に懲りて膾を吹く(あつものにこりてなますをふく)という諺がある。

熱かった吸い物に懲りて、ついつい膾(なます)、お酢で野菜や魚介類をあえたもののような冷たい料理も吹いて冷ますということから、一度しでかした失敗に懲りて、必要以上の用心をすることのたとえ。

昨日の北朝鮮、“ミサイル”発射時の日本の情報伝達の在り方。藤村なんとかがいうダブルチェックとやら。まさにこれのことと。

アメリカの早期警戒衛星から送られて来た発射情報があるにもかかわらず、他の手段でも確認していたからという言い訳。それは3年前に北朝鮮がミサイル発射と言う防衛庁のレーダー誤探知によって、実際は発射されていないのに、発表してしまい、大恥かいて“辞任騒動”まで引き起こした、いわば「勇み足」を避けようとしたということらしい。

3年前がアツモノで、今回がナマスってことか。バカを言うのもほどほどにしろよ。

もし、仮にだよ、日本本土に向けてミサイルが発射される事態だってありうる。「確認作業」なんって悠長なことやてるうちにミサイルはとっくに到着している。

昨日も書いたけど、原発爆発時の枝野の会見と似通っているこの平和ボケ政権。
「何らかの爆発的事象があったようだが確認中」。あの戯言(たわごと)がトラウマのように思い起こされる。みんなテレビの映像見て知っている。爆発したことを。それなのに・・・。目くらましなんて出来ないのにイケシャアシャアと。

例えは悪いが、菅・枝野・海江田は“A級戦犯”のはずなのに。未だのさばり、菅を手玉にとったように、今度な野田を手玉にとっているかのような枝野。大臣にさせるべき奴じゃなかったのに。

今度は藤村。木偶の坊の直紀。国民の生命と財産、安全を守るという憲法の規定に大いにそむいてはばからない。
鉄は熱いうちに打て。そんな諺もある。

「アメリカからの情報では、発射されたということです」。ちゃんとクレジット入れて即刻発表すべきだったこの事案。

さまざまな「情報化社会政策」をやりながら、当事者たちは、それに全く乗り遅れている。何の教訓も得ていない。

追及された藤村は言い訳。「何らかの検証が必要だ」。ならすぐにしろよ。熱いうちに。喉元すぎれば何とやらか。午後からは大飯原発再稼働会議に変身。

春の陽気にねぼけていたのかい。

そして、前のめりかどうかしらないけどねぼけ会議で再稼働妥当だってさ。そしてまたも聞かされる。枝野の二枚舌発言。そして福井県にご出張の由。

自民党というアツモノに懲りて、ナマス、いやナマクラ民主党を選んだ国民にこの諺返されているのかな。

2012年4月13日金曜日

結局、あの時と同じだった

朝、民放テレビをみていたら、情報番組というやつを見ていたら。突然のニュース速報。たしか8時過ぎ。北朝鮮がロケット発射と。出所は韓国。日本政府は未確認と。

民放からNHKに。なんと、朝の連ドラ真っ最中。ニュース番組になるでなし、L字の速報画面があるでなし。

さてさて民放早とちりかと思いきや。アメリカのメディアも伝えてくる。日本政府は「確認中」だと。そっか、NHKも確認中だったのかい。韓国発の一報は入っているはず。

そして見せつけられたのは、頼りない政府のあたふたぶりとテレビの混乱ぶり。

「冷静に対応してください。確認中です」と官房長官が言ったとか。あのね、国民は冷静に見ていたんですよ。混乱して、あわてていたのは政府とメディアでしょ。

北朝鮮に送り込まれている報道陣からの情報も無いし。きのうまで、あれだけ政府のお先棒担ぐみたいに、やれ、Jアラートだの、Mネットだの言っていたのに、どこにも政府からの情報が入ってこない。なんにも機能してないじゃないか、このシステム。

結局同じじゃないの、あの時と。原発爆発の時と。「情報」を巡る対策、体制がやはりまったく出来ていなかったということ。隠すことは何もないし、いち早く知らせなければ、危険は回避できないだろうに。

お粗末さをまざまざと見せつけられましたよ。またもや。

結果は「打ち上げ失敗」ってことで、“被害”はなかったものの。この後味の悪さ。

福島県にMネットとやらで情報が寄せられたのはなんと一時間後だとか。もう全部終わってるじゃないの。海の中に破片となって沈んでいるんじゃないの。

敢えて“騒動”と言わせてもらえれば、これで何がわかったか。この国の情報収集能力、危機管理システム、情報伝達システムが未だもって不十分だったということ。なってないってこと。

この国の甘さを世界に露呈してしまい、打ち上げには失敗したものの、日本の混乱ぶりを見て喜んでいたかもしれない北朝鮮。北朝鮮の国営テレビの発表は早かった。失敗したら黙るのが常な国なのに。敢えて。したたかさが垣間見えるような。

「7時40分には情報は入っていた。ダブルチェックしていたために発表に時間がかかった。情報伝達の在り方、再検証することが必要」。官房長官さまの片言つまむと。

「わが国には影響ない」。官房長官。影響ないっていわれると、またまたあの時の「ただちに影響ない」発言を想い出してしまう。

破片がおちてくるなど物理的影響はなかったけれど、いろんな影響は有ったんだよ。

踊る官邸、踊るマスコミ。ピョンヤンにいる報道陣は、何を見せられ、どうするんだろう。
きのうまで散々見せられていたあの管理センターみたいなところのモニター画面。それは何だったんだい。張りぼてモニターだったんじゃないの。

何をやらかすかわからない北朝鮮。早や、次なる一手を考えているかもよ。

しかし、本当に頼り無いんだこの政府とやらは。

そして気になる原発4号機・・・。この情報開示はいかがなのかな。

2012年4月12日木曜日

“デマ拡散罪”って無いのかな

とにかくなんでも言いたい放題。いや、何でも言うことはいいのですが。「デマ」だけはどうぞご勘弁いただきたい。

ちょっと前の話。神戸大学の放射線計測学ってのがご専門の教授、山内知也って人が大阪での講演会で言ったという。「福島市長は山形市に避難していて、毎日公用車で福島に通っている」って。ネット社会にあっと言う間に広まったデマ。
ご本人、ヤバイと思ったのか。福島市長のところに謝罪に。ま、その辺は可愛いとこもあるけれど。いわく「流言飛語の類を信じ込み、市民に混乱を与えてしまった」と。お粗末極まりなし。

ということは、神戸や大阪にはそんな飛語が飛び交っていたということか。
さもありなんとも。

原発事故後、ほんと、ありとあらゆる専門家、学者が登場し、あることないこと、しゃべくりとばしていた。後からバレる嘘も平気で。口害撒き散らしてしらっとしている。

やせても枯れても大学教授っていうのは教育に携わる人でしょ。若いもんに物を教えるひとでしょ。学究の徒でしょ。たとえ間違っていたとしても、ちゃんとした研究の結果を話すならともかく噂話をまことしやかにしゃべるなんて。

とんでもない。この罪は大きいよ。瀬戸市長は法的措置はとらないと言っているというけど、やった方がいいね。
該当する罪名は少ないだろうけど。

そして、大学はどうするんだろう。解雇しなのか。
神戸大学の信頼度はなはだしく低下させたと思うけど。

「デマ拡散罪」って無いのかな。作ろうよ。

市長の動向。それはマスコミさんのお仕事。学者さんのお仕事に非ず。

週刊誌に嘘の放射線量記事を書き、郡山は人が住むべきじゃないなんて言ってフリージャーナリストとかいう“言論やくざ”もの、上杉隆。まだしゃあしゃあとしているらしい。「風評被害」なるものを巻き散らした張本人。それが須賀川に来て講演するという。

そしてびっくり。風評被害を怒っている集まりが、その講演の「告知」のようなことやてる。わけわかんないです。

何を書いても、何を言っても「言論の自由」だってさ。その自由の裏に、というか、それに伴う責任と覚悟ってのはどうなってるんだい。

この「責任」って言葉。これほど曖昧で意味を持たない言葉ってないような。政治責任ってことに代表されるように。責任って何だろう。責任、責任。日本人の好きな言葉。「おまえじゃわからん、責任者出せ!」って常套句。

「責任をとります」って言わせ、言えば、それで無罪放免ってことにするようような風土。

ならぬものはならぬ。会津藩士への教え。許せないものは許せない。

「鼻血」のデマも然り。もう、ほんと、うんざりしているのです。いちいち誰何するのも面倒なくらいに。

あらゆるとこで、あらゆることが「劣化」してるってことなのか。

「デマ」では無いけど、北朝鮮の人工衛星、ミサイル打ち上げ話。メディアは過剰反応です。反応を彼らは笑いながら見てるかもよ。ピョンヤンにまでご招待しての「公開」。

「北」の宣伝戦にうまく利用されているような感じさえしてきて。久々のどかな春の気配なんだけど。

2012年4月11日水曜日

「大震災で亡くなった方」

きょう、4月11日。去年のこの日は大きな余震があった日。3・11よりも怖かったくらい。覚えていますか。直接的被害、被災は少なかったけど。最大震度6弱。震源地福島県沖。

あれから13カ月。今も新聞には「大震災で亡くなった方」という欄があります。普通の死亡記事欄とは違うところに。それぞれの県警の発表だそうです。

ひところまでは紙面のかなりの部分を占めていましたが、最近はお名前の数がだんだん少なくなってきています。

たとえば昨日の紙面。宮城県の7人の方の名前と住所が。高齢の方あり、中年の方あり。若い方がいた時もありました。

今も「大震災で亡くなった」人たちがいるということ。

その方たちが、いわゆる震災関連死。避難所や仮設の住人の方ということでしょうか。その辺がよくわかりません。でも、13か月も経った今でも「大震災で亡くなった方」は存在するのです。

もしかしたら、行方不明者になっていた方々が見つかり、身元が判明したって方もいるかもしれません。それがわからないのです。

福島県でも、先ごろ、請戸川周辺で県警の大掛かりな行方不明者の捜索が行われました。そのことは報道されたが、結果がどうだったのかという報道は無い。

「捜索」は一過性の数日間の「イベント」ではないはずなのに。

先月、内閣府から南海トラフの活発化によるマグニチュード9の地震が発生し、23メートルにも及ぶ津波が発生する可能性大と発表されました。
東日本大震災の「検討、検証」をもとにした科学者たちの精査した予測だという。

テレビは数日間、この話題で持ちきりでした。各種のシュミレーションがCG画面を含めて映し出され、浜岡原発に襲う津波の映像が流され、高知県の黒潮町では町そのものがのまれてしまうとされた。などなど・・・。

津波は2分後に到達すると計算されていた。

来ないことを、起きないことをただただ祈るのみ。

すでにして、高台移転を検討し始めた自治体もある。高台に逃げられる「道」を完備させているところもある。少ない予算をやりくりして。

南海トラフ地震、津波。それの予測が出たのは東日本大震災があったからである。

そして、起きるかもしれない大地震、大津波を防ぐことは困難である。

しかし、東日本大震災と、原発事故をきっかけにして、「備え」が出来ればと思う。東北の「経験」が生かされるなら、東北の人間は、あの悲惨な災害を被ったことを甘受しよう。
同じようなことにならないように役立ってもらえれば。

未だ、毎日のように名前が載る「死者」のためにも。

それにしても南海トラフ震災予測。なんでこのタイミングだったのだろう。

大きな恐怖心や不安を与えることで、対象地域の原発の安全性向上を促そうということか。
いや、そうではあるまい。「フクシマ」から目をそらさせようとしているんじゃないのか。

こんな「うがった」考えさえ浮かんでくるように、福島県民は政府に、権威に対して、ぬぐえない不信感を増幅させているのだから。

2012年4月10日火曜日

とんちんかん・・・付け焼刃

「トンチンカン」と「付け焼刃」。いずれも鍛冶屋さんにまつわる言葉。漢字の当て字では「頓珍漢」と書く。鍛冶屋で鉄を打つ時に、音が揃わないことから来たもの。物事の辻褄が合わなくなったり、ちぐはぐになること、または、間抜けな言動をする人を指す。辞書にはこんな記述がされている。

付け焼き刃という言葉は、中世の刀鍛冶の用語だという。切れの良くない刀に鋼(はがね)の刃を付け足したものを言い、転じて「にわか仕込み」を表すようになったとか。

関西電力大飯原発の再稼働をめぐって、政府がわずか3日で作った安全対策の基準。まさに付け焼刃かと。しかも、その基準とやらが「とんちんかん」。

その基準で再稼働させて、何かあったらどうするー。「はい、私の責任です」と枝野。おいおい、お前さんいつまで大臣やってるつもりだい。とっくに民主党政権は終わっているぜ。
ほんと「とんちんかん」な言葉ばかり発する。

童謡。村の鍛冶屋。「しばしもやまずに槌打つ響き、飛び散る火の花、走る湯玉。“ふゐご”の風さへ息をもつがず、仕事に精出す村の鍛冶屋」。
こっちはね、壊れた“ふゐご”のように息をぜいぜいしているんだぜ。

昔風に言えば、原発事故だって、「ふいご」が正常に機能してなかったってことじゃん。

落語のネタにもならないや。

そして頓珍漢なのは電力需給。大飯再稼働しないと夏場の電力足りないと、数字が並べられる。電力量の数字なんて当事者しかわからない。メディアが伝える数字は、発表に過ぎない。その電力会社の数字にお墨付き与える経産省。数字もまさに「付け焼刃」の感あり。

エネルギーの需給問題と原発問題は別のものと思量せり。
電力会社の融通はどうなっているの。

発電コスト、コストとばかり言う人いるけど、建設や廃炉のコスト考えたら、原発って一番高いコストかかるんじゃないかな。

原発の本質論はさておき、再稼働を巡る動きの数々。なんか様々“陰謀”臭くって。

原子力規制庁が出来ないからっていうんで、あの「デタラメ、斑目」は健在なり。瑣末なことを、揚げ足取りのようなことばかり言って、規制庁法案の審議すらしない自民党ってなんだい。

消費税巡る党首会談に応じないってのも然り。手続き論での反対。事の本質ではないはずだが。

頓珍漢ばかりが生息している・・。

民主党にも、自民党にも、東電にも、経産省にも、「まとも」な奴はいるはず。それらは「組織の論理」ではじかれる。昨日も書いたかもしれないが「電気止めてやれ」って冗談ではなく言っている役人もいるとか。

国を建て直す「鍛冶屋さん」出でよって。

「マッチ擦る束の間 海に霧深し 身捨つるほどの祖国はありや」。

2012年4月9日月曜日

「本末転倒」なのだ

桜の眺めは未だしですが、きょうの郡山は春の気配です。
きょう入学式や始業式を迎えた方も多いかと。おめでとうございます。
姪の息子も入学式だった。写真の姿は凛々しかった。

で、本題・・・。

物事の根本的なことと、そうでないことを逆さまにすることを「本末転倒」という。辞書にはそう書いてある。原発再稼働をめぐって、先頃枝野は「理解」と「同意」の解釈を問われて、「辞書に書いてある通りだ」と見栄を切ったが、普通の人が持っている辞書と枝野の辞書とは、月とスッポンくらいの違いがあるのだと思う。困ったもんだ、日本人なのに日本語を知らないって。

福井県の大飯原発再稼働をめぐる問題。枝野発言の迷走。野田の突飛な見解。
第1次ストレステストの結果が出て、次は第2次と思いきや、いきなり“安全基準”を政府が作成と言いだし、たった3日で“基準”なるもの作ってしまった。もちろん経産省の役人が「おっとり刀」の「付け焼刃」で作ったものだが。いや、もしかしたらずっと前から作っていたのだろう。この日に備えて。

なんで再稼働を急ぐのだ。その理由は「電力不足」だとされている。電力がどれくらいあるのか。そんなことは誰もわからない。電力会社以外は。発電量、いくらでもごまかせる。

なに、政治判断だって。ふざけんなよ。政治家が判断出来る問題じゃないでしょ。専門家という人も信用してないけど、危機管理も出来ない政府の判断なんてちゃんちゃらおかしい。おへそで茶をわかすようなもんだ。

地元の理解を得るために野田は福井県に行くとう。京都や滋賀は手下にやらせるらしい。福井はたまたま立地県であるということだけ。事故を起こしたら、県境なんか関係ない。風が決める。

だいたいね。県境なんて明治政府のこっぱ役人が地図に線を引いて決めたにすぎない行政区画でしょ。県境なんて、山の中だったり、田んぼの中だったり。
川をへだてた向こうってことでもない。中東のように民族が違うわけでもないし。

この夏、関西電力管内ではこれだけ電気がたりなくなります。そういった正しい実態が明らかにされて、その上で、いたしかたなくというならまだしも。
電気がなくなる、電気がたりない。そればかり言って脅して。
やくざモンより始末が悪いぜ。こけおどし。
原発再稼働はまず福島県の問題を解決してからにしてよ。あんあたらには分かるまいが、これだけ苦しめられている福島県民。せめて、その犠牲によって成り立ったのが新エネルギー政策っていうんじゃないと浮かばれないよ。

もちろん被曝では全くないけれど、福島県では621人が震災関連死している。激変を強いられた 避難生活のためだ。
「ふくしま」をきちんと検証して、責任の所在を明確にして、菅を事故調含めて「証人喚問」してからの再稼働論議。まだケツも拭いてないのに・・・。

免震重要棟も持たない大飯原発。電力会社に「計画書」作らせて、それでよしとするらしい。とんでもない。F1でも免震重要棟があったから、まだあれで済んだんだ。

あんな「基準」とやらで再稼働。原発に絶対安全なんてない。もっと大きな津波だって来るさ。もう自然は以前とその有り様を異にしているんだから。

もし、これで再稼働ってことになったら、あっちこっちの原発再稼働さ。老朽化しているものどうするのって。あの基準で。

先月11日。郡山市で反原発集会があった。なにも責められる所以がないところで。
あの時、バスに揺られて来た人達。再稼働に前のめりになっている官邸や経産省のおひざ元にいる人たち。何してるんだろう。

経産省の前には座り込みを続けている人達がいるという。・・・「という」と書いたのは、メディアがもうそれを全く伝えなくなったから。
官邸内でのバカな記者の意味無い立ちレポ流しているんなら、その周りも撮って流してみてよ。抗議デモがきているのかいないのか。

ツイッターでは4月13日の抗議デモの呼びかけが行われている。官邸と関電前で。
もし、政府を動かし、政策を変えさせるなら、あの安保反対闘争のような大規模なものでしかないぞ。岸を退陣に追い込んだような。
花見気分じゃだめなんだよ。帰りに千鳥が淵寄ってってようなもんじゃ。

オキュパイド、ワシントン。あれは今どうなったんだろうね。
オキュパイド永田町なんてありうるのかな。
煽っているんじゃないけどね。

2012年4月8日日曜日

東電とカネ。もう一言・・・。

東電だけでなく、他の電力会社についても言えることですが。原発立地地域。それは一部を地域を除いて、ほとんどが、貧しい、貧しかった「村」に作られています。

札ビラきって、札ビラで頬ひっぱたいて・・・。人間はなんたってカネには弱いのです。カネが欲しいのです。裕福な暮らしがしたいのです。メシが食えないような貧乏な暮らしや過酷な日々は厭なのです。

福島県双葉地方。貧しい土地でした。青森の六ケ所村周辺もそう。その他も・・・。

貧しさにつけ込むように立地を図る電力会社。それを地域振興にしようとする県知事や幹部。反対や懸念を示す住民にはカネ、カネ。

出稼ぎ、集団就職。減る一方の人口。原発マネーは町や村を潤してくれました。雇用創出。個人所得も大幅に増えました。町は活気にあふれ・・・。

簡単に言えばそういうことです。福島県民はおとなしい。もっと怒れと都会の人は言います。集団就職の子供たちを金の卵として迎え入れた都会。そこから生まれた電気を使いまくって成長し、繁栄した都会。日本の経済成長の原点は、田舎の寒村にあるのです。

原発事故。原発マネーで潤ったことを知っている人たちはあからさまに怒りをあらわせないのです。黙っているしかないのです。それがおカネの正体。

原発マネーとやらを貰っていた学者や専門家や企業。その人たちが、さまざま言い澱み、沈黙をしているのも、あるいは、「代弁」しているのも、お金の力なのです。

貧しい村に降って来たカネ。それを地元の人たちは、あえて「シャブ」と言います。“快楽”の麻薬を入れられてしまった。大まかな構図。

事故。電力会社はまたもやカネの力を使います。黙らせるには「カネが一番」。経験として知っているからです。

賠償金が支払われました。「シャブ」がまたもや打たれました。「俺たちはシャブ漬けになってしまった」。そう自嘲している人もたくさんいます。でも、わかっていても抜けられない・・・。
帰れるけど帰らない。そういった人たちがいるのも事実。あまり書きたくはなかったのですが。

線量は低くても、生活インフラが無くなっている。田圃は耕せない。家畜も飼えない。買い物するところも無い。原発がないから職場が無い・・・。
そうなんです。たしかにそうなんです。

「郡山は便利なところだ。病院もあるし、買い物もすぐ出来るしね」。郡山への移住を真剣に考えている人もかなりいるのです。線量は高いのに。

政治はこの現実には口を出せません。出しません。見て見ぬふりです。マスコミとて同じ。

「働きたいよ。働かないと俺はダメな人間になってしまう」。わかっているのです。彼らも。で、すごく悩んでいるのです。でも、シャブから抜けられない・・・。いつそのルートが切られるか。それを不安に思いながら。

高度経済成長の甘い蜜。日本人はそれを味わってしまいました。甘い蜜の味が忘れられないのです。経済的に豊かな生活を当然としてしまったのです。そこから抜け出せない。

原発再稼働を言う政治家たちに共通した感覚です。そして、それを是とする、当然とする国民もいる。エネルギー無しにどうやって成長が出来るんだ。そう信じ込んでいる。

経済成長を“理由”に原発再稼働を言う政治家。
電気代の値上げは権利だと言い放つ東電社長。
電気止めるぞと脅す政府の一員・・・。

「カネがあればすべてが買える。人の心だって」。ホリエモンが絶頂期にあった時代の“名言”。
その“思想”はまだ絶えていない。

年金暮らしの亭主。口座残高見比べながらの日々。疲れます。だから、買ってしまうのです。ドリームジャンボ宝くじを。決して当たりません。
「欲望という名の電車」。それには終着駅はないのかも。降りるタイミングをはずしてしまっているのかも。

きょうはキリスト教の「復活祭」。「平安」という言葉が行きかっていましたが・・。こころかき乱される日々にて。

2012年4月7日土曜日

東電とカネ、続き。

昨日、今日、とてつもなく腹がたって・・・。原発再稼働はじめ。この政権の、というか民主党政権のやることなすことに。

それはまたにしても・・・。

“汚”の字がつけられた福島県。きのうも書いてけど、避難していた川内村は、おおむね、線量は郡山より低い。線量に関しては郡山より安心なところのはず。

たとえば東北道を南から北に上がってくると、途中の那須高原あたりのほうが高い。そこは福島ではない。栃木県。

“汚”は福島県だけじゃない。近隣県にも及んでいることをなんでメディアはもっとはっきり言わないのかと。

原発被害は、だから、福島ではなく「ふくしま」なのだ。極論すれば日本列島は「ふくしま」なのだ。農産物だって、宮城の原木シイタケ。茨城のタケノコ。

「圧力」に迎合した安全基準値。100ベクレルのなせる事。わずか0,008μシーベルトの事。
それが「健康に影響」するかどうかは、どれくらいの量を摂取するかと言うこと。

ま、それはともかく・・・。

東電の役員報酬。平取(ひらとり)で3千万だったのを1、500万円に減らしたという。そして夏のボーナスは社員含めてナシだという。

「まだ、1,500万円も貰っているのか」。テレビのキャスターさまは眼鏡の奥の眉間に皺寄せて怒る。たしかに年間1,500万円の給料は高額だ。だけどね。それを誹るキャスターさん。あんたはいったいいくら貰ってるんだい。とんでもない金額なんじゃない。。

テレビ局の社員、幹部。いくら貰っているの。新聞社も。年俸、億の人だっているんだよ。
はい。亭主もテレビ局の“役員”時代、たしかに年俸1千万円貰っていましたが。

あえて政治家の給料には触れないつもりだが、わけのわからない政局騒動に血道をあげている政党。そこに流れ込んでいるのは政党助成金と言う多額の税金だよ。

きれいごとばっかり言ってるんじゃないよ。みんな「カネの亡者」じゃないの。

しかしね・・・。東電とひとくくりに言っても、高額役員もあれば多くの下請けもいる。使命感に燃えて働いている一般社員もいる。

福島県民が一番望んでいるには彼らの報酬がどうとかというよりも、原発が終息すること。
ほれみてごらん。政府とやらが終息宣言なんて言ったそばから、汚染水が漏れ出しているし、天気が荒れれば作業は中断するし、“危険”な状態にもなるし。

あの「収束宣言」は何だったのかい。

原発を、今、どうにかしているのは現場の作業員や社員。ボーナスカットとくれば、そりゃ、はやり言葉じゃないけれど「モチベーション」落ちるわな。

いまだもって騒ぎの元の汚染水。去年の今頃と同じじゃないの。状況的には。

あの全国民の期待をかき立てたメガフロートってどうなったの。
日本の技術じゃ当てにならないってことで、大歓迎されたフランスのアレバ社の装置は活躍してるの?食い物にされただけじゃないの?

季節の移ろいよりも、もっと早いメディアの目線の移動。フォローされていない事象のなんと多いことか。

自分たちが流した「誤報」「虚報」「思いこみ」によって、どれだけ心の汚染を広めたか。賠償金を貰いたいくらいだよ。

原発マネーとメディアの関係。それをあえて言うつもりはないが。大手広告代理店がいろいろ“暗躍”してるってことも、言いたくないが。それに報道が影響されているとは思いたくないが。

今更ながら。メディアの劣化は激しいと思う。メディアは必要なのだ。それが無いと成り立たないのが社会システム。

メディア。それは楽しい仕事。社会的影響力は三下議員よりはるかに上。なのにね。
劣化かい。資質の低下かい。

瓦版と伝言板の時代のほうが人間は「まともに」生きていたような気がしてきて。

はい、またもや「放言集」なのです。

2012年4月6日金曜日

東電とカネ。不可解と不条理。

どう考えてもふに落ちないのだ。東電とカネの話。ま、いろいろあるけれど。

“強制避難”させられたわけではないけど、福島市や郡山市などには賠償金が払われることになった。大人一人8万円。妊婦や子供には一人40万円。

この「賠償」の趣旨がいまだもってよくわからない。その報道がされて以来、明快な答えは誰も言わないし、どこも伝えない。なんとなくの「賠償金」って感じなのだ。

一番“被害”を被った農家。風評被害に泣く旅館業・・。それらは別途賠償されている。
いわば住民への賠償。

一月前くらいだろうか。東電から手紙がきましたよ。名前と口座番号書いて、郵便局の窓口に直接持っていけという通知が。

ちょっと下世話な言い方しますが・・・。

このカネって、何の賠償金。いや、もちろん原発事故で放射能をばらまいたってことはわかっているのですが。

慰謝料なの。オトシマエかい。口止め料かい・・・って。なんか釈然としないながら手続きしている人たちも多いとか。
自己除染で何十万円もかっかた人は納得出来ないというし。

少なくとも目下、一時間に線量0.6μシーベルトの線量下で暮らしています。でも、普通に、まったく普通に暮らしています。

カネの趣旨がよくわからないし、カネ貰うってことはどうも借りをつくるような気がして、はい、まったくの個人的“悩み”ですが、ちょっとためらいました。

貰わなかったら東電の“もうけ”。それは嫌だということで投函。まだ入金されてどうかはわかりませんが。されてないと思いますが、入ったら、例えばシェルターにいるペットの餌代に寄付していいかもと。

申し込んでから気がつきました。東電は、彼らに言わせるともうカネが無い。国に支援を求めた。それはとにかく総額3兆4千万円。国に。それって税金でしょ。

一つのへ理屈が浮かびます。「なんだい、福島のやつらは俺らの税金を貰ってるのかい」なんて誹謗が聞こえて来そうだし。とかなんとか。

そして驚いた。白河など県南地方や会津地方は線量低いってことではずされている。彼らは怒った。対象に入れろと。結果、妊婦と子供に一人20万円、大人は4万円支給。
その原資には東電からの「寄付金」を充てるとか。

カネよこせ、カネよこせの連呼が悲しい。

おいおい、県知事さんよ、何考えているんだい。確かに君の選挙地盤は南会津だけど。

子供、妊婦に40万。それは被ばくによって影響受けることへの対応だとするなら、金額で見る限り「影響がある」ってこと。
「いまのところ影響は無い」って言い張っていた枝野はあれを訂正したのかい。あの発言はそのままでしょ。そして時々、東電に大声あげているけどなんか「負け犬の遠吠え」みたいに。東電は赤い舌だして、次は「値上げ」だと。

値上げ話はまた別にして、あの「賠償金」について、きちんとした“解説”をだれかしてくれないものか。
そして、東電の寄付金なるものを当てにする県でいいのかどうか。

東電の直接賠償対象外だった県南地方や会津の人達は言う。我々も風評被害受けて大変なんだと。全県同一であるべきだと。県民同士のいがみ合い狙った東電の“策略”か。

じゃ、県境がちょっと異なった茨城や栃木、そして宮城はどうするの・・・。宮城県の妊婦には20万円払われるって話もあるけど。

「同心円」と同じような発想。

カネにまつわる話は多々言いたいこともあり。でも疲れます。きょうはこの辺で。

再稼働をめぐる政府の対応。まったく泥縄式なやりかた。なぜ急ぐんだい。一つの勘ぐり。再稼働派は自民党にも多い。消費税法案通すための「原発妥協」かと。

帰村を決めた川内村ではきょう小中学校の入学式。出席者は30人。わずか18%。主役の生徒や父兄よりもメディアの人数が多かったという・・。

2012年4月5日木曜日

歌はすでにして在ったのだ

去年の今日、4月5日は忘れられない日である。友人のフルート奏者、佐藤真人とビッグパレットの避難所に慰問演奏に行った日。
数曲吹いた後で、真人が言った。「皆さんからリクエストがあれば・・・」。彼が用意していたリクエスト曲のリストを配った。はい、それは僕の役目でしたから。

それは日ごろ彼が使っているリスト。曲目にあまり留意していなかった。お互いに。

端のほうにいたばあちゃんが手を挙げた。足が悪いらしい。娘さんが付き添っている。
駆けていって曲目を聞いた。「ツナミ」だと。あのサザンの。川内村と富岡町の人たちがいるビッグパレット。富岡の人は津波の被害者もいるかもしれない・・・。

「ツナミ?」って聞き返す。周りの人から反対の声は無い。だけど・・・正直困惑。真人と目配せ。やろうと。歌詞カードを渡した。彼も戸惑いながら吹いた。ツナミを。リクエストしたばあちゃんは、遠くを見るようなまなざしで、涙を流しながらそれを聴いていた。終わると思いっきり手を叩いてくれた。音楽とともに彼女の中で何かが浮かび、何かがはじけ、何かに区切りを付けたのか。長が~~い、手ばたき(郡山弁の拍手)だった。

みんなで大声で歌ったのは♪川のながれのように♪だった。美空ひばりの。

美空ひばり・・・。彼女の名曲「みだれ髪」の碑はいわきの薄磯海岸にある。波はかぶったが無事らしい。

美空ひばりが再晩年に歌ったといわれる曲。一本の鉛筆。広島で歌った歌。
     あなたに聞いてもらいたい
     あなたに読んでもらいたい
     あなたに歌ってもらいたい
     あなたに信じてもらいたい
     一本の鉛筆があれば
     私はあなたへの愛を書く
     一本の鉛筆があれば
     戦争はいやだと私は書く

戦争を”原発”に置き換えれば・・・。今を歌ったものになる。


ロック歌手の高橋ジョージが被災地の建物の中で歌っていた。そこは多分彼の出生地近く。
宮城県。彼も被災者の家族なのだろうか。

彼の名曲。「ロード」。
     ちょうど一年前にこの道を通った夜
     昨日の事のように今はっきり想い出す
     大雪が降ったせいで車の長い列さ
     どこまでも続く赤いテールランプがきれいで
     何でもないような事が幸せだったと思う
     何でもない夜の事 二度とは戻れない夜

震災の一カ月ほど後、津波で流された自宅の跡で海に向かってトランペットを吹いていた少女がいた。岩手県立大船渡高校3年の佐々木瑠璃さん。津波で母親や祖母を亡くしたという。楽器は祖母が買ってくれたもの。海に向かって吹いた。ザードの「負けないで」を。
鎮魂の曲であると同時に自らを鼓舞する曲だったのだろう。

そして彼女は福島県立医大の看護学科に入学した。もちろん看護師を目指すという。「負けないで」は、一生、彼女を励まし続ける歌なのだろう。

きょうも被災地のどこかで歌がうたわれているはず。歌で励まそうと奔走している人たちもいるはず。

歌の力ってあるんだ。音楽の力ってあるんだ。

去年の今日のあの段ボールハウスの光景を思い出している・・・。そこで体験した多くの物語も。

2012年4月4日水曜日

たとえば、愛

まったく一年前と同じ光景のよう。きょうの新聞見ても。
政府の原発めぐる混迷。あの三百代言の枝野。相変わらずのマスコミの「誤報」「虚報」。それをリツイートしまくるツイッター族の無リテラシー野郎ども。シェアしまくりのFB族・・・。ツイッターの相変わらずのデマ、ヒステリー文字・・・。

柔らかい話題にしてみます。

「たとえば、愛」。もう30年以上も前に高視聴率を獲ったTBSのドラマ。大原麗子と原田芳雄、津川雅彦が出演したドラマ。脚本は倉本 聡。
倉本 聡の脚本はその多くが本になって出版されている。昔、そのほとんどを買って読んだ。そして、今も持っていた。

「3・11」後、言葉を探した。言葉に救いを求めた。いろんな本を読んだ。被災地のルポからドキュメントから、原発に関する本まで。被災地の様子を活字を通して見聞することは出来た。原発本からも、それなりに“知識”を得たが、“歴史”も再確認したが、求めているものではなかった。あの詩人のわめき声は聞きたくもなかったし、宗教家の語る死生観も、「覚悟」は呼び覚まさせてくれたけど、「壊れそうな心」を埋めてはくれなかったような。

夏ごろ。一冊の本に出会うことが出来た。歌人の永田和宏と河野裕子との句集。「たとえば君」。

前年、癌で亡くなった河野裕子を看取った夫の永田が作りあげた「愛の相聞歌集」。河野の句があり、それにこたえる永田の句があり。

冒頭は河野の句。「たとえば君 ガサッと落ち葉すくふやうに私をさらって行ってはくれぬか」。永田の返歌。「きみに逢う以前の僕に遭いたくて海へのバスに揺られていたり」。

多くの歌とそれにまつわるエピソードが数多く記されている。

そして、河野の最後の一首。「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」。河野の死後に詠まれた永田の挽歌。「女々しいか それでもいいが石の下にきみを閉じこめるなんて出来ない」。

そして本のあとがきに永田は最近作った一首を書いている。
「わたしは死んではいけないわたしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ」。

「3・11」後、短歌を詠む人が増えているという。たしかに、避難所や仮設や避難先から詠まれた歌が多い。自分の思いを、長い文章にして書くのでなく、たった31文字に言葉を凝縮させて語る・・・。それが日本人の長年つちかってきた文化のゆえんからだろうか。

永田は朝日歌壇の選者をつとめている。永田が選んだ最近の数首。

「もう一年まだ一年かサイレンの鳴るふるさとや二時四十六分」
「きっちりとそと遊び終える一時間日課となりぬふくしまの子は」
「ただ単に“賞味期限”の表示なのにドキッとして見る3・11」
「スカイツリー建ちて賑はふ下町も死者の溢れし空爆の跡」


なぜ、冒頭で「たとえば、愛」と書いたのか。主演の大原麗子の職業は深夜放送で人気のディスクジョッキー。
最近、TBSラジオの人気パーソナリティー、「キラ☆キラ」の小島慶子が降板した。その小島のインタビュー記事を読んだからか。

小島と大原麗子はちょっと面影が似ているような気がする。だから、たとえば、愛を思い出したのかも。

倉本 聡が被災地に、津波に流された跡に立っている姿を見た。彼は、何かを書くのだろうか。

短歌は詠めない。しかし、それらを読む気になり、読めたことが「こころの隙間」を埋めてくれているような気がして・・・。

2012年4月3日火曜日

大震災をめぐる”嘘”のあれこれ

それにしても、すごい天候のようです。強風、雨。トラックは横転するや、早めの帰宅を呼び掛けるや。いささかパニック寸前。そして地震はきょうはすでに4回・・・。

悪天候となると、やはり1F(第一原発)が気になります。

一昨日、4月1日は「エイプリルフール」でした。四月馬鹿と呼んでいました。
フールとは文字通りに言えば、訳はやはり馬鹿、愚か者ってことでしょうが。

いつの間にかそれは。フールは嘘と解釈もされるようになり、どんな嘘をついても許されるってことにされているようで。

昨日発売された、あの「アエラ」。
「東電トップ、菅直人しかいない」。笑えましたね。どうせならエイプリルフールと絡めて欲しかった。やるわけ無いし、やれるわけないけれど、着眼点は最高のエイプリルフール。
なんたって最高責任者だったんだから。

このエイプリルフール、西洋文化が持ち込んだ風習。日本にも持ち込まれ。ネット見ていても、それに因む言葉が満ち溢れていました。ばかばかしい限りに。中にはちょっとウイットに富んだものもありましたが。そしてNHKのツイーとは袋叩きだし。

まさに「愚か者めらが」・・・

そんな中、“最高の話題”“美しい嘘”に出会いました。NHKのニュースで真面目にやっていたのですが。

被災地、石巻、陸前高田、山田町の子供たちが4月1日に発行した「未来新聞」。
”嘘”で終わらせたくない被災地の復興像。10年後のふるさとの姿を書いている。

未来新聞は2022年4月1日付け。

トップの記事は、ノーベル賞に新設された「復興賞」という部門の最初の受賞者に東北6県で結成された「東北連合体」が選ばれたというもの。
ほかにも、津波の教訓を伝える公園で来場者が1億人を超えたり、開発された駅ビルが観光客でにぎわったりするなど、震災後に夢みた町が実現したとなっている。
石巻市の中学3年生、永沼良樹さんは、仮設住宅の周りを明るくするようにと始まった街灯のランプに絵を描く活動が広まり、日本中が明るくなったという記事を書いている。

亭主もこの新聞欲しかったな。“嘘”だらけの新聞が欲しかった。

でも、この「新聞」は嘘ではない。嘘を書いていない。大人の新聞みたいに。「うそで終わらないよう頑張っていきたい」。子供たちはそう言っているという。
そして新聞を受け取った大人たちはみなそう思い、笑顔で言う
「実現させてほしい」と。
青森から沖縄までの14か所で配られたというこの「未来新聞」。

ほらほら、お釈迦さまでも言ってるじゃございやせんか。嘘から出た真って。

福島県にも「うそ」にちなんだ祭事があります。「うそかえ祭り、うそかえ神事」。
災いを「うそ」にするといわれ、災難よけの祭りとされる飯坂町の高畑天満宮「うそかえ祭」。名物の「鷽鳥(うそどり)」を買い求める大勢の参拝客でにぎわったという。 鷽鳥は悪い出来事の身代わりとなり、良いことに代えるという木彫りのお守り。

きっと買い求めた人は多かったのではないでしょうか。

エイプリルフールの日、夜、福島県沖震源のそこそこ大きな地震。郡山は震度4。
覗いたツイッターにあった一行。「この地震はエイプリルフールだ」。これも秀逸だったかと。

2012年4月2日月曜日

まだまだ「壊れて」行く・・・

きょうから変わったものの一つに食品の安全基準値がある。500ベクレルを100ベクレルに。アメリカの基準よりも何十分の一も厳しい基準。

“緩やか”な安全基準のアメリカで放射線による内部被ばくがあったという例は聞かない。伝えられていないだけなのか。

東北の、北関東の第一次産業従事者は、過酷な“環境”を強いられる。「安全なものを提供するために努力する」。それしか言えない。

誰のための厳しい安全基準なのか。偏った見方と思われるかもしれないが、あり得ない「ゼロリスク」を求めて、大きな声を出している人への配慮の結果とも思えてならない。

郡山の知人の事を書く。書かずにはいられない気持ちになったから。
まだ30代の父親である。懇意にしている。彼の家族は妻と娘と息子。娘は今年小学校にあがる。

原発事故後、2週間程して、妻と子供は新潟に「自主避難」した。彼女の友人の誘いがあって。越後湯沢のホテルに行き、今は新潟市内のアパートに暮らしている。3DK。

彼は家族と一緒にいたかった。毎週、湯沢に通い、市内に通った。一緒に居たい。彼は意を決して社長に願い出た。転勤を。横浜にある支社への。社長は、それを苦悩しながら認めた。
彼が持つ郡山の家は建ててからまだ間もない。その家を貸して横浜で暮らすことにした。
妻がやっと横浜に「下見」に来た。線量計を持って。測ったところ、新潟よりもちょっとだけ高かった。彼女は横浜暮らしを拒否した。娘の学校は新潟市の学校への手続きをとった。

横浜で“単身”で暮らしながら、待つこと3カ月。出された結論は、まだまだ別居・・・。
今日電話してきた彼は言う。「壊れそうです」と。それは自らの精神状態でもあるし、家族の在り様も指す。

彼は言う。「ママ友の存在は大きいです」と。来週、彼は新潟に行く。横浜から車で。娘の入学式。そのあと郡山に来るという。僕と話がしたいという。仲間とも会いたいと言う。

彼に何と言ってやればいいのか。悩んでいる。話の成り行きでいくしかないと。

高速無料化は終わった。彼の出費も大変だ。彼は家族の「つながり」を維持しようと懸命なのだ。仕事に影響しなければと思う。

こんな新聞記事を見た。長野県に自主避難している家族のところに帰る道すがら、いわき市の男性が高崎の上信越道で交通事故を起こし亡くなった。

昨夜、ETV特集に目を凝らしていた。ネットワークで作る汚染マップ。3・11から3.16、いや20までのデータによる放射能の飛散状況。汚染マップ。計算上では子供の甲状腺被ばくも可能性としては考えられるという。そうだろう。

良い番組だ。調査報道だ。番組に瑕疵も作為も感じなかった。でも、あれを見た人たちが、どう解釈するのか。3・15日。いわきから茨城に流れたプルーム。ヨウ素。

“事実”を知れば知るほど、壊れていくものがあるのかもしれない・・・

2012年4月1日日曜日

斜め読み・・・

年中無休、いや年中有休の亭主なのですが・・・。一応休日。ちょっと溜まった新聞を斜め読み。

斜め読みしながらちょっと揶揄したくなる。

29日付けの朝日新聞。消費税増税法案をめぐる党内の事前審査とやらを取り上げ、結論までに46時間半の見出し。続いて、意思決定に課題と。
46時間半。よく半まで計算したものだ。行間伝わってくるのが、たちんぼでその議論とやらに、毎夜付き合わされた記者の恨み節とも。

そういえば、官邸の総理番の記者のツイッター。寒いとか腹減ったとかのぼやきも多々あり。それが仕事なんだけどな。俺もずいぶんやったし、もっと辛いこともあったけど、ぼやく術もなかったし、ぼやくことではないと思っていたけどな・・。

もしこの論議がすんなり収まっていたなら、見出しは、結論までたった数時間―なんてことになったんじゃないかな。

そして社説。朝日は増税容認派。きのうの社説でも明確にしている。それに異を唱えるわけではないが、その29日の社説が嗤える。「もっと建設的な議論をしていく責任がある」。
もっと議論しろって。現場はうんざり、本社の論説委員室では、もっと・・。

朝日新聞にあるコラム。池上彰の新聞ななめ読みってコーナー。ななめ読みって、さっと目を通すことと思っていたけど。どうもそれは斜に構えて読むってことらしい。

原発事故調の報告書に関する記事を取り上げ、それこそコピペのように忠実に再掲。菅の対応を批判する朝日、読売、毎日の記事に対して、東京新聞の記事を比較しての論評。東京新聞にあった内閣官房参与の下村健一の”証言“を引用して、「菅叩き(池上氏使用の言葉)は問題の本質を覆い隠しかねない」と。

おお、下村健一。菅の同志。元TBSアナウンサー。勝手にレッテル貼ちゃいけないけど・・・。

池上くん、ななめじゃないじゃん。しっかり読んで、比較検討してるじゃん。と、おちょくりたくなって。

斜め読みじゃなくて亭主がしっかり読んでいる記事もありますよ。原発とメディア、プロメテウスの罠。そして最前線の現場で書かれた被災地3県の支局からの「被災地日記」。

それも終わりらしい・・・。転勤とかなんとか事情ありらしいけど。あの「日記」は続けてほしかった。だって、まだ何も終わってないんだもん。これからは「日記」の始まりじゃないのかと思うのだけれども。

ざっと目を通した新聞。日本の“富豪”の記事が。ユニクロ社長、孫正義、楽天三木谷。私財数千億円とか。ま、カラスの勝手だけど。みなさん才能が有る方なんでしょう。

片や、消費税8%。10%。生活が苦しくなるとのお話を金持ちがされている。書かれている。少なくとも消費税が上がって生活困るメディア人はいないはず。下請けのディレクター家族ならいざしらず。

所得税の税率変えましょうよ。累進課税の税率直しましょうよ。広く薄くではなく。

ねたんでもしょうがないけど。貧乏人根性染みついてしまった亭主(笑)。

ついでに一言。今夜はTBSが「なでしこ」のサッカー中継。生放送。もはや結果出ている女子フィギアスケート。3位、鈴木明子。真央ちゃん残念。

なんでVTRでTBSにぶつけてくるの。同時刻に。ゴールデンに。ほんとフジテレビ商法は「あざとい」。

お互いを視聴率でつぶし合おうとする競争原理主義のテレビ・・・。