2012年4月30日月曜日

情報リテラシーのいろいろ。その5。

きょうも福島県の浪江にあった診療所の医者の苦悩の話が報道されていました。

「病気」を見ないで「患者」を看るという言葉を使った医者がいる。たしか大船渡の病院の医者。仮設の診療所、仮設の病院。医者不足、医者足りない、看護師不足、看護師いない。

被災者には患者が急増している。急に寝たきりになった高齢者を始め、ストレスからくる病気を患ってしまった人たちなど。

たしか、その病院の院長も専門は呼吸器外科だった。肺がん患者を大勢手がけてきた。被災地の医者には専門性は、今、求められていない。内科医が整形外科医も兼ねる。

最新の医療機器を駆使して肺がんと戦ってきた医師。そこにくるまでは「病気」を見て、肺がんと言う病気と向き合って来た。その専門性は被災地では必要ではない。

多くの患者に、様々な疾病にどう対処するか。どうやったら治せるか。心のケアに行き着くケースも多いという。

病気の話をする前に、その患者の話を聞く。それが病気と直接関係ない話でも、被災体験でも、現状にたいする苦悩でも、顔を見て、話を聞く。その上で、とりあえずの的確な治療を試みる。薬の処方含めて。夜は仮設含めて、寝たきり状態の患者の家に行く。家族の話を聞く。家族のストレスを医者が聞くということで、側面からの治療が出来るから。

いくら手をまわしても医者はなかなか集まらないという。大学病院に依頼しても、研修生や若い医者は自分の研究に意を注ぎたいという。

宮城や岩手の津波に襲われた被災地の医療の現場、現状。もちろんメディアで知った情報だけど。

首都圏の大型ショッピングセンターには綺麗な診療所が併設されているのが話題になっているらしい。買い物ついでにちょっとお医者さん。いや、医者帰りにショッピングか。

開業医はともかく、大学病院の医師は基本的に「研究者」。自分の生涯をかけた研究もあるだろうし、生徒や研修医を教育する義務もある。その職を投げ打って福島に来て福島の医大に転職して放射線の問題に取り組んでいる人もいる。被曝の実情を調べて、汚染の実態を情報として提供する。なぜか、その人を悪しざまにいうメディアもある。
やたらとテレビに出る。出させる医者もいる。大声をあげて国を叱る。その人の行動力をメディアは評価する。

全部ではないにしても、いわゆる「学究の徒」といわれる人たちは、自らの研究成果が世に認められることを願望している。役立つというよりも、目立つことを好む人が多い傾向あり。

「目立つ人」をメディアは好み珍重する。有名人になる。放射線についてさまざま語る。しかし、その人が研究者として、学者として、どれだけの知見を備え、正解を言っているのかは、事実と比べてみて、疑問視するところが多い。

しかし、目立つ人の、医者の言動は価値ある情報として与える影響は大きい。メディアの中に、少なくとも「3・11」直後、専門的知識を持った記者はいなかった。いきおい、学者・専門家を登場させた。挙句、御用学者なる呼称まで伝播させた。

メディアがどういう専門家を使うか。それの社会的影響はどうなるのか。それもリテラシーの一つ。

3・11後、原発に関して、学者の言葉が世の混乱に拍車をかけたことは間違いなし。今もそれは尾をひいている。

「病気を見ないで患者を看る」。この“思想”を彼らに投げかけてみたいと。

“チェルノブイリ”異聞

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